【11】慈悲の雨に消えた言葉(2)
「待て! 彼に触れるな」
ルーグは疾風のように鞘のままの剣を振り回して、二人の男を殴り倒した。
そしてリセルの元に行こうとしたが、ルーグは足を止めた。
緑色のスカーフを被った女性が、リセルの首筋に小さな短剣を突き付けていた。勝ち誇ったような顔をしてルーグを見ている。
「みんな! これで村からあの兵隊達を追っ払えるよ!」
「急げ! この魔法使いが眠っているうちに」
ルーグに向かって農具を振りかざしていた男達が、一斉にリセルを捕らえた女性の元へと走る。
「ちょっと待て。私の話をきけ!」
ルーグはいじましげに銀の剣を握りしめ、農民達に向かって叫んだ。
彼等がルディオールの手下なら容赦なく斬り捨てるのだが、彼等はただの人間で、不運なことに家族を人質にとられている。
恐らく彼等の家族を人質にとっている兵隊達が、ルディオールの邪悪な意識に染まった者達なのだろう。
だから彼等は、この聖なる森に入れない。
そして農民達をけしかけた。
卑劣な連中だ。
「おっと騎士様。それ以上近付いたら、この少年の喉元をこれで突くよ。もっとも、生死問わず、ってことだから、あたしたちはこの少年が死んだってちっとも構わないんだからね」
緑のスカーフの女性が再び短剣をリセルの首筋に押し当てた。
魂が戻らない抜け殻でしかないリセルの身体は微動だにしない。女性が短剣を突き付けたまま、一人の大柄な男がリセルの身体を抱え上げ荷物のように肩に担ぐ。
途端、リセルの身体が不意に震えた。落雷にあったかのように激しくはね上がる。
「なっ! なんだこいつ!」
リセルを肩に担いでいた男は、あまりにもリセルが激しく動くので思わず手を離した。リセルの身体は柔らかい草が生えた地面の上に転がって、ぱしっと青い雷光に似た光を放った。
「ぎゃあ!」
リセルの前方にいた小柄な男が飛び上がってばったりと倒れた。
焼けこげた臭いが周囲に広がった。倒れた男の衣服からうっすらと白い煙が立ちのぼっている。
「トリス! ああ、し、死んでるっ」
男の身体を覗き込んだ女性が腰をぬかして座り込んだ。
その直後、横に走る青い光がその身体を貫いた。
女性は声を上げる間もなく口から血を滴らせて横向きに倒れた。
「に、逃げろ!」
「うわああああ!」
『わたしが瞑想状態に入ったら、絶対に声をかけるな。身体に触るな。外からの刺激は厳禁なんだ。魂が身体に戻れなくなることもあるし、意識のないわたしは、自分の力を制御することもできない。下手をすれば魔力を暴走させ、ここ一帯を焼け野原にするかもしれないからな』
リセルが警告した通りになってしまった。
ルーグは目を細め、動けなくなっている女性の腰を掴み、一人でも多くこの場から離れることができるよう手助けした。
農民達は蜘蛛の子を散らすように、我先にと聖なる森へ走って逃げた。
けれどリセルの身体から溢れる魔法の青白い稲妻は、彼等を追い掛けるように森の中まで飛んでいく。
それは森の木々を引き裂き薙ぎ倒した。倒れた木からは火が生じ、見る間に聖なる森を焼き始めた。辺りは生木が燃えるいがらっぽい臭いと真っ白な煙に覆われた。
「リセル……」
背後は森を焼く赤い炎。
前は暴走する青き魔法の嵐。
ルーグは青い魔法の光に包まれ、仰向けに倒れているリセルの身体を見つめた。両手を天に向かって伸ばし、見開いた両目には自らの身体から溢れる魔法の光が硝子のように映っている。
彼を目覚めさせなければ、その命も危ない。
体から流れ出る魔法の力は、確実にリセルの生命力を奪っていく。
どんなに強大な力を内に秘めようとも、それは確かに底があって、蓋をしなければすべてが失われてしまう。
ルーグは跪くと銀の剣の柄に額を当て、アルヴィーズの加護を願った。
(私をここに留めておく理由はただ一つ。そうだろう? アルヴィーズよ)
ルーグは立ち上がった。
鞘から銀の剣を抜き、リセルに向かって歩き出した。
彼の身体を取り囲むように渦巻いている魔法の光は、ルーグの侵入を許さないとするかのように、こちらに向かって矢のように飛んできた。
ルーグは銀の剣でそれを受けた。
魔法の光は剣の刃の部分に触れると、吸い込まれるように消えていった。
「くっ……これはすごいな」
魔法の光が剣に当る度、身体の中を雷が走るような強烈なしびれがルーグを襲った。
気を抜けばその衝撃で銀の剣を取り落としてしまいそうになる。
飛び散った魔法の光がルーグのこめかみの黒髪を掠めた。
触れた部分の髪の毛がじっと音を立てて焼き切れる。魔法の光の直撃を受ければ、地面に倒れている多くの農民達と同じように身体に穴が開いて死ぬ。
リセルに近付く数十歩の距離が永遠にも感じられた。
だがルーグの足は確実に近付いていた。
自慢じゃないが、これよりもっと危ない目に遭ったことが何度もある。
ルーグはリセルの魔力を取り込み青い光をはなつ銀の剣を地面に突き立てた。そちらに引き寄せられるかのように、リセルの身体から溢れる魔法の光が剣の方へ飛んでいく。リセルに近付けるようになって、ルーグはよろめきながらその枕元に膝をついた。
顔を覗き込むとリセルの見開かれた両目はガラス玉のように
彼の意識はまだ戻っていない。いや、魂が身体に戻れないのかもしれない。
その位置を見失って。
呼び掛ける必要がある。なんとしてでも。
ルーグはリセルの右手にそっと触れた。パチッと火花が散って、ルーグの手袋は一瞬のうちに引き裂かれ、その破片は燃えて消えた。
熱い。
リセルの手は焼けた鉄のようだった。
だがルーグはつかんだその手を離さなかった。
燃え上がる炎に包まれたような錯角を覚えながらもぐっと握りしめ、リセルの焦点を結ばない瞳を、その奥を、じっと覗き込んだ。
ルーグの
指の間からじわりと血が滲んで滴り落ちていく。
けれどルーグは涼やかな微笑を浮かべながら、冗談でもいう軽い口調で呼びかけた。
「おい。いい加減戻ってこいリセル。私が焼け死ぬ前に。私が死んだら、嫌でもずっとその背中につきまとってやるからな。わかったか?」
「……」
ルーグがそう呟いた途端、リセルの身体から放出され続けていた青い魔法の光が徐々に弱くなっていった。
天に向かって伸ばされていた左手が、支えを失ったかのようにどさりと地面の上に落ち、大きく見開かれていた瞳に光が宿った。
それは光の加減で淡い青にも深い青にも見える不思議な光彩。
リセルは一点をじっとみつめていた。自分の顔を覗き込むルーグの顔を。
「……れ、だけは、嫌、だ」
かさついた唇を動かして、リセルがかろうじて言葉を絞り出す。
「何? 聞こえないぞ」
本当は聞こえているのだが。
けれどルーグはわざと聞こえない振りをした。
「嫌だって言ったんだ! ルーグ、あんたにずっとつきまとわれるなんて……!」
リセルがだるそうに息を吐きながら、しかし精一杯の強がりを見せて体を起こした。けれどその目が信じられないものを見るように、大きく見開かれるのをルーグは見た。
唇を震わせ、編んでいた髪が解けて乱れるのにまかせたまま、リセルはその場に立ち尽くしていた。
聖なる森は今や炎と白煙を吐き出し、地面には焼け焦げた傷跡が目立つ見知らぬ農民たちの死体がいくつも転がっていた。
「わたしが……やったんだな」
乾いたリセルの声が爆ぜる火のように木霊した。
ルーグは答えなかった。
答える代わりに、ルーグはリセルの強大な魔力を吸い込んで、青白い炎をゆらゆらと立ちのぼらせる銀の剣を差し出した。
「これを使ってくれ。頼む」
リセルはルーグの手をみて驚いたように息を飲んだ。
「ルーグ。その手!」
ルーグはゆっくりと首を振った。
焼け爛れた手は炎に包まれたように熱を帯びているが、そんなもの、リセルが受けた身体の痛手に比べれば大したものではない。
「私のことはいい。それよりも、森を」
リセルは小さく頷き、ルーグに手渡された銀の剣を右手に握りしめた。
するとその体は再び青白い魔法の光が縁取っていく。
剣が吸い込んだリセルの魔力を、リセル自身が剣から引き出しているのだ。
「
リセルが求める雨の名を喚ぶと、その頭上で青白い雷光が一度だけ閃いた。
地上から天に向かって昇った稲妻の正体は、リセルの体から発せられた魔法の力だ。
それは炎上する聖なる森の上に暗雲を呼び寄せ、大河から溢れる滝のような雨が一斉に降り出した。
視界が雨のせいで水煙に覆われ真っ白になっていく。その中で森を焼く炎の舌は徐々に小さくなっていった。
雨に打たれながらリセルはルーグの剣を地に突き立てた。
銀の剣はもはや青白い魔法の炎を灯してはいなかった。
冷たい輝きを宿す刃にも慈悲の雨は降り注いでいた。
「わたしは、何者なんだろう。ルーグ」
銀の剣の柄に手をやり、リセルは疲れたように目を伏せた。
「今ならわかる気がする。あんたに言われたこと。わたしは、自分が何者か、ちゃんと知らなければ……ならない。でないと、わたしは……」
――わたしはただの破壊者だ。
雨音が消したそのつぶやきを、ルーグは確かに聞き取った。
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