しらない

葵羊(アオイヒツジ)

四月 桜の季節

 校門に咲く桜を見て、僕は初めて春を感じた。新学期が始まるのが嫌で、朝は足が家を出るのを拒んでいたが、桜というものは不思議で、これを見られただけで外に出たことが報われた気がする。短い期間のみ咲く花。少しだけ日常に変化をもたらして、少し希望が湧いてくる頃にその花は散り、日常に引き戻される。

「まもるー、待ってよなんでそんな急いで帰るんだよー」

 歩とは今日はあまり話したくはなかった

「別に急いでるってわけじゃないよ、もうやることないし帰ってただけ」

「始業式は友達との久しぶり再会を喜び合う日だろー」

 歩はへへっと笑いながら言った。

「久しぶりって、お前とは三日ぶりだろ」

「そう言うなよ、最愛の友よ」

 歩はそう言って俺の言葉を遮るようにして強引に肩を組んできた。歩とは同じバスケ部で春休みの間も頻繁に会っていた。調子はいいが、ちょっとした人の変化に気づき、気を配ることができる奴で、俺とは明らかにタイプが違うが、なぜか気にかけてくれる。

「ところで、守」

 僕はギクッとして歩く速度が少し緩まった。そんな素振りを見せたつもりはなかったが、歩のことだから気づいたのかもしれない。

「数学の宿題終わった?」

「は?」

 歩は予想に反して気の抜けた質問をしてきた。

「は?ってことはないだろ、始業式の話のネタランキングがあったら、宿題のネタは3位以内だよ」

「そんなことで、いちいちランキングつくるなよ」

「で、終わった?」

 僕は坂を早足で下りながら答えた。

「だいたいはね。でも問31以降の応用問題はよくわからん」

「コピーさせてぇ、アイスおごる」

 くねくねとしながら歩は言った。本人曰く頼みごとをするときは猫になるらしい。祖母の家で飼われている猫はこんな動きをしただろうか。

「別にいいけど、アイスは寒いから別のにして」

 4月に入ると暖かくはなってきたが、まだ、ワイシャツの上にはパーカーそして学ランを羽織っていた。

「OK、じゃあファミマよってこー」

 坂を下りきると大通りに出る。上り、下りと三車線ずつあり、"THE TOKYO"というような道路だ。高校に入った時、この排気ガスに三年間包まれるのかと思うと、少し憂鬱だったが、今ではこの空気に安心感すら覚えている自分がいた。大通り沿いを歩き、ラーメン屋、パチンコ屋と抜けていくと、川沿いに桜が咲いているのが見える。桜の咲いた川沿いには提灯がぶら下げられ、いくつかのグループは昼間だというのにもう宴会を始めている

「桜の季節だな...」

 つい口に出てしまう。

「テーレッテレレテーレッレ..」

 唐突に歩が歌い出した。

「急に、どうしたんだよ」

「え、ご存知ない??」

 歩は大げさに驚いた顔をする。

「フジファブリックだよ!名曲!名曲!youtubeでググってみ」

「"ググる"のはGoogleとかyahoo!だろ」

 そう俺が茶化すと、

「うるせーわ。じゃあ"ツベって"み。てか、そういうことじゃなくて今度聞いてみて、いい曲だから」

「わかったよ」

 どこから仕入れるのだろうか、歩は俺の知らない曲をよく知っている。

「お前って、花とか見て感動するタイプだっけ?」

「どうだろ俺も歳とったかな」

 しみじみとした口調でこたえた。

「歳とったってまだ16だろ!」

 肩を小突きながら歩は言う。

 16歳か。当たり前のことを繰り返した。僕の日々は単調で、アメリカの田舎にある何もない砂っぽい道をひたすらまっすぐ走っていくジープのようだった。テレビで見ただけでそんな道が本当にあるのかは定かでなかったが。

「どうしたの浮かない顔して」

 こういう表情の変化を歩は見逃さない、

「分かりましたー、行きましょー」

 行くとはバスケ部が部活後にファミレスに言ってドリンクバーをことである。

 こうなったら断ることができないのが僕の弱いとこだ

「人の話聞くふりして、メシ食いたいだけだろ」

「フィフティー、フィフティーだね」

 歩は笑いながら答えて、僕の腕を引っ張り目的地を駅からファミレスに変えた。


 昼間のファミレスは、自分らと同じような午前で学校の終わった学生、30代後半くらいに見えるママ友の会でそれなりに埋まっていた。

「それで、橘さんどうしました?」

 一杯目のコーラで僕らが乾杯した後、歩は声を低くして聞いてきた。刑事ドラマの取り調べを演じているつもりだろうか。

「いや、まあ大したことじゃないけどさ、なんか変わらない毎日だなーって。毎日、朝起きて学校行って部活して、疲れて帰って寝るみたいな。虫かごの中の虫みたいな生活な気がして。昔思い描いてた16歳ってこんなに毎日を消費するだけの人生だったかな、て」

「きました、歩く哲学者!」

 歩は明るく突っ込んだ

「いやいや、哲学者は人なんだからみんな歩くでしょ。」

「理屈好きだな。それで..」

「ハンバーグ定食お待ちのお客様ー」

 店員の明るい声が割って入る

「はーい、ありがとうございまーす」

 歩は答え、フォークとナイフを用意した。僕にも注文していたパスタが運ばれてくる。

「もしかして、そんな理由でこれ出したの?」

 そういうと、歩は自分のバックの中から、数日前、僕が書いたものを取り出した。顧問の机に置いといたはずだがなぜ...

「なんでお前が持ってんだよ...」

「先週、俺もイケセンに用があったから行ったらさ、イケセンは居なかったけど、これが置いてあってさ」

 悪びれることもなく歩は答えた

「そういう大事なもの普通見るか?」

 僕は呆れた顔をした

「え、逆に見ないの?ビックニュースだよ。記者柴田は新しいネタを常に探しているから!」

 記者のふりをしてメモする仕草をしながら歩は言った。二人の間に微妙な空気が流れた。少し間が空いて歩は言った

「ごめんごめん、まあとりあえず食おう、いただきます」

「いただきます」

 またしばらく沈黙が続いた後、歩が切り出した。

「俺は認めないから...つまんないとかそういう理由で部活ってやめていいものじゃないだろ。

 少し気持ちのこもった様子で歩は言った

「そう...」

「夏からは先輩が引退するし俺らがレギュラー取れるんだぞ、後輩ももうすぐ入ってくるし...」

「そういうんじゃなくて...」

 自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。

「足がだめになっちゃたんだ」

「え?」

 歩は目を丸くした。

「最近足の調子が悪いと思っててさ、先週しっかり調べてもらったんだ。そしたら神経性のもので治らないんだって。今も痛み止めで抑えてるだけ...だからもう続けらんない」

 さっきまでの勢いはなく歩は僕よりもうつむいて答えた。

「そっか...でも退部は許せない。何人かサッカー部を退部してるやつ知ってるけど、なんかフラフラして幽霊みたいになっちまった。守にはそうなって欲しくない。だから退部じゃなくて...転部なら」

 僕が感傷に浸る暇もなく、歩は思いもよらぬ提案をして来た。

「転部ってもう高二だよ?今更?」

「関係ないよ、大丈夫、大丈夫。どうせ新勧シーズンだし、来週部活観に行こうよ。俺も付き合うからさ」

 考えてもみなかった。確かに歩の言うことは分かるが、今更出来上がった人間関係の中に入る自信は僕にはなかった。

「いや、それでも...」

「OK!じゃあ来週作戦決行ってことで、この話は終わり、終わり」

「勝手に決めやがって..」

 こうやって都合が悪くなると話を切り上げてしまうのが歩だ。ただ、憎めないところがずるい。

「もう、飯が冷めるからー、あとで、あとで。俺、飲み物取ってくるけど、お前のも取って来てやろうか?コーラのジンジャーエール割りか?」

「じゃあ、それで」


 家に帰って僕は考えた、歩は僕の告白に対して自分の意見を言わなかった。もうバスケができない僕とあいつの関係性は変わってしまうのだろうか。あいつはきっと嫌な顔せずに僕と付き合ってくれるとは思うが、そこには見えなくても、確かな距離ができてしまった気がする。坂の上と下の違い、空気や光、匂いは一緒だが、見える景色が少し違うそんな距離。

 歩は坂の下から僕に手をふっているだけなのかもしれない。









 

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