ある仮説
群青色の慟哭
1
「世界五分前仮説って知ってる?」
夕焼けに染まる放課後、君の言葉はいつだって唐突だ。脈絡のない問いかけに僕は首を傾げる。
「知らないなぁ」
そう答えると、君はぱぁっと顔を明るくした。
僕の幼馴染は、僕の知らない知識を得意げに披露するのが大好きなのだ。
「うふふ、じゃあ教えてあげる」
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「世界五分前仮説って言うのはね、名前の通り『世界が始まったのは今から五分前のことである』という仮説なの。何故こんな仮説が立てられるかと言うと、『世界が始まったのは今から五分前のことである』ことを誰も否定出来ないから」
「...うん、分かるような分からないような...」
「つまり、『私たちの記憶は、神様が五分前に植え付けたもので、私が自転車で転んだ記憶も、君がおねしょで怒られた記憶も、全部全部神様のお遊びだ』って可能性を、否定出来ないわけ」
「おねしょは余計だ」
「いいじゃない、偽物の記憶かもしれないんだし」
君は楽しそうだ。
「私たちの思い出や記憶って、否定出来ないから肯定できないほど、曖昧で不確かなものなんだよ」
────笑っちゃうよね。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「この教室の夕焼けも、鞄も、教科書も、私の体育服も、君の短くなった学ランも、私たちの思い出も、みんな紛い物」
独り言のように語り続ける君を見て、僕はようやく理解した。
ああ、君は寂しかったのか。
どんどん大人に近づいて、蓄積された思い出が地層のようにただ積み重なる。鮮やかな思い出がやがて味気ない記憶に変容する、そんな毎日が。
「...それでも僕は」
気がつけば君の独り言に返事をしていた。そんなこと、意味なんてないのに。
「たとえ紛い物でも、君と一緒に生きた記憶を大切に思うよ」
君はなんの反応も示さない。ただほんの少しだけ、微笑んだ気がした。もちろん気のせいだ。そんなことは分かっていた。
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「...さて、そろそろ帰ろうか。遅くなってしまう」
夕日は少しだけ傾き、オレンジ色は明度を変えていた。君は鞄を持ち、教室のドアへ向かう。
「僕はもう少し、ここに残るよ」
「...そう?なら先に帰るね」
ドアに手をかけた君は、あ、と言って振り返った。
「思い出が日々色褪せることは、寂しいけれど。いや、それ以前に私は紛い物かもしれないけれど、そんな、紛い物の記憶の中に君がいるのなら、まぁ、それならいいやって思えるんだ」
じゃあまた明日。遅くならないようにしなよ。
君は手を振って教室を出ていった。
...ピーッと、聞き慣れた電子音がした。
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