鋼の心 01

 ああ、漸くだ。漸く、わたしの望みが叶う。願いが叶う。

 間も無く手に届く希望にわたしの体は打ち震える。

 長い年月、どれほど待ち侘びたか。何故わたしだけあの頃から残されてしまったのか。

 一人で生きるにはこの世界は広すぎた。

 だがそれもこの時より終わりを告げる。全ては、ここから――


 ◆ ◆ ◆


 何とか橋下への落下は免れたブラックホースだったが、騎士に負わされた損傷は深く、修理の為に一旦車体を停止させていた。機関士達が数少ない鉄材で修復に尽力する中、客車ではこれからの事に対する話し合いが行われていた。


 列車を正しく救い掬い上げたリンジーは、その力を使い果たしたのかカウンターの上にぐにゃりと突っ伏していた(壁をすり抜ける幽霊が何故カウンターに乗るのかは不明だが)。


 すっかりボロボロになったブラックホースを見て、ベンジャミンが溜息を吐く。


『やれやれ。飛行機能を付ける事もそろそろ検討せねばなるまいな』

「あんたは一体ブラックホースをどうしたいんだ……っいててて……」


 椅子に座り、騎士に負わされた怪我の治療をされているシルベスターが小さく呻く。傷は右肩から左腹部にまで斜めに走っている為、シルベスターの上半身はその大部分が包帯で覆われていた。治療を担当していたハーティは包帯がきちんと留っている事を確認すると、テルシェが抱える救急箱の中に余った布を片付けた。


「幸いな事にそこまで傷は深くありませんでした。でも、出来れば余り動かさない方が……」


 ハーティは途中で言葉を途切れさせる。今の状況を憂うように。


「有難う、ハーティ。助かった」


 不安げに目を伏せる給仕に、シルベスターは笑って礼を言った。そして次にくるりと視線を変えると、一転して真剣な表情で、同じく破損個所の応急処置を受けて居るバレルを見る。


「バレル、聞きたい事がある」

「はい。何なりと」


 自駆機械オートマタの方も解っていたとばかりにシルベスターに頷き返す。


「先ずはあの塔の事、さっきの白い鎧の事、解る事全部」


 シルベスターの問いに、バレルはその一つしかない視覚センサーを明滅させた。


「了解しました。少々複雑な話になりますが――――」


 ◆ ◆ ◆


 その頃、広大な荒野の中心に位置する巨塔の前に二つの影があった。一つは大きく一つは小さい。彼等の目前には巨大な塔の頑健な金属の壁と、固く閉ざされた大きな扉があった。


 それは如何なる進入者も許さないとばかりに威圧感を放ってそこに聳えて居たが、帝国都市の王、無情なる白き騎士が少女の腕を掴み、無理矢理触れさせると、それは何かに反応するようにゆっくりと入り口を開いた。扉が動くのを確認し、何処か感嘆した様にその様子を眺めた後、騎士はじっと少女を見た。逃げても無駄だと悟ったのだろう、無言で促され、マリアベルは不満げにその中へと足を踏み入れた。


 塔の中は、矢張り外見と同じ様に広々としていた。薄暗い室内で冷え切った空気がマリアベルの肌へと纏わりつく。冷たい鉄の床には、華美な模様が細々と刻み込まれ、天井等にもそれと同様のものが見受けられた。そして――それは隣に立つ騎士の鎧に在るものと同種のものに、少女には見えた。部屋の隅には何らかの動力パイプと思わしきものが幾つも這い、絡み合って居た。


 暫く進むと、彼等の先に昇降機が現れた。箱と言うよりも、籠と言った方が的確な古風なデザインのそれに、騎士は静かにマリアベルを連れ込んだ。


「……一体、何」


 最初は空で、その次は荒野、そして今度は塔の中。散々連れ回され続け、マリアベルは眉を顰めて白い鎧へと問い掛けるが、巨大な鉄鎧は黙した侭昇降機の中に設置されたパネルを操作した。

 幾つかの操作の後に、昇降機が静かに動き出した。目的地はどうやら上方らしい。

 不気味な程音も無く滑る籠の中で、大小の影は押し黙る。――静寂。


「――……古いハナシだ」


 しじまを破ったのは、罅割れた声だった。抑揚無く紡がれる言葉に、マリアベルは顔を上げる。


「――酷い。酷い争いがアった。マダ人が大地に溢れて居た頃。機械がもっとヒトの生活に密接してイた頃。肥大した人類の技術は地をヤき空を焼き――」


 そして、後には何も残らなかった。


「人は死に絶え、機械は打ち壊さレた。ノコったのは荒廃した大地のみ。我もまた多くの同胞はらからと同様に機能をテイシさせた。僅かニ生き残った人類は散々に分かれ、トシを建設して集落を復興させていた。ダガ――争いに因りデータも書籍も失ッた文明はイチジルシく退化してイた。醜き大火から数世紀――我が機能を取り戻した時には世界から我等の存在は忘れ去られていた。人の寿命は短い。我を知る者達は当然居らず、仲間ヲ再起セし術もアラず。故に我は一つの都市に身ヲ隠し待ち続けた、何時カこの世界ニ嘗てと同等の技術が育つ時を。――然しそれも既に意味無き事。卿さえ在れば――」


 昇降機の速度が徐々に勢いを遅め、やがて一つの階層にて停止した。静けさの中、扉が音を立て、二人を迎え入れんとその闇色の口を開いた――。


 ◆ ◆ ◆


「つまり――あの塔もあの鎧も、ブラックホースも全部過去の遺産て事?」


 シルベスターの言葉に、バレルは頷く。


「はい。貴方がたには想像し難い話かも知れませんが……」

「うん、学園都市のおっさんも言ってた、この世界にはそういうものが沢山あるんだって」


 怪しげな白衣の男、ラル・マコーレーの事を思い出しながら、テルシェもそれに同意する。


「私は機械都市からの技術で生を受けた、現代の 自駆機械オートマタです。けれど開発の際、より高性能な機体を研究する為にとある未解析データが実験的に使われました。今迄、それを利用する事こそあれ、それがどういう物なのかは知る事が出来ませんでしたが――今確信しました。私に使われた未解析データは彼のものです」


 静かに、バレルは自らの事を語る。淡々と、事実を告げる様に。


「私は知りました。過去の事を、そしてこれから起こる事を。彼にあの塔を起動させたら大変な事になります。だから――私はそれを止めたい。私は……貴方がた"人"が好きですから」


 そこまで言うと 自駆機械オートマタは少し俯いて、言葉を続けた。


「この列車に乗ったのは、あの塔へと向かう為でした。この鉄道が唯一ここへ辿り着く線路を所持している事は私の知識データの中にありました。私の性能では、ここまで飛び続ける事は出来ませんから。……すみません。私は最初から……路線を変更する積りだったんです、無断で」


 すみません、と再びバレルは謝罪を口にする。全てを聞いた乗員達は、暫く間を置いてから――怒鳴った。


「こんのバッカ 自駆機械オートマタ! 何で最初から言わないの!」

「全くだ。何事かと思ったよ」

「それならそう言っときゃ協力するってのに、心外だ!」


 テルシェ、コンラッド、バジル――皆順次に 自駆機械オートマタの行動を"仲間として"非難する。ハーティが面々を宥める中、次々と掛けられる予想外の罵倒に、バレルは驚いた様に反論する。


「し、しかし、こんな未開の地、何があるか」

「どうせ来るなら言わない方がよっぽど迷惑!」

「大体、最初は兎も角途中からはこのカップルの厄介事を積んでたしな」

「今更過ぎるだろうが! 完熟卵より遅すぎる!」

『そういう事だ、バレル。言い訳は無用。観念しろ』


 真黒な鎧の名で笑い声を堪えながら、ベンジャミンはうろたえる 自駆機械オートマタへと結論を突き付けた。


『それで? バレル。御前の目的を果たすには何が必要だ』

「……私は……」


 機械鎧のオーナーに促され、バレルは暫く動きを止めた後、シルベスターの方を見た。


「シルベスターさん。私は、あの白い騎士を止めます。貴方は、その間にミス・マリアベルを」


 バレルの提案に頷くと、シルベスターは意を決しベンジャミンへと強い眼差しを送った。


「なぁ、頼みがあるんだけど……」


 少しばかり勇気を持って向けた言葉。

 だが、鋼鉄のオーナーはその途中で手を前に出し青年の言葉を遮ると、深く首を振った。


『それ以上言わなくて良い。あの娘を必ず連れ帰って来なさい。それ迄にブラックホースの修復は完了させる』


 ベンジャミンの言葉を追う様に、乗務員達も当然の様に主に賛同する。そこに、それまで後ろで静かにしていたバートラムがひょっこりと顔を出した。


「早めに行った方が良いんじゃないかな、彼女に何があるか解らないし」


 いけしゃあしゃあと言ってのける元・襲撃者に、テルシェが飛び掛かりその耳を思い切り引っ張った。


「なーに素面でかっこつけてんの! アンタはちょっと正座しなさいよ! おじいちゃんのブラックホースをこんなにして!!」

「因みに俺様は久々に隠し装備をぶっ放して楽しかったので許してやっても良いかなーとも」

「オッサンそれ、あの女機関士に言ったらぶっ壊されるよ」

「車体本体の被害は殆ど私の部隊の責ではないんだがね……」


 そう言いつつも、バートラムは乗務員達に囲まれる中、言われた通り床に座り――それから、ああそうだったとシルベスターの方も向いた。


「これを持って行くと良い。流石に……フライパンでどうにかなる相手には思えないしね?」


 そう言って、男は一本の剣を青年へと差し出した。


「これは……アンタの剣、みたいけど」


 確か折れた筈ではと訝しむシルベスターに、バートラムは意味深な微笑みを向ける。


「何これでも軍人、予備位持ち合わせて居るさ。未だ一本残っているから私の事は気にするな」


 どう見ても、バートラムの体にはそれ程物を隠す場所等ないのだが、一体どうなっているのだろうか。剣を受け取り、首を傾げるシルベスターに、後ろからベンジャミンの声が掛かった。


『まあ彼の言う事も一理ある。急ぎなさい、シルベスター。バレル』


 その言葉に頷くと、乗員達に見送られながら、二人は乾いた大地へと連れだって出る。遠くから見ても解った様に外は荒廃して居り、罅割れた大地に風が吹き、砂埃が舞い上がっていた。


 そのぼやけた風景の奥に、空まで貫く巨大な塔が在る。バレルの目的地であった場所。騎士が向かった先。そして、今はシルベスターの向かうべき先でもある古き建造物。

 格納されていたバレルの背面が開き、飛行用の装置が展開される。自分の体が熱く稼働し始めるのを感じると、 自駆機械オートマタは真っ直ぐに青年へと手を伸ばした。


「何があって放しませんから、信じて下さい」

「心配してないって」


 どこまでも律儀な 自駆機械オートマタに苦笑し、青年はその手を握り返す。血の通った掌と、金属の掌が合わさると、バレルはシルベスターを大事に抱え上げた。

 起動が完全になるのを待ちながら、バレルはぽつりと小さく音声装置を震わせた。


「……シルベスターさん」


 吐き出す様なその声に、シルベスターはバレルの透き通った一つの目を見返す。


「……帝国都市を旅だった時……私には、まだ迷いがあった。私が――私一人が、人の為に事を為すのは正しいのか……機械である私は、彼の系譜を継ぐ私は彼に従うべきなのではないのかと。だから、あの時機械都市を訪れた。私の決意を、私の起源を見る事で確かな物にする為に。けれど――本当に私の迷いを断ち切らせてくれたのは貴方達です。貴方達を見て、私は私の為すべき事に確かに価値を見出した。今の私に躊躇いはありません。貴方達が、私の力になる」


  自駆機械オートマタの決意を込めた告白に、シルベスターは少し首を傾げ、


「それは……俺じゃなくてあの人達全員の前で言った方が良かったんじゃ?」


 至極当然の答えを返した。それに、 自駆機械オートマタは拗ねた様に青年から視線を逸らして。


「……恥ずかしいじゃないですか」


 何処か委縮するように言葉を漏らすと、飛行ユニットを噴出させバレルは力強く飛び立った。



 飛び去っていく鋼鉄の影を車内から見送ると、ベンジャミンはくるりと振り返りブラックホースの面々へと威厳を以って命令を発する。


『さて、我々もブラックホースの修理に掛ろう。彼等が帰って来るまでに最低でも機関部だけはどうにかしないとな――――勿論。君等にも手伝って貰うよ』


 仄かに輝く青い眼は当然とばかりに、闖入者たるバートラム達へと告げた。

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