ディフェンス・オン 04

 ――その漆黒の機関車が長い大橋へと車輪を進めて尚、列車内の戦いは熾烈を極めていた。時間が経つに連れ、生身の肉体のみで戦う者達の額には疲れの色が浮かび始めている。だが、彼らの誰一人として、膝を付く事はない。


 ブラックホース側にとっては、橋が終わるまでの辛抱。

 帝国都市側にとっては、橋が終わるまでがタイムリミット。

 どちらにとっても容易く手の抜ける状況ではない。


 今、ブラックホースの速度は毎時二〇〇キロメ―トルを越えていた。通常速度の約二倍程で走る漆黒の鋼鉄は、予定の時間よりもずっと速く、目的地へ着こうとしていた。

 全力で疾走する機関車に橋桁がぐらぐらと振動する。窓硝子も小刻みに揺れ続け、車内からもその苛烈さを感じる事が出来た。


 隣車両からの激しい金属音を聞きながら、熱の籠った機関室の中、マリアベルは汗を滲ませる。機関室に居る者達には、戦いの状況は解らない。僅かに隣での戦いの音は聞こえるが、音の高低等から戦況を察知出来る程優秀な聴覚や経験の持ち主は居ない。情報の無さは機関士達に不安を与えるが、彼等は自らの仕事に従事する事で気持を奮い立たせる。

 同刻、先頭車両では繰り返される激しい剣先の応酬に、両者共攻撃の手を緩めていた。


「そろそろ、降参とかしてみる気は?」

「おや、大佐殿はお疲れかな、俺はまだまだ元気だけど!」


 声と共に一閃。体力の消耗は目に明らかだったが、それでもシルベスターは開戦時と殆ど変らぬ強さで手の中の鉄塊を振るう。半ば御決まりの様に、剣でそれを受けるバートラム。削り取る様な一撃が振り下ろされるが、構えたその腕は怯まない。


 攻撃の最中、ちらりとシルベスターは窓に目を向け列車の速度を確認した。そして相対する男に向かって目を細める。


「この調子だと、予定より早く次の都市には着きそうだけど――そっちこそ退いた方が良いんじゃ?」

「何、君の疲労ぶりから見ると、私にとっては充分な時間だよ」


 そして今度はバートラムの方から一撃が翻る。――そうは言ったものの、内心バートラムはその思考に焦りを見せていた。城郭都市へ辿り着かせてしまうと、また一から遣り直しだ。

 いや、それ自体は構わない。問題は帝国都市の新たな部隊を呼び寄せる時間が出来てしまう事――この列車に潜在する力についてはバートラムも認める所だが、流石に次の戦闘では耐えきれない。それでも、スタンガンや彼に相当する部隊が来るだけならば、バートラムはもう一度、この奇妙な列車を見逃したかも知れない。けれど――

 バートラムが意を決した時――


「――


 ――その呟きは、機関室に立つ少女からのものだった。

 機械の声を聞く白き少女は、制御盤に手を触れ、そう呟くと、勢いよくその顔を上げた。機関室前面の窓硝子に頭を向け、その向こう、延々と橋が続く景色へと目を見開く。

 未だその正体は薄らとしているが、けれどそれは確かに彼らが待ち望んでいた、城郭都市への目印だった。


「見えた! 分岐路!」


 マリアベルの言葉から数瞬遅れて、モニカが叫ぶ。所在なさげに漂っていたリンジーもその言葉にぱっと進行方向を見、顔を輝かせる。


「やったあ! 良かったねモニカちゃん!」

「よーっしゃ調子出てきたわあ……! キース! 燃料投入!」

「おう!」


 号令に応え、キースが燃料鉱石を積んだ側室のレバーを下ろす。ゴロゴロと定められた量の固形燃料が転がり落ち、火室へと追加される。赤々とした炎が一段と熱く燃え盛る。


「お願い――走って……」


 祈る様なマリアベルの小さな声に応じるように、ブラックホースの機関が吼える。今やそれは速度計の針をも振り切り、瞬く速さで距離を詰めて行く。


 ――十キロ。

 ――五キロ。

 ――四――三――二――


 あと少し。あと少しで決着が付く。機関室の誰もがそう思い、掌の汗を握りしめた時――


「――すみません」


 ぽつりと。が静かに響いた。

 屋根の上に構えた自駆機械オートマタは両脚を接地形態スタンディングモードに切り替え、数ある砲の中から唯一実弾を装填出来るものを一点へ向けていた。

 表情のない鋼の顔の胸中にあるのは何の思いか。バレルは視覚センサーのピントを遠距離に移し、狙いを定める。


 そして――バレルの砲身から放たれた金属の弾は、線路を左右に分かつ分岐ポイントの中心、ひっそりと据えられた、分岐の方向を変える為の手動転轍機ターンアウトスイッチの柄に直撃し――。


 ――カーン!!


 軽快な衝突音と共に、転轍機がばねの様に勢いよく押し上がった。


「バレル!?」


 驚いたのは当然、ブラックホースの面々だ。だが、車内に居る彼等に車外の装置をどうにかする事など出来る訳もない。転轍機が切り替わった事に因り、線路の稼働部分が動き、右側――城郭都市へと繋がる東の線路――から左側へと接続が変更される。

 ――ゼロメートル。

 分岐地点に到達したブラックホースはその時徐行とは程遠い速度。ブレーキを掛ける隙すらなく――夜色の機関車は左側の路線へ進入した。

 橋の終わりの向こうに存在し始めていた、一度は辿り着くと思った城郭都市の姿から、ブラックホースは走り去って行く。


「ちょっ、な、何よ一体! バレル! 説明しなさいアンタ!」

「おいバレルー! 返事しろー!」

「ど、どうしましょう、オーナー……」

『ふむ……』


 列車内の端々で声が上がる。だがバレルはそれに答える言葉は持たず、ただ静かにブラックホースの行く先を見る。通常路線から外れたその道は何処か粘つく様な空気を漂わせ、久方振りの客を迎え入れる――。


「どうやら、延長戦のようだよ」


 同じく状況を把握したバートラムが苦笑と共にシルベスターにそう告げる。だが、シルベスターは止まらない。


「いいや、ここで試合終了だ!」


 大きく腕を振るい、密度のある鉄塊で何度も集中的に打ち付けたその場所を狙って、最後の力とばかりにバートラムの剣をフライパンで横殴りに叩く。そして――漸く、ビシリ。長く彼の前に立ち塞がり続けたその剣は中ほどから砕け割れた。


 ◆ ◆ ◆


 ――目標物、目視完了。

 ――之より、行動を最重要行為に昇格する物哉。


 ◆ ◆ ◆


 戦いの末、バートラムがその武器を失い、代わりに敗北を与えられた時――分岐を変えた後も、尚も何かに引き付けられるかのように激しく疾走し続けるブラックホースの背後から、それを超える速度で空を飛来するものがあった。


 ――それは鋼鉄。


 白を纏うその影は空の下、日の光を受けながら己が目的を見る。

 飛行の動力源は背後の装置。だが、それはバレルとは違い、目に見えるエネルギーの奔流等は排出されていない。歪曲した四つの推進装置は熱風だけを強く噴き、空を制する。


「――あれは」


 逸早くその存在に気付いたのは、接地形態スタンディングモードを解く事もせず、ぼんやりと屋根の上に立ち尽くしていたバレルだった。焦点を拡散させていたバレルの視覚センサーが一瞬で遠方に焦点を合わせる。


 ――荘厳なまでに細かに意匠された、白磁に輝く金属の鎧。自駆機械オートマタのバレルでも素晴らしい出来栄えだと理解出来るそれは、然し飽くまで芸術品としての場合に限る。


 毎時ニ〇〇キロを越す速度で狭い橋を駆け抜ける機関車に追いつかんとする飛行物体は、そういったものではない――!


 バレルの脚部は砲撃用の安定形態を解き、機能を休止させた背面の飛行ユニットが排気口を開放する。先程まで稼働させていたその機関はすぐさま熱を取り戻し、砲身を装備した自駆機械オートマタは乗席する列車から高く飛び立たんとする。

 だがその次の瞬間――


「な――」


 振るわれる、巨大な白刃。

 ――何が起こったのか。理解する間も、反撃の命令を演算装置が送り出す間すら無く。


 バレルの機体ごと、客車の屋根が沈みこんだ。


 その衝撃は激しく、他の繋がる列車をも巻き込み震撼させた。


『何事だ!?』


 雷が落ちたかのような大きな破壊に、睨み合っていたベンジャミンやチェスター達も反射的に音の方へと目を向ける。


「これは――隣の車両です!」


 余りの事に緊急事態だと察したのだろう、ハーティは打ち合っていたリィンから目を離し、隣へと繋がる扉を開ける。

 ――そこには。見るも無残に砕け散った屋根であった木材達と、中心に倒れ伏すバレルの姿があった。


 ◆ ◆ ◆


 決着を付け、最後の折り合いを付けようとしていたシルベスターとバートラムの間にも、今起こった事態に対する疑問が浮かんでいた。


「……これは……」


 ――若しや、本当に来たのか。バートラムは戦闘の最中にも見せる事の無かった渋面を浮かべる。何かを知っているかの様な口調のバートラムに、シルベスターが詰め寄る。


「おい、今のはそっちの仲間の仕業か? どうも幾つか部隊があるようだけど――」


 シルベスターの問い掛けに、バートラムは無言で首を動かしそれを否定する。


「……部隊じゃない。――私も確かな事は言えないが……」


 ――そんな生易しいものでは、ない。

 静かに告げられたその言葉にシルベスターが目を見開いた時、ミシリと何かが軋む音がした。突如聞こえた異音に、二人は目を向けた。

 ――ドゴオ――――ッ!!


「――ッ!!」


 ――轟音。何かを叩きつけた様な重低音と共に、二人の居る列車の屋根が吹き飛ぶ。そして、飛び散る破片から顔を庇う彼等の前に純白が、現れる。


 ――それは、巨大な鎧だった。


 色は穢れ一つない無垢なる真白。大きく湾曲した滑らかなシルエットは、数多の抽象的な模様をその身に刻んでいる。清廉さと気高さを備えた、御伽噺の騎士がその侭本から飛び出た様な姿。だがその眼光だけは暗く、仄赤く煌めいていた。


「お、お前は――……」


 ベンジャミンやバレルを彷彿とさせる侵入者に、シルベスターは思わず声を漏らす。思考の裏では警鐘が鳴り続けているというのに、動く事も出来ず、青年はただその鋼を見詰める。


 ――それは畏怖か。

 ――それとも別の。


 揺れ動く列車の中、静寂が闇の様に落ちる――。

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