学園都市 01
それは遠く。それは眩く。
焦がれてやまない尊いもの。
ポポー、と構内に汽笛の音が鳴る。
昨今聞きなれないその音に、駅の中で列車を待っていた人間達が一斉にその音の源へと目を向ける。――威風堂々と現れたのは、漆黒を纏った鋼鉄の機関車。今や鉄道博物館でしか見られない過去の
「――ここが……学園都市?」
食堂車の窓から、ざわめく駅構内を興味深げに観察しながら、シルベスターが誰にともなく呟く。それに答えるのは少し離れた席に窮屈そうに座っていたブラックホースのオーナー、ベンジャミン。
『ああそうだ。技術を受け継ぐ街、学園都市。その名の通り、この街はその全土に様々な学び舎を構えている。若者達は自分の望む勉学の出来る学校を選び、多くの事を学ぶ。大陸から集まった技術を研究し、次代へと伝える正に未来を紡ぐ街だ』
「ここは学園都市で生まれ育った者だけではなく、大陸中の都市から集まった意欲のある若者達も受け入れています。彼等は数年間勉学に身を捧げ、後はその侭学園都市に残り研究や教鞭を振るう事に身を捧げたり、故郷へ帰って学んだ技術を以て都市の発展へ貢献したりします」
横から話を聞いていたバレルがベンジャミンの説明に補足を加える。確かに彼等の説明通り先程から駅の中に居る人間の殆どは十代から二十代程の男女だった。彼等はひしめき合ったり、または至極スムーズに各々の列車へと乗り込んでいる。
『普段はもう少し静かな駅だが、今は
機械都市では見られない光景に、シルベスターは感嘆したように見入る。
「へえー、学生の街かぁ……っ、てて、マリィぃ、優しくして……」
傷口を脱脂綿で拭かれ、シルベスターが顔をしかめる。
こうして学園都市に着いたにも関わらず、食堂車両へと集まっているのは、先の戦闘で負った傷の治療の為だった。シルベスター、ハーティ、バジル、ベンジャミン。幸いにも誰にも大きな負傷は無く、ブラックホース内に備え付けられた薬などで事足りそうだった。
「大丈夫、ただの消毒液だよ。多分ね」
「消毒液じゃなかったら何なんだろう」
「お砂糖、スパイス……」
「待ってマリィ、それだと俺が女の子になる」
「そんなシルベスターも、好きだよ」
「愛は嬉しいけど顔が本気過ぎて怖い!」
人目も幅かからずイチャつくカップルに、周囲からは和やかな空気が漏れる。
「おじいちゃん、すごい格好良かったよ!」
高い声が跳ねたかと思うと、ベンジャミンの黒鎧の背中に孫娘のテルシェが嬉しそうに抱きついた。可愛い孫にベンジャミンも柔らかな声で応える。
『おおテルシェ、お前もワタシの言いつけをちゃんと聞いて、大人しくしていたな』
「当然! ま、アゴがピンチになった時は助けにいってあげよっかな~とか思ったけどね~」
「お前に助けられるような俺様じゃねーっての!」
ニヤニヤとからかう様な視線を送るテルシェに、バジルが大人げなく指を突き付ける。
「そうだな、お前が危うく火炎放射機に燃料を足し忘れそうになったという事を……コンラッドから聞いたが、それは黙っておこうか」
「ちょっ、ジューダスの旦那ぁ! 言ってる、言ってるから!」
「皆元気だねぇ~」
ジューダスのちくりとした密告に顔を真っ赤にさせるバジル。それをふわふわと宙から眺めながら、リンジーは皆が無事である事に幸せそうに微笑む。
「全く……呑気な奴等だ」
和気藹々とした空気の中、唯一溜息を吐いたコンラッドは眉間に皺を寄せながら、ハーティの怪我を診る。
「まあまあ、コンラ君。大事にならずに済んだんですから、素直に喜びましょう?」
「一番の重傷人がよく言うよ……」
コンラッドが呆れるのも無理はない事で、医者に掛る必要こそ無いもののハーティの負傷は戦闘に関わった者の中で最も手酷いものだった。切り傷と痣が体のあちらこちらに点在し、ハーティの細い体を痛々しく彩っている。
コンラッドの言葉に、ハーティは情けない顔で俯いてしまう。
「すみません……お役に立てず……用心棒として雇って頂いているのに、私……」
尻すぼみにか細くなっていくハーティの声に、周囲の者が慌てて元気づけようとする。
「そ、そんな事ないよ! 一番に乗り込んでくハーティ、すっごくかっこ良かったよ! ね、アゴっ!」
「そーだぜハーティ! お前が時間稼ぎしてくれたお陰で、俺ァ武器を準備する時間が取れたんだからな、大手柄だっての!」
「ハーティちゃん、元気だしてっ、あの男の人が凄かっただけだよおっ、名誉の負傷だって!」
「コンラッド。お前の発言のせいだろう。紳士であるならば彼女に謝れ」
「お、オレは別にそんな意味で言った訳じゃあっ!」
ジューダスの促す言葉を切っ掛けに、ジロリと数人の視線がコンラッドに集まる。反論を続けようとしていたコンラッドだが、自分を責める眼光にたじたじとなる。
『ハーティ、お前はよくやってくれた。不利な相手にも関わらず、勇敢に立ち向かった。そう自分を責めるな。コンラッドも、お前の事を心配しているだけだ』
「ほ……本当ですか、オーナー……」
ベンジャミンの言葉に、漸くハーティは顔を上げる。
「私……良いんですか? まだここに居ても……給仕も上手くなくて、唯一の取柄も失敗して…………や、やっぱり、く、クビとかあっ!」
『お、落ち着けハーティ。大丈夫だから』
戦闘時に見せた勇ましさは何処へやら、ハーティはすっかり委縮しきり、ベンジャミンの大きく硬い手で頭を撫でられている。
「ハーティの弱気ぶりは相変わらずねぇ、もっとシャキっとすればモテるだろうに、女客から」
「いや、ハーティはその気はねえだろ……無茶言ってやるなよ」
自前で勝手に入れたコーヒーを啜りつつ言うモニカに、キースが突っ込む。
ブラックホース内は、先までの慌ただしさなど無かったかのように、穏やかな空気が流れていた。乗組員達は何時も通りじゃれ合い、少ない客達もそれにつられて笑う。だが、本当の問題は何一つ解決していない。帝国都市の追手達は未だ健在だ。一度は撃退出来たが、襲撃は再びあるだろう。次には更に装備を整えてくるかも知れない。その時、再び勝利出来るかは解らない。
「――巻き込んで、ごめんなさい」
ぽつりと、マリアベルの口から、小さな声が漏れた。本来なら、当事者であるのはマリアベルただ一人の筈なのだ。共にいるシルベスターですら巻き込まれたに過ぎない、それを、全くの他人である人達、それもこんなに親切にしてくれる彼等を関わらせてしまった。
マリアベルの小さな懺悔に、だが誰も文句を言う事はなかった。不機嫌そうにしているコンラッドでさえも、何かを言おうとする気配はない。
ベンジャミンの漆黒の体躯が重たげに動き、その明るく青い瞳がマリアベルを見る。
『なぁに、言っただろう。この列車は揉め事にはなれている――と。君達の事情を知っていて乗車させたのはオーナーであるワタシの決定だ。この列車に於いてはワタシが最高権力者、お客様とは言え、ワタシの決定には納得して頂かなければ困るね、レディ?』
全身を機械で覆っているベンジャミンの表情は解らない。けれど、その重厚な金属の兜の向こうで、彼が微笑んでいるのを、確かに感じる事が出来た。
「有難う御座います、ベンジャミンさん」
マリアベルが少し安堵したのを見て、シルベスターが感謝を告げると、ベンジャミンは何て事はないと言うように、笑い声を上げた。
『何、この年になると若い者の応援をする事くらいしか、する事がなくなるのさ』
「オーナーの場合、年齢不詳も良いとこですけどねえ?」
頭の先から爪先まで、全身を機械仕掛けの黒い鎧で包んだベンジャミンの姿を丹念に眺めながらバジルが言い、周囲から笑いを誘う。
「大丈夫ですよ、ミス・マリアベル」
何時の間にか、マリアベルの傍らに立ったバレルが顔を向け、話しかける。
「このブラックホースには自分の利だけを追求出来る程、頭の良い人間は居ませんから」
暫くマリアベルは何事かを考え――そして、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、私――知りたいの、私が狙われる理由を」
少女は言う、自分の気持ちを。
「確かに――私には少し特別な力があるみたいだけど、でも、それは誰かが必死になって欲しがるようなものじゃない」
――マリアベルの能力。それはただ、機械の気持ちが解るという、それだけのもの。人並み以上に優れたものなど他には持たないし、唯一の能力も本当にただ「解る」だけで、機械に対して何らかの影響を与えたり、思うが侭に操れたりする訳ではない。
だから思う、何故と。一体何を求めて、彼等はマリアベルを必要とするのか。
「知って……それで、どうにかしたい、今の状況を。……出来るか解らないけど、何もしなければそれこそ始まらないから」
少女の決意を聞き、ベンジャミンがなら、と口を出す。
『それなら、ここは丁度良い場所だ。何せ多くの知識が集まる街だ、キミの求める情報も探し易かろう。幸いワタシの知人も居る事だから、紹介しよう。キミの力になれるはずだ』
ベンジャミンの言葉に、マリアベルの顔がぱあっと明るくなる。それを見て、シルベスターも負けじと手を握る。
「よーし、じゃあマリィ、一緒に街に行こう! ベンジャミンさんの知り合いの人に会いにさ」
「うん、シルベスター」
にっこりと微笑んだマリアベルを見て、シルベスターはああ良かったと安堵する――が。
「いいえ、申し訳ありませんが、ミスター・シルベスターは私と一緒にこちらへ」
「えっ」
意気込んだ刹那、ひょいとバレルに首根っこを掴み上げられ、シルベスターは思わず頓狂な声を上げる。
「おいバレルっ!? 一体何をっ!」
「……シルベスターさんには大事な仕事があるのです」
バレルの真剣な声に、困惑しつつもシルベスターはその大きなアイセンサーを見返す。
重い口調で、ノイズ混じりの音声はシルベスターに告げる。
「貴方の力が必要なのです」
「えっ、でも、俺はマリィを……」
「貴方にしか、出来ない事です」
しどろもどろとしたシルベスターの言い訳に、キッパリと
「うー……判ったよ……で、その俺の力が必要って、一体……」
シルベスターは頭を捻るが、自分が出来そうな事などとんと思いつかない。マリアベルへ捧げる詩で一冊の本を作れと言われればそれはシルベスターにしか出来ない事だろうが、そんなものの需要があると考える程色ボケはしていなかった。
シルベスターの疑問に、バレルはその表情の読めない顔に強い眼光を宿らせる。
一体何を告げられるのか。シルベスターは緊張した面持ちでバレルの言葉を待ち――そして、バレルが一言、それを告げる。
「破壊された屋根の修理です」
…………。…………。
そうだった。例の帝国都市の追手の襲撃で爆破された八号車と九号車の屋根は、ぽっかりと大穴が空いた侭なのだった。今は街の駅の中に居るから良いが、何れはまた外を走る。その時に天井が壊れた侭というのは些か便利が悪かろう。
空になったカップを指で弄りながら、モニカも言う。
「そうよねー。アンタ等が原因で変な奴等が襲ってきたり、客車がぶっ壊れる位は慣れてるから誰も気にしないけどさぁ、修理くらいは請け負うべきよね」
「うむ。私は乗務員では無いが、自分の乗っている列車の屋根が一部とはいえ半壊しているというのは、余り気持の良いものではないな」
ジューダスもそれに続いて苦言を呈する。言い返す言葉もなく、シルベスターは歯噛みするが正しいのは全面的にあちらである。
そんなシルベスターを慰めようとふわりと舞い降りた幽霊・モニカがその透けた手をぱたぱたと目の前で振る。
「大丈夫! わたしもお手伝いするよ~、落ち込まないで」
「そーそ、手伝いはしないが、間食くらいは差し入れてやるから頑張れ若者!」
「あ、私も……」
「ハーティは安静にしておく!」
「ご……ごめんなさいコンラ君……」
リンジーやバジルの言葉に便乗しようとしたハーティだったが、コンラッドから厳しい叱責を受け、またもや落ち込む。
「そういう訳ですから、ミス・マリアベル。申し訳有りませんが、暫く彼をお借りします」
「それは良いけど……」
自分も手伝った方が良いのだろうかと考えるマリアベルに、勢いよく声を上げたのはテルシェだった。
「だーいじょうぶ! マリアベルの付き添いはおじいちゃんの代わりにあたしがしてあげるから!」
「貴方が?」
きょとんと聞き返すマリアベルに、テルシェは大きく頷く。
「あたしは将来おじいちゃんのブラックホースを継ぐの! だからこうやって、今から練習しないとね。任せて、学園都市なら何回か来た事あるから!」
それに慌てたのはシルベスターだ。
「いや待て待てっ、未だ追手は居るんだぞ? それなのに、マリィとその子だけで街へ行くっていうのか? せめて誰か付き添いとか……」
シルベスターの心配に、ベンジャミンが落ち着いた声で答える。
『安心し給え。学園都市は非常に治安の良い街だ。何せ、世界中から前途有望な若者を預かっているのだからな。問題があれば多くの都市を敵に回すことになり、この学園都市の主要な要素である学生達は大幅に減るだろう。それを防ぐ為、この街は多くの財政を警備へと注ぎ込み、他に類を見ない情勢の良さを誇っている。騒ぎを起こせば直ぐに警備員が駆け付けるシステムだ。心配せずに見送ると良い』
「そ、だからシルベスターは安心して客車の修理をしてきなさい! マリアベルはあたしがちゃんとおじいちゃんの友達の所まで届けてあげるから!」
祖父と孫の血縁タッグからの死刑宣告。これ以上の反論は不可能だった。
「まりぃいいい――――!」
切ない悲鳴を上げながらバレルに運ばれていくシルベスターの前で、無情な音を立て、食堂車の扉は閉ざされたのであった……。
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