大陸横断列車 ブラックホース 07
次の車両は食堂車だった。先程までとは打って変わり、華やかに飾られたテーブルや照明などの装飾が三人の前に広がる。
「今回は余り人が居ないと聞きましたが、もう二人も交戦しちまいました。このペースじゃ手間ァ掛りますよ。目的の……<ヘパイストス>とやらは、何処らに居るんです、大佐」
「さて、ガーティからの通信に因ると、前方車両らしいが……対象は動くモノだから、手を抜かず虱潰しに探せ、との事だよ」
不機嫌そうに尋ねる禿頭の男。バートラムが宥めるようにそれに答える。
「面倒くさい仕事が回って来るのは何時もの事よ。気楽に行きましょう? 目的の半分は手に入れたんだから。苛々すると効率が落ちるわよ」
女も同様に、自分達が、本来ならば何ら関わりの無いただの旅行列車を襲撃しているという事を気にした風もなく、当たり前のように男へと言った。
「……ま、そうだな。いざとなったらフェイも居る。俺達は出来る事をするまで、か」
「そうそ。それに、ココに幾らか手強い奴が居たからって、結局ターゲットはひ弱な女の子一人。捕まえてさえしまえば直ぐに事は片付くわ」
「――おっと、そうはいかせねえ」
その声は彼等の後ろから。大陸横断鉄道ブラックホース、その食堂車にある小さなコンパーメントの扉が開き、中から三十代程の金髪の男が出てくる。男は真っ白な料理人の服を纏い、それには似つかわぬ、大きく無骨な黒い金属の塊を手にしていた。
「人んちの列車ズカズカ踏み込んで、うちの給仕を好き勝手してくれたみたいじゃねえか。その上大事な
「台詞が陳腐極まりないなぁ……あと
ビシリと三人へと指を突き付けるバジルに、傍らに顔を出すコンラッドが溜息を吐く。
対する軍人三人は一瞬顔を見合わせ、それから禿頭の巨漢だけがしっかりと食堂車を城とする二人の男、バジルとコンラッドへと向き直った。
「大佐、ココは俺が。大佐達は先に行って下せえ」
「大丈夫なの? あっち、武器持ってるけど」
「何、あいつら二人くらい問題ない、」
男の言葉を聞き、かったるそうにコンラッドが手を振る。
「あー、違う違う。相手をするのはこっちのコックだけ。悪いけど俺はこういう馬鹿げた騒ぎは嫌いなんだよ。後は宜しくバジルの旦那」
誰が止める間もなく、そう言うとコンラッドは素早く列車の窓を開き、身を乗り出す。
「おいコンラァ! 手前逃げるんじゃねえ!」
バジルが味方に掛けるべきではない台詞を浴びせるが、時既に遅し、コンラッドは身軽く屋根の上に飛び乗り車内から脱出してしまっていた。
敵が一人減った事を確認し、バートラムはそれでは、と呟く。
「さて。一人になってくれた事だし、ここはチェスに任せよう」
「っ、いかせるかよおおお!」
くるりと背を向けるバートラムに、バジルは手に持った黒鋼の武器のレバーを引く――だがしかしそれが火を噴く前に、立ち去るバートラムを庇うようにしてチェスターがその射線上へと割り込んだ。
「貴様の相手は俺だ。俺の名に掛けて、大佐には怪我一つ負わせん。俺を打倒してみろ料理人!」
「チッ、図体のデカさだけで
始まった食堂車からの戦闘音を背に、バートラムとリィンは足を急がせる。想定はしていたが、この様子では列車全体がターゲットの味方と言っても良いようだった。これからも現れるだろう妨害に時間を取られるのは想像に難くない。ならば少しでも早く進んでおきたい。
だがしかし、矢張りと言うべきか、先へと進まんとする二人の前に、立ちはだかる者が居た。
――それは黒色。
――それは巨にして人と異なるもの。
――それでいて……それは人である者。
『此処よりは――ワタシが相手をしよう、招かれざる客達よ』
低くくぐもった声が、金属の体から発せられた。重鈍なる鋼鉄の鎧が、扉の前に頑と聳え立つ。武器は何も持たず、ただ身を覆う鎧一つ携えて。だがその威圧感たるや――。
『否――招かれたからこそか。だが今は些細な事だ……。――ワタシはベンジャミン・コールドマン。この列車の所有者として、貴殿等を排除する』
大きく腕を振り上げるベンジャミンを見、リィンは大佐の方へと顔を向ける。
「今度は、私の出番のようね。大佐、ここは私にお任せ下さいな?」
「しかし……」
チェスターの時は何も言わなかったバートラムだが、流石に今度は渋面を浮かべる。対峙する相手は全身を分厚い金属の鎧で覆い、幾ら訓練を受けた軍人とは言え生身の体で楽に戦える訳がない。
「大丈夫、下手を打ったりはしないわ。今までだってそうだったでしょう? ……ただ、その代わり……大佐がピンチになっても私の助けは期待しないで欲しいかしら?」
リィンの冗談に、やれやれとバートラムは首を振る。
「仕方がない……任せるぞ、リィン」
『抜けると言うか、ワタシを』
ベンジャミンが両腕を広く構える。
――狭い廊下に、鋼鉄の巨体。道幅の殆どはベンジャミンの体で塞がれている。加えて彼がその腕を構える事により、事実上通るべき道を完封されたも同然だった。だが――方法はある。体を入れる隙間が無いのなら、隙間を塞いでいるモノを壊せば良い――!
通るべきルートを見極め、バートラムは駆け出した。今この瞬間に全力を出し、目指すはベンジャミンの巨躯、その右下へ! ベンジャミンの太い腕がバートラムへと伸びる。捉えようとする手、それにバートラムは素早く腰の剣を引き抜き、思い切り間接へと叩きつける!
ガィィィイイン!
鬩ぎ合う力と力に両者の動きが止まる。だがそれは一瞬だけの事、すぐさまベンジャミンはもう片方の腕を伸ばし、バートラムを抑え込もうとする――――だがそれは鋭い一撃によって弾かれた。
『っ!?』
「私を忘れて貰うには……ちょっと早いんじゃない?」
リィンが投げつけた金属の断片が、ぽとりと床に落ちる。その刹那生じた隙に、バートラムはベンジャミンの左腕へと食い込ませた剣を返し、その背後にあった扉へと飛び込んでいった。
それは見事と言える、あっというまの所業だった。
深くは無いとはいえ傷を付けられた金属の両腕を見、ベンジャミンは驚嘆を浮かべる。
『……やるな、あの若者』
「そうよ、我等が大将さまだもの、見くびらないで」
『仕方がない。欲の熊鷹股裂くる――君の相手のみに専念した方が賢明か』
ぎしりと金属が軋み、ベンジャミンの仄明るく光る機械の目がリィンを見据える。一部の隙もない全身鎧。リィンは口元を歪める。
「やれやれ……さっきの、チェスターと代わっておけば良かったわ」
愚痴を溢しながら構える腕には、先程投げたものと同じ、大刃のアーミーナイフ。人間相手には便利なのだが――今回に至っては、相手が違う。溜息吐いて、けれど一歩も引かず。
「私だけ随分と……不利ねえ?」
苦笑いしながら、リィンは行動を開始した。
ブラックホースが襲撃を受けてから数十分が経とうとしていた。その中で二つの戦闘が終了し、今また二つの熾烈な攻防戦が繰り広げられている。磨き上げられた飴色の床を、土で汚れた無骨なブーツで踏み締め、バートラムは先を急ぐ。
途中、幾つかの客室を捜索したが、そのどれにも人の気配はなかった。確かに、今回この列車は乗客が少ないらしい。色々な意味で、好都合と言えた。
三台目の車両を精査し終え、バートラムは車両と車両を繋ぐ扉へと向かう。今まで通ってきた車数から考えて、次は先頭車両の筈だ。
カツン……カツン……。
人気のない廊下の中、バートラムの足音だけが響く。
そして重い扉に手を掛けると、彼は一気にそれを引き開けた。
そこに――。
◆ ◆ ◆
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
ブラックホースは走る、定められたレールの上を、激しい熱を内に灯して。漆黒の鉄馬車は走り続ける。鋼鉄の車輪を軋ませ、先へ、先へ。それを望むから、それを望まれたから。
揺れる車内、豪奢な廊下の中央で青年は立っていた。
その隣に、これまで常に傍らに居た少女の姿は無い。そこにはただ彼だけが居る。
中途半端に延ばされた茶色の髪。すっきりと纏めた特徴の無いシャツにズボン。何処にでも居るような、男だ。何処にでも在るような、男だ。唯一奇妙な所があるとすれば、何故か分厚いフライパンと火掻き棒をそれぞれ一つずつ握っている事だけだ。
けれど、その瞳は容姿に似合わぬ強さで先を見据えている。彼にとっては、自分の為すべき事は決まりきっている。あの少女の微笑みを見た時から、彼のすべき事は未来永劫定まったのだ。
――彼女を、守ると。
そして――シルベスターは、己と対峙するものを確と見た。
「君は――」
帝国都市、自治軍第三部隊に所属する男、バートラム・ザック・ノエル。扉を開き、今まさにシルベスターの前に現れた彼は、ぐるりと一通り車内を見渡し、そこに目標の少女が居ない事を確認する。――隠れた、か。
「君は、ヘパイストスと一緒に居た人間だな」
「ヘパイストス?」
耳慣れない単語に、思わず聞き返すシルベスターにバートラムが答える。
「ああ……君には解らないな。コード・ヘパイストス……君の知る少女、マリアベル・ファティマの暗号名、と言った所だ。深い意味は無い」
「マリィはマリィだ。本名が解ってるならそう呼べば良いだろ」
「そこらへんはホラ、名前のままだと隊員とかと間違える事もあるからね。正しい情報共有の為の措置だ。それに――」
少し言い淀むと、バートラムは困った様に笑ってからシルベスターに告げる。
「余り、ターゲットに感情移入すべきでは無いからね」
次の瞬間、バートラムは己の武器を抜刀し、シルベスターへと力強く振り抜いていた。
――ガギィン!
だがシルベスターもさるもので、バートラムの剣線を見抜き、フライパンの鍋部分と柄の接合面で確りと受け止める。金属と金属が交わる音がし、二つの道具がきりきりと軋む。
鍔迫り合いを続けながら、二人の男は静かに睨み合う。
「すまない、名乗るのを忘れていた。私はバートラム・ザック・ノエル。帝国都市第三部隊隊長を務めている」
「そうか! 俺はシルベスター・A・ロンド、マリアベル・ファティマの恋人だ!」
「結構。それでは躊躇う理由もないな」
お互いに、と言うとバートラムは手元に注意を取られたシルベスターの腹部を蹴り飛ばす。寸前で後退しようとしたシルベスターだが間に合わず、硬いブーツの底を喰らって床に転がる。
追撃せんと剣を振るうバートラム。
――その攻撃を、避けるか、受けるか。
一瞬の判断。だがシルベスターはそのどちらもせず、振り下ろされる剣先を、横から殴りつけた。
――ゴィン!
思わぬ方向からの攻撃に力のベクトルをずらされバートラムが次の動きを判断出来ずにいる刹那の隙に、シルベスターはその胴体めがけて火掻き棒を突き出す!
「っ!」
流石に危ないと判断したのか、バートラムは急いで地を蹴るとシルベスターの攻撃範囲から離脱する。立ちあがるシルベスターと少し糸の解れた自分の軍服を見、バートラムは唇を舐める。
「……最初の防御、棒ではなくフライパンを選んだのは正解だな。剣先の移動方向が限られる」
「…………」
「次の攻撃。斬撃に対して、横から狙うなんて中々出来る事じゃない。狙いの良さだけでなく、度胸がある」
一歩間違えれば攻撃が直撃する事になるのだ。余程の自信が伴わなければ実行出来るものではない。己が受けた攻撃を一つ一つ数え上げ、バートラムは構えを解かないシルベスターへと目を合わせる。
「それだけの技術を持ち得ながら、武器が日用品とは、惜しいな」
「しょうがない、これしか無かったからな」
フライパンはひょっこりと現れたコンラッドが何も無いよりはマシだろうと届けてくれたもの。火掻き棒は、隣の機関車両から拝借しただけのものだ。バートラムの剣と比べて貧弱なだけではなく、本当に即席で揃えたものばかりだ。本職の者と戦うには余りにも馬鹿げた装備だと言えよう。
何か仕掛けでもあるのかとバートラムもつぶさに観察してみたが、それらしき仕様は見当たらない。どちらも何の変哲もないフライパンと火掻き棒なのだ。
「それなりに頑丈そうではあるが……それで私に勝てる算段が?」
「出来るかじゃねえ、やるかやらないだ!!」
次に先手を取ったのはシルベスターの方だった。火掻き棒の細さを生かし、拙速を以て鋭く鉤を振るう。それをバートラムは軽く剣でいなし、突き出された腕に斬りかかる。
「……っ!」
シルベスターの腕に熱が走る。慌てて遠心力に任せてフライパンを振るい、追撃を防ぐ。
「惜しい、もう少しで左腕を貰えたのにな」
「はっ、気のせいだろ!」
再度、剣と料理器具が重く交差する。ギリギリギリ……鉄と鉄が擦れ合い、摩擦で火花が散る。鬩ぎ合う力と力。どちらも相手の出方を伺いながら現状を維持し続ける。
「君は――彼女が狙われる理由を知っているか?」
バートラムが問いを投げかける。何を意図したものか解らなかったがシルベスターは一言でそれに答える。
「いいや、全ッ然!」
「そうか……」
返ってきた答えに何故か残念そうに呟くと、バートラムは膠着状態を解くべく、噛み合うフライパンを強く押し弾いた。シルベスターは構えは崩さず態勢を整えると、床を蹴り今度は二つの武器を二刀流のように繰り出した。
ガギィン!
打ち合う鉄と鉄。離れたかと思うと、どちらからともなくまた激しくぶつかり合う。
「俺がお前らについて知ってるのは! いたいけな少女を、集団ストーカーしてる変態野郎共って事だけだよ!」
「ストーカー? 違うな、誘拐未遂だ」
「自分で言うなっ!」
「自分の仕事の性質を理解していないというのは問題だと思うがね」
シルベスターの突っ込みに淡々とそう返すと、バートラムは鋭く刃先を切り返す。
「フン……道理も矜持もすっかり捨てているらしいな、アンタ等は」
「それは君も同じだろう? 君も私も――他の誰のものでもない、自分の信念の為に動いている」
ガン! と一段と強い攻撃がシルベスターの持つ火掻き棒を弾き飛ばす。続いてバートラムの剣はシルベスターの右腕を落とさんと振るわれるが、寸での所でフライパンの鍋底がそれを防ぐ。
「君に譲れないものがある様に、私にも譲れないものがある」
フライパンの底を打ち砕かん強さでバートラムの剣が圧迫する。
「私の仕事は国からの命を全うする事。国からの命令、即ちその結果は我が祖国の為のもの、引いては祖国の民の為のもの!」
シルベスターが息を呑む。――まずい、この侭では。
ゴリゴリと押し付けられる力が青年に逃げる隙を与えない。防御に徹するのが精一杯の中、嫌な汗が滲む。そして――ピシリ。何度もの攻撃に疲弊した料理器具が小さく罅割れる。それを確認すると、バートラムは止めとばかりに力を込め――終に、シルベスターの最後の砦が打ち砕かれた。
「――私は、己が自己満足の道理の為に国益を損なう程、安い矜持は持ち合わせていない」
高々とそう宣言すると、バートラムは無防備になったシルベスターを行動不能に追い込む為の一撃を振るう。バートラムの剣が、シルベスターの体を切り裂かんと牙を向く――
「――待ちなさい」
勝者の剣が敗者を打ちのめす寸前、鈴のような声がその車両内の時を止めた。
ピタリと止まった刃先。けれどシルベスターの目は自分への凶刃よりも、その向こうにある一人の姿――この場を止めた少女のそれへと向けられていた。
「――マリィ……」
柔らかな白い髪に、その印象を損ねない同じく白で統一された服。野に咲く花の様な暖かな純白さを印象付けるその少女はしかし、今はただ一つ、その手に真黒の金属を握りしめていた。
少女に背面を向けた侭のバートラムには解らなかったが、それは帝国都市軍で多く配給されている型の拳銃だった。
「――間に合って良かった。コレ、貴方の部下から借りたの」
それはつまり、少なくともリィンとチェスター、そのどちらかが敗れたという事。
「それ以上、貴方がシルベスターに危害を加えれば。若しくは一歩でもこちらを振り向こうものなら。私は貴方を撃つよ」
「……ヘパイス……トス……」
シルベスターに剣を向けたポーズの侭、バートラムは先程とは一転、表情を引き攣らせる。
ヘパイストス――本名、マリアベル・ファティマ。バートラム達が求めていた少女。対峙する青年が隠したと思っていた少女。
隠されたのではない、この少女は自ら隠れたのだ。それもただの逃避ではなく、潜伏と言った方が正しい。自分がターゲットである事を利用して、か弱い女である事を利用して、この鋼鉄の塊の何処かに怯え隠れたと見せかけて、攻撃の機を伺う為に、少女は青年から離れたのだ。
「貴方達は、そう呼ぶんだってね。別に、それで私は構わないけど」
少女の腕には重い銃口をバートラムから僅かもずらさず、マリアベルは告げる。
「私は撃つよ。貴方が私からシルベスターを奪おうとするなら、シルベスターから私を奪おうとするなら。私は絶対に躊躇わない。小娘が撃てやしないだなんて、思わない方が良いよ」
――
――
少女は歌一つ、口ずさんで。
「私はシルベスター程、やさしくないの」
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