大陸横断列車 ブラックホース 06


 ――そこは、広い部屋だった。


 天井は小さな家なら丸々一つ入るだろうという程に高く、床は更に二つはそれを並べれるだろうという程に広い。磨き上げられた床石と柱や天井に所狭しと彫り込まれた雄大な彫刻が、その部屋が崇拝されるべき高貴な場所である事を示しており、壁際には木造の巨大な本棚がずらりと並べられ、その中には悉く分厚く古めかしい本が収められている。


 部屋の片面は大きなガラス張りで、外の日光を室内へ齎している。

 だが――これだけ人の労力が込められ、暖かな光すらあるというのに、この巨大な部屋は何処か寒々しい。それは部屋の持つ威圧のせいでは、決してない。


 カリカリ……カリカリ……


 この場にある数少ない調度品、頑健な本棚の前に置かれた書物机で、一人の男がペンを走らせている。男の前にあるのは何の変哲もない書類。彼はただ、何時もと同じ様にそれらを処理してゆく。それが、彼の為すべき執務だからだ。


 カリカリ……カリカリ……


 男は機械の様に正確に、書類を片付けてゆく。だがしかし、同じ様な物が彼の周りには山と積まれ、それは何時終わるとも知れない。

 けれど男は苦痛の素振りすら見せず、淡々とそれをこなす。

 何故ならそれは必要な事だから。誰にとっても。彼にとっても。……そう、


 ――ああ、暗い。

 ここは、何て暗いのだ――――


 ◆ ◆ ◆


 ――走る。走る。給仕の制服を翻しながら、ハーティは人気の無い列車を駆け抜ける。当然ながら既に異常は他の乗務員にも伝わっており、彼等はベンジャミンの指示に従い各自の用意を始めている。


 ――お客様が少ない時で良かった。


 震源を目指しながら、ハーティはそう思う。

 ブラックホースが厄介事を抱え込むのは日常茶飯事であるし、その事をハーティが不満に思った事は無いが、だからと言ってただ旅行を楽しみに来た無関係な客を巻き込んでしまうのは望むところではない。


 今回の事は――十中八九、あの若いカップルが原因なのだろう。彼等が訳ありである事はハーティも聞かされている。それがどんな理由かは知らないが、そんな事は問題ではなかった。


 この列車の持ち主であるベンジャミンが彼等の乗車を許可したという事を除いても――彼等が悪い人物であるとは、ハーティには思えなかった。

 だから、彼女は走る。彼女の役目を果たす為に。

 バタンと大きな音を立て、平時の彼女ならしない様なぞんざいな遣り方で何枚目かの扉を抜ける。この先は九号車。音の響きからして、そろそろ原因の車両だと気を引き締めて、ハーティは一歩を踏み出す――


「おっと、そこで止まって貰おうか、お譲さん」

「――!」


 ぴたりと、その声と同時にハーティの動きが止まる。

 九号車。修理用の大道具などを積み込んだ、倉庫車両――そこに、彼女の見知らぬ男が居た。


 若い男だった。まだ三十は超えてないだろうその男は、何処かの軍服らしきものを身に纏い、九号車の中心に立っている。服の胸元や肩口の階級章などから、年齢にそぐわない高い地位に居るのだと察する事が出来る。


 九号車の天井はその半分が破壊されており、恐らく先程の轟音はこれを壊した音なのだろう。


「チッ……大佐、予定より早く見付かっちまいましたね」


 ひょっこりと屋根の穴から別の大柄な男が顔を出し、面倒くさそうに眉間に皺を寄せた。その横から今度は女が同じ様に頭を並べ、車内を覗き込む。


「あらら、どうするの? 大佐。ってまあ今更引く訳にもいかないけど」

「なぁに、この程度は予想の範囲内、問題ない」


 ひらひらと天井の二人に手を振り、大佐と呼ばれた男は微塵も慌てる事なく笑いかける。


「貴方達は……何者ですか」


 来る途中で引っ掴んだ鉄製のモップの柄をを構えながら、ハーティが問いかける。対峙する男は対照的に体の力を抜いた侭、それに答える。


「ま、見ての通り我々は軍人――帝国都市に所属する遊撃部隊、と言った所か」

「帝国――――」


 帝国都市。厳しい北の大地に位置するという、唯一<国>の名を称する街。


「この列車に、二つ程預かりたいモノがあってね。大人しく協力してくれるなら手荒な真似はしないと約束するが――」


 そこ迄言ってから、構えを緩める気配のないハーティを見、男は困った様に笑う。


「ま――勿論そうはいかないよな」

「当然です……!」


 ハーティの返答に、仕方ないな、と呟くと男は羽織ったコートを捲りあげ――その下にある一本の剣へと手を掛けた。


「剣……?」


 ハーティが浮かべた怪訝な顔にも、男はただ静かに口の端を上げるだけだ。

 機械都市から始まった技術革新は、勿論身の回りの補助をするものだけに及んだのでは無かった。洗濯機や掃除機等の家庭製品が大いに発達した一方で、武器等もそれと同等の進歩をしている。


 銃の性能は三十年前から格段に向上し、警邏に於いても最早銃を持つのが当然だ。とりわけ、機械都市に次ぐ高度技術を持つ帝国都市の軍であれば、高性能な銃が配給されている筈だ。それなのに、何故この男は今や物語の中にしかないような剣を携えているのか。


「言っても無意味だろうが……私は給仕の君が敵うような相手ではないよ、御譲さん」


 自信と幾らかの配慮を込めて、男は給仕服姿のハーティへと告げる。だが、ハーティは男の言葉を否定する。


「その事なら御心配ありません。私は、これでも――ここの用心棒ですから」


 お前では勝てぬと告げる敵を前にして、淀みなくハーティはそう宣言する。その強い意志を受け、男は少しかぶりを振ると手にした剣の柄を握りなおす。


「そこ迄言うのなら……君の矜持を買おう。――私は、帝国都市第三部隊隊長、バートラム・ザック・ノエル。我がめいを全うする為、そこを通して貰う」

「私は――――私は、ハーティ。ハーティ・クレタ・ヘッセル、このブラックホースの給仕兼用心棒です」


 次の瞬間、二人は同時に床を蹴っていた。


 ◆ ◆ ◆


 バレルが八号車に足を踏み入れた時、二度目の爆発音が車内を揺らした。自駆機械オートマタである故の反射性能を生かし、バランスを崩す事は無かったが、代わりに彼はぽっかりと穴の開けられた八号車の天井に気付かざるを得なかった。


「オイオイ、さっきからタイミングが最悪だなあ、っと」


 低い男の声が聞こえたかと思うと、何かが重い音を立てて屋根の穴から車内へと落ちた。

 それは人間だった。それも只の人間ではなく、一般のそれと比べかなりの巨体を誇る男だった。先程会ったブラックホースの機関士であるキースもそれなりの体格だが、現れた男は彼を優に超える。二メートルはあろうかという身長はあと少しで室内の高さにも届きそうで、逞しく鍛え上げられた筋肉を持つ体は少しばかり窮屈そうに通路へと収まっている。体躯もさる事ながら、剃り上げた禿頭がより男の威圧感を強調している。


「ギリギリセーフでしょ、今回は。寧ろラッキーかもよ?」


 更にもう一人、同じ様にして上からすとんと降りてくる。今度の人間は女で、禿頭の男とは対照的に軽やかに着地する。屋根の上で吹き付ける風によって乱れた長い黒髪を手早く整えると、女は妖艶な笑みを浮かべ、バレルを見る。


 片や剛健さを体現したとも言える、オトコという要素を須らく強調した男。片や妖しげとも言える美しさを振り撒く、オンナという要素を強調した女。正反対と言える二人だが、たった一つ共通する点は、それは彼等が同じ作りの軍服を纏っているという事だった。


「矢張り――帝国軍所属の方々ですね」


 状況を察したバレルは鋭く単眼を光らせ、自らの体内にある幾つかのシステムを駆動させる。


 ――戦闘用武装開錠コードアクションパーミット


 通常時には使用していない部品が熱を持って動く。バレルの装甲や背面に装備された無骨な機関にエネルギーが流入し、金属と金属の間の切れ目が開こうとする――だが。


「やめて置いた方が良いわよ? この車両ごとぶっ潰す積りなら、話は別だけど」

「……っ……」


 女の声に、バレルの武装展開が途中で止まる。


「貴方の武装については調べがついてるのよね。B‐13型軍用自駆機械オートマタ、バレルテーゼ。その主な機能は高威力のエネルギー弾による重火器攻撃である――ってね」


 攻撃の手を止めた侭、表情無く停止するバレルに女は笑う。


「この狭い列車の中で貴方が攻撃なんかしたらどうなるか、勿論解ってるわよね。貴方のAIはそこ迄無能じゃない筈よ」


 そこ迄聞いて――――だがしかしバレルは躊躇いなく開きかけた装備を全て解放した。


 ガシャンガシャンガシャン!


 低い金属音と共に、バレルの体に隠されていた幾つもの銃口が一斉に軍人達を捉える。


「申し訳有りませんが。私にも軽装備は存在します」


 告げると同時に全ての砲身バレルが淡く輝き、内部に凝縮した熱を解き放たんと機械を回転させる。


 ――目標照準ターゲットロックオン対象を行動不能へビヘイバイオラルブルキャパシティション


 どんどんとバレルの保持する熱量が上がってゆく。的確に。適正に。敵を処断する為の計算を組み上げてゆく。

全ての事前動作が終了し、バレルの銃口から最小限の負傷で済ませる様、出力の加減されたエネルギーの塊が放たれる――はずだった。だが。


 バチィッ


「――――っ!?」


 大きな音を立て、その場に倒れたのは二人の人間ではなく、優勢にあった筈の自駆機械オートマタだった。己の武装を発射直前の状態迄持ち込んで置きながら――その侭、バレルは無様に床へと這い蹲る。


 その姿を上から見下ろしつつ、女が微笑む。その手には懐から取り出された中型の黒い機械が握られている。


「残念でした。何が起こってるか、解る? コレはね貴方達の電子制御を阻害するもの。ああ細かい仕組みとかは知らないわ、私、理系は全然駄目なのよね。大体電波的なモノだとは思うんだけど……ま、兎に角暴走した自駆機械オートマタを強制的に停止させるモノ、ね。丁度今の貴方みたいに暫くはシステムがビジー状態になって、殆どの動きは取れないわ」


 首だけを何とか動かし、床に転がった侭バレルは彼等を睨む。バレルには表情はないが、そういう心持で人を見る事は出来る。


「私達が知りたかったのはね、貴方がコレに気付けるほど高度な感知センサーを持っていないかどうかって事だけよ、自駆機械オートマタくん?」


 その時、バレルと奇妙な男女が居る八号車の隣、最初の襲撃地たる九号車の扉が開き、一人の男が出てきた。それはバレルがここに着く前、ハーティと対峙していた男、バートラムだ。


「ん……そっちも丁度片付いた様だな」


 腰に剣を差し戻しながら、バートラムはつかつかとバレルへと近づく。その足元の後方に倒れ伏すハーティに気付き、バレルは小さく呻く。


「すまないな、自駆機械オートマタ。こんな姿勢からで。だが君の火力は脅威なのでね、我々には必要な対策だった」


 言うと、バートラムはハーティから奪った鉄のモップの柄を倒れたバレルの胴体部へと突き刺した。


「――っ……」


 バチリと何かが短絡した音がし、今度こそ維持装置を除いたバレルの全機能が次々とダウンしていく。


「今は君より優先すべき対象がある。手荒だが、暫くの間こうしてゆっくりと休んでいたまえ」


 その声がバレルのセンサーに届いたかは定かではない。バートラムはコートの裾を翻すと、傍に待機する二人の部下の間を抜け、次の車両へと進む。


「第二ターゲット確保。これより今回の目的、コード・ヘパイストスの確保に移る」

「りょー解っ」

「了解した」


 返事をし、二人の部下はバートラムの後ろに付き従う。

 後には、アイセンサーから光を失ったバレルだけが取り残された――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る