始まりの機械都市 02

 そこに在るのは粘つくような漆黒だった。

 電灯はない。小さな蝋燭の灯火だけが、その部屋を完全な闇に閉ざすまいとしている。豪奢な部屋だが、僅かな光からではそれは判らない――――。


 絡み付く暗闇の中、一人の男がそこに居る。室内だというのに金属の鎧を被っており、その表情は見えない。男は動かない。じっと、黒い空気と同化している。……それは何かを待つように。


 その目が捉えるモノはただ一つ。その手が掴むのはただ一つ。この閉ざされた闇に横たわるのは、永く胎動しつづける、一つの欲望だけ。

 ――やがて男は己が執務を為すべく、ゆっくりと、その部屋を立ち去った……。


 ◆ ◆ ◆


 二丁目にある大きな煙突の家。それがパン職人、ドゥエイン・アボックの家だ。


「おお、来てくれたか、シルベスター、マリアベル」


 二人が門を潜ると、中年の男が両手を広げてそれを出迎えた。パン作りは意外に力の要る仕事だ。毎日の仕事で鍛えられたアボックの体は程よく筋肉が付き、年による衰えを見せない。


「ただいまー、アボックさん。マリアベル、連れてきたぜ」

「おはよう、アボックさん。話は聞いてるわ」

「おかえりシルベスター。おはようマリアベル。来てくれて嬉しいよ。早速で悪いが、こいつを見てくれないかね」


 アボックが指したのは、庭にある一台の芝刈り機だった。庭はあまり広くなく、けれど咲いている花はささやかながらも見る者の目を楽しませるように出来ている。誰にも丁寧に手入れしてあるのが判る庭だ。その真ん中に、ぽつんと動かない寸断機械が置いてあった。


「どうも調子が悪くてなぁ、電源ランプは点くんだが、それっきりウンともスンとも言いやしない」

「電源は点くのね……うん」


 一言三言何かを呟くと、マリアベルは芝刈り機のスイッチを入れる。灰色だったランプに色が点き、電気が通った事を示す。……だが、それだけだった。馴染みのパン職人の言った通り、機械に動き出す素振りは無い。やっぱり無理かねぇ、とアボックが同じく隣で見守るシルベスターに呟く。


 世界の技術の源たる機械都市とは言え、住人の全てが機械に精通している訳ではない。最先端の技術で作られた精巧な機械が身近にある反面、一度壊れると、例えそれが些細な故障であれ、内部は1mmもない細かなコードが入り組む異世界。


 心理的にも技術的にも、素人には手を付けられるものではないのだ。だから、壊れた機械は専門家に直してもらうしかない。例えばそれはその機械を作ったメーカーだとか――近隣に住まう機械に通じた者だとか。


 男二人が静観する中、マリアベルがそっと停止した機械に触れる。……マリアベルは、機械の事を学問として学んだ事はない。けれど、彼女は別の方法・・・・でそれを学んだ。


「――――」


 耳を澄ませる。それは聞こえぬ声を聞く為に。心を澄ませる。それは見えない欠片を見る為に。籠の中のカナリアの声を聞くように、閉じられた器の中にあるものを。


 機械の心を聴く為に・・・・・・・・・


 誰が信じるだろうか、人の手で作られた無機の絡繰に心など。ましてや人がそれを聴くなどと。けれど少女は確かに言うのだ。幾重ものコードの向こう、電荷の紡ぐその先に、小さな光が鼓動しているのだと。


 ――歌が聴こえる。小さく流れる優しいメロディ。耳に滑り込むその歌は、風に馴染んで四散する。そして一瞬、壊れた筈の機械が僅かに揺れた気がした……。


 三十秒ほどの静寂の後、マリアベルは触れた時と同じように、そっとその機械から手を離した。アボックは半ば夢うつつの様だったが、少女がもう機械に触れて居ない事に気付くと、慌てて目を覚ました。


「……えっと、それでどうだいマリアベル。直りそうかい?」


 心配そう、というより何がどうなっているか解って居ないアボックに、マリアベルは微笑んで大丈夫だと言う。


「ちょっと配線が中で切れ掛けてるだけだって。場所も聞いたから直ぐに直せるよ。工具、ある?」

「ああ、そこに……」

「ほい、マリアベル」


 アボックが指す前に、シルベスターは工具箱を拾い上げ、少女の横に置く。有難う、と言って、マリアベルは芝刈り機の背面を開け、慎重に中へ手を入れた。


 ものの数分で、修理は終わった。


「どう?ちゃんと動いてると思うんだけど」

「おお、凄い! 前みたいにきちんと芝が刈れてる!」


 ぶるるるん、と高らかな唸りと共に、芝刈り機は次々と長く伸びた草を刈っていく。傍から見ていてもその働きは申し分なく好調のようだった。


「んー、流石俺のマリアベル! 凄い凄い! やっぱり職変えた方が良いんじゃ?」

「言いすぎだよ、シルベスター。私は機械の声を聴いてるだけだもの。本職の人とは、比べられないよ」


 抱き寄せたシルベスターの腕の中で少し照れたようにマリアベルが言う。遠慮はしているが、好きな人に褒められて嬉しくない訳はなく、シルベスターもそれを解っているので、暫くは少女を抱き締めるのを止めるつもりはないのだった。


「しかしまぁ、ホント凄いよ、お前は。機械の声を聴くんだっけ? 俺は初めて見たが……」


 芝刈り機を止め、アボックはううんと唸る。彼が見た事は、少女が機械に触れ、そして語り掛けるように歌を歌ったという事だけだ。実際の修理はその後から始まったが、本質的な所はそれだけで全てが済んでしまったのだ。何が起ったか理解出来ていないアボックだったが、あの時に何かが起ったのは理解していた。見えもしないし、聴こえもしない。けれど、彼が知覚出来ない何処かで、何かが起ったのだ、あの時に。


「正に『見えずとも確かにそこに見えるもの』、だな。よし二人とも、修理の礼に朝一番のパンを好きなだけ持って行くと良い! と言ってもま、お前らじゃたかが知れた量だろうがな!」

「よし聞いたなマリアベル! 大きな紙袋の準備は良いか?」

「うん、いつもレジの裏に常備されてるの、知ってるよ」

「ちょっ、こらお前ら! ちょっと本気な顔するんじゃない!」


 二人の悪戯っぽい笑みに、本当に実行に移されるかと慌てるアボック。それを見て、二人は顔を見合わせて笑い、つられて大柄なパン職人も苦笑する。


「まったくお前らは、人を冷や冷やさせるなよ? 折角今日は休みにしてやろうってのに」


 シルベスターが、きょとんと目を丸くする。


「えっと……良いの? 俺、マリアベル呼んで来ただけで何もしてないと思うんだけど」

「なァに、これでお客さんに手入れした庭を見せられるなら安い安い! それに、お前はいっつも真面目に働いてるからな。偶にはマリアベルに時間取ってやれ。パン持って、中央にでも行って来いよ。今、珍しい列車が停まってるらしいぞ。あ。でも今日の朝出るって聞いたから、もう居ないかも――――」


 そこで、ふつとアボックの言葉は途切れた。不自然な切れ方に、二人はアボックを見上げ、そしてその視線がある方向へ向いているのに気付いた。


「…………?」


 煙突の目立つアボック家の門の前。そこに居たのは三人の男だった。全員アボックのようにとはいかないが、それでも充分に鍛錬された体付きをしていて、全員同じ丈夫そうな服を着ていた。二人は三十半ばといった風体だったが、真ん中の一人は彼等より二回り程上で、恐らくこの男が集団の頭なのだと思われた。真黒な髭を蓄えた、いかにも融通の利かなさそうな壮年の男だ。


「……シルベスター……?」


 珍しく険しい顔をしているシルベスターを、マリアベルが心配そうに見上げる。――嫌な予感がしていた。何故だか解らないし、心当たりもない。けれど、シルベスターの心はざわめいていた。そっと、マリアベルの手を掴む。


「失礼」


 ちっとも失礼そうではない口調で、見慣れない服の男は許可もなく門を潜る。部下らしき二人は門の外に立った侭、最年長の男の動向を見ている。


「おい、アンタは何だ? 見慣れないが……兎に角、人の庭に勝手に入るのは感心しないな」


 男は不快そうにアボックを見上げ、やれやれと言わんばかりに口を開く。


「直ぐに済むのでカッカせんで頂きたい。用があるのは貴方では無く――――」


 男の視線が動く。アボックを過ぎ、庭に置いた侭の芝刈機を越え、そして――青年の横に寄りそう、白い少女へ。


「マリアベル・ファティマだな。同行を命ずる」


 他人に命令する事に慣れた口調で、男はそう言った。逆らう余地など残さない、そういった種類の言葉だった。高みから見下ろした言い草に答えたのは、当のマリアベルではなく、シルベスターだった。


「おいアンタ、自分の身分も明かさず、用件も言わず言う事を聞かせようなんてどうかしてるんじゃないのか?」


 男は、初めて認識したとばかりにシルベスターに目をやると、あからさまに見下した表情を浮かべて笑った。


「何だお前こそ、お姫様のヒーロー気取りか? 全く、田舎者は身の程が分からんで困る」


 文句を付けるというよりも優越感を滲ませた声で、男は言う。三人には、男の言わんとする事が理解出来ない。田舎も何も、ここは機械都市。多少治安の悪い箇所もあるが、基本的には都市内どこも住む場所の質に大差はない。


高度に機械が発達していて、公共サービスも満遍なく行き届いている。田舎など区別出来るような差が無いのがこの街だ。何を言っているんだこいつは?と言いたげな三人の視線の中、男は堂々と言い放つ。


「私は大帝国軍、五番隊指揮官アーノルド・スタンガン准将である!此度御国の命により、マリアベル・ファティマを迎えに上がった!」


 宣言と同時に、肩の憲章が太陽の元に照らされる。――帝国。機械都市より遠く北上した土地にあるという大都市。その紋章が、男の軍服に、そして同じ服を着たあとの二人にもしかと刻まれている!


「機械と話す女、情報通りだ。連れて行け」

「させるかあッ!」


 誰より速く動いたのはアボックだった。スタンガンと名乗った男の命令に二人の兵が応えるより早く、アボックは間近に居たその准尉に掴みかかった。予定にない事柄にぎょっとし、命を受けた男二人の動きが止まる。ただの一瞬。けれどその一時の隙は、彼等・・にとっては充分過ぎる程大きなものだった。


「シルベスター! 行け!」


 アボックの言葉と同時か、若しくはそれより早いか。シルベスターはマリアベルの手を引き、庭を飛び出していた。遅れて、兵が慌ててそれを追う。


「ぐ……貴様……ッ」


 標的と部下が消えた道を睨みながら、スタンガンは唸る。抵抗するが、押さえ込む腕は固く、動かない。


「これは国家命令だぞ……一個人の癖に軍人に逆らうかッ!」

「そりゃアンタの国家だろう? ここは機械都市だ……、外の街の奴にうちの従業員とその彼女、好きにさせるかよ!」

「舐めるなパン屋がああアッ!!!!」


 咆哮と共に、スタンガンの右腕が拳底を放つ。それはアボックの額へと直撃し、パン職人の体がよろめいた。捕らえていた腕が緩んだその隙に、スタンガンはアボックの襟元を掴み上げる。――後は一瞬。抗う間も無く、アボックの体は地面へと叩きつけられた。


「ぐ……っ……」

「ふん、イースト菌の相手しかした事がない男が粋がるな。全く……手間取らせおって。ここが他国でなければ即座に軍務妨害で捕らえている所だ」


 ぱんぱん、と手を払うと、倒れ伏したアボックは気に留めず、黒髭の男は中央街へと繋がる道を見据えた。


 走る。走る。走る。二人の追っ手を交わしつつ、建物の間を抜け、石畳の道を男と女は駆ける。


「っ、大丈夫かマリィ!?」

「うん……っ」


 機械と話す女と軍人は言った。何故マリアベルを追うのか。何故少女の能力を欲するのか。二人には判らない。知らない。帝国の事は二人とも詳しくない。何故あんなに必死で追ってくるのか。何か、国家が大変な危機を迎えているのかも知れない。今すぐ、協力が要るのかも知れない――――。


――けれど、否。それは否だとシルベスターの五感が告げる。理屈ではない。論理に則るには情報が足りない。けれど彼が感じたものは、マリアベルを渡すなと言っている。それは危険な事だと告げている。だから彼は走る、少女を連れて。


 見慣れた住宅が、視界の端を流れていく。ドタバタした追走劇をベランダからぽかんと女が眺めていた。シルベスターもマリアベルも地域住民。知り尽くした街の路地を走り、追っ手を撹乱するように逃げる。だが、何時までも逃げ続ける訳にもいかない。人間である以上、体力の限界と言うものが付きまとう。そしてその限界は、彼等二人よりも軍人達の方が遅い。


 道路脇の家の玄関に、水撒き用のバケツが置いてあった。すみません、とシルベスターはそれを掴み、追っ手二人に投げつけた。足元目掛けて飛んできたそれを、一人は慌てて避け、もう一人は避けきれずにすっ転んだ。


「シルベスター、どうしよう、そろそろ……」


 マリアベルが心配そうな声を漏らす。あと少しで住宅地が終わる。そこから先は中央街。中央街に入れば、入り組んだ路地はなく、広く視界の開けた道しかない。


「悪い、良い考えがない……とりあえず、中央は抜けないと……!」


 中央街を抜ければまた住宅街がある。特に南の区域は迷路に住みたかったのだと思うしかない程入り組んでいる。そこに行けば、少なくとも今後の行動を考える時間は出来る――!


 細い道を出て、二人は中央街へと踏み込む。広場には、仕事を始めようという人達がちらほらと集まっていた。手を止め、何事かとその騒ぎを注視する中を、駆け抜ける。


「良い加減止まらんかガキ共!」


 背後から罵声が聞こえた。どうやら男達が追いついて来たようだった。矢張り、基本ポテンシャルの差は埋められない。慣れない悪路とはいえ、兵は体を動かす事が本業なのだから。


 商店の並びを過ぎ、辺りは少し騒がしくなってきていた。服を整え、大きな荷物を運ぶ人々の中、走る男女。二人の視界に、他より一際大きなそして古めかしい建造物が現れる。――駅だ。他都市との交流口。機械都市の玄関。多くの列車を迎え入れる敷地と、それを覆う美しいガラス張りの天井を持った、セントラルステーション。


――ポポーッ。


「? 今のは……」


 空気の篭ったような、独特の音。聞き慣れない者でも判る。知ってさえ居れば、すぐさま悟る。それは、


「汽笛……」


 ――アボックの言葉を思い出す。


 今、珍しい列車が停まってるらしいぞ――

 今日の朝出るって聞いたから――


 そして、パン屋を訪れる前、彼等が上から眺めたものは。


「……ナイス!」


 ニヤリとシルベスターが笑みを浮かべる。自然と、疲労した脚に力が篭る。


「マリィ! こっちだ!!」

「うん……!」


 マリアベルも察していた。列車を待つ人々と、そのトランクを避けながら二人は走る。駅構内を目指して。男二人もそれを追う。だが大柄な体格故か、小回りは苦手らしく、人や荷物にぶつかってしまっていた。追われる側は、更に速度を上げる。二人と二人の距離が開く。


 階段を駆け上げると、改札の向こうに車両があった。だがそれは二人を待つ事はなく、ゆっくりと動き出していた。機械にチケットを通そうとしている人を押し退け、二人は駅員が止める間もなくゲートを踏み越えて行く。男達も、何とか階段を上がるまでは追い付いていた。ここが見せ場とばかりに自慢の体で、やはり駅員を無視して改札を越えた。


 列車が走る。徐々に速度を上げて。一両、二両、三両。シルベスター達の前でどんどんと進んで行く列車。青年と少女は走る。もう客車の扉を潜るのは不可能だ。だから彼等が目指すのは最後のチャンス。最後尾車両にある、観覧デッキに飛び乗る事!二人の目の前に最後の車両が現れる。


 けれど。

 その後ろには、迫る男の手が――――


 チュイン!


 刹那、小さな音と共に男が呻きと共に手を引く。

 追われる二人は気付かない。それが何処から来たものか。

 

 ――そして彼らは、黒き列車に飛び乗った。

 彼らはその時知らなかった。それが、遠い、遠い道のりへの、旅路であることに。



 ◆ ◆ ◆


 別所。活気付き始めた街の中、少しばかり浮いたモノがそこ在った。


「え? 何だあのオッサン、あれだけ豪語しておいてアッサリ取り逃がしたのか?」


 長髪の男だった。二十代後半か。黒髭の男と同じ軍服が小ぢんまりしたカフェに合っていない。人目を引く端正な顔で男は呆れ、その報告をした部下を見る。見られた部下も、困ったように肩を竦める。


「どうします? 隊長。対象は今も移動中と思われますが……」

「どうするもこうするも……追うしかないだろ? しかしまぁ列車とは、変な逃がし方してくれたなぁ。方面は判ってるよな?」

「はい、鉄道会社所属の列車ではないようで、ダイヤは入手出来ませんでしたが、学園都市アカデミア方面と思われます」

「おっけ。リィンとチェスターは?」

「あちらで果物屋の店主と値切り交渉を……」

「よーし、恥ずかしいから回収しようか」


 飲んでいたカフェラテを片付け、男は椅子から立ち上がる。コートの裾が、長い髪と共に舞い上がった。


「それじゃ、仕事といこう」


 男は自信に満ちた笑みを浮かべ、歩き出した……。

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