スチールハーツ
十月吉
始まりの機械都市 01
会いに行こう。あの場所へ、あの空へ。
――歌が聞こえる。子供の頃、誰もが親しんだ単純なメロディ。透き通った声は風に乗り、街の隙間を駆け巡る。
その厳つい名から、全てが機械化された金属の街だと思われがちだが、その実情は正に正反対とも言うべきで、機械都市は未だその大部分を製鉄時代と変わらぬ素朴な煉瓦造りの町並みを残している。
その中を、駆ける姿があった。若い男だ。街を巡る細い路地を通り抜け、彼が向かう先は歌声の元。迷わず一つのアパートの前に辿り着くと、青年はその空を見上げる。
「マリアベル!」
響いた男の声に、街を縫う歌声がピタリと止まった。世界を奏でていたメロディは消え去り、朝の街は静かなざわめきを取り戻してゆく。歌声の主が振り返る。ふわりと舞う白色。淡く色づいた白の髪。同じく髪に合わせて白く統一された緩やかな服。真白の印象を残すそれはだがしかし、決して潔癖な印象を齎すものではなく、春の野に咲く花のように、柔らかなものだった。
少女の名はマリアベル。機械都市の一角に住まう人間だ。そして――――
「どうしたの、シルベスター」
――そして、マリアベルを呼んだ若者はシルベスター。茶色の短髪に、少女とは対象的にスッキリとした服装。人の良さそうな雰囲気を纏った青年だ。屋根の上から見下ろすマリアベルに、シルベスターは少しばかり声を強めて答える。
「アボックさんが、芝刈機の調子がおかしいからお前を呼んでくれってさー」
「……それは急ぎ?」
「煙がブスブス上がってたトコを見ると、多分超特急なので横着しないで降りて来ーい」
アボックはご近所に住むパン屋さんで、シルベスターの現雇い主だ。毎朝日の昇らぬ内から仕事を始め、皆が起きる頃には焼きたてのパンが準備されている。出勤が早い人や、うっかり朝のパンを切らした人、唐突に焼きたてパンが食べたくなった人達は皆、彼のパン屋へ向かう。マリアベルとシルベスターも、昼食のサンドイッチをよくそこで買う。他で買うよりずっと美味しいからだ。詰まる所、アボックさんのお店は近所で評判のパン屋さんなのだった。
「ついでにお礼にパン貰っときゃ良いんじゃねーかな」
「意外とチャッカリしてるよね、シルベスター」
アボックのパンを気に入って居るのはシルベスターも、そしてマリアベルも同じだ。今の時間なら丁度焼きあがり頃。うん、悪く無い。
食欲で誘うシルベスターの作戦は功を奏し、マリアベルは清い朝の空気を楽しむ事をやめ、軽やかに建物の屋根から滑り降りた。白い服が翻り、桃色の首飾りが胸の上で跳ねた。
引っ掛け易そうな服にも関わらず素早く降りられるのは、これが彼女の習慣だからだ。毎日、晴れてさえ居れば屋根に上り、朝を楽しむ。何処に足場があって、どの程度力を入れて踏めば良いのか。それらをすっかり体が覚えていた。地面に着地する際、少しばかりよろめいたマリアベルをシルベスターが支える。マリアベルは静かに微笑む事で感謝を示し、それからぎゅっと彼の手を握った。
マリアベルとシルベスターは恋人だ。少なくとも、こうやって一緒に過ごす程度には。並んで歩く二人というのはいつもの光景で、擦れ違う一人から微笑みと共に挨拶される。
「お早う、お二人さん! 今日も仲が良いねー」
「大丈夫、明日も良いですよー!」
「勿論、明後日もだよね」
奥さんに勝るものなし、とマリアベルが歌の一節を口ずさむ。ナーサリー・ライム。西側諸都市では馴染み深い、韻を踏んだ童謡の一つだ。東方では数ある中の一つのタイトルから、マザー・グースと呼ばれているとか。マリアベルはこれらが好きで、よくその句を口にするのだった。
幾人かと挨拶を交わすと、それで人の姿は途絶えた。朝の街は静かだ。機械都市が本格的に動き出すのは昼前からだ。それまで人々は家の掃除をしたり、少し長めの休眠を取ったりして、ゆっくりと過ごしている。
では代わりに何が必要な仕事をこなしているかというと、街中を走る
旧き町並みが残るとはいえ、矢張りそこは機械都市。路上を含めたそこかしこに、常に
幾つ目かの角を曲がると、次の区画へと下る階段へと辿り着く。広く開けたそこからは、街の全貌が見渡せる。眼下に広がる数多の建物を、二人は足を止めて眺める。素朴さを大事にした石造りの家々。日々新たな新技術を生む高度な研究所。そしてこの階段から見て正面にある、街々を繋ぐ鉄道の駅だ。
この世界に於いて、鉄道と言う交通機関は重要だ。何しろ街と街の間が遠く(辺境なら隣街が列車で三日などという事も!)、余程の大都市の周りでなければ道路も整備されていない。そんな地帯を個人の乗り物で移動するのはかなりの大事で、余程の事が無ければ、必然的に他都市への交通手段は鉄道へ頼る事となる。
技術の粋が集まるこの都市には、様々な目的を持って沢山の者が訪れる為、文化の交流場たる駅は他の街のそれよりも大きめに作られていた。高みから見下ろせば、重厚なガラスの屋根を通して機械都市を訪れた列車達が見える。研究資材を積んだ貨物列車。都市間交通の要である
「シルベスター。機関車が居るよ」
「ん?何処?」
あそこ、とマリアベルが指した先には成程、彼女の言うとおり、年代物と思わしき漆黒の機関車が在った。後部には客車と思わしきものが連結されており、それなりに大型のものだ。正に質実剛健、といった風な鋼鉄の塊が、最新の小奇麗な自駆列車達に並んで居る様はとても目立つ。
「へぇ、珍しいな。流石に蒸気機関じゃあないだろうけど。後ろは客車だけど……ただの繋街列車、って事はないよなぁ」
「遠くから見ても綺麗な車両だね。何かのツアーかも」
「あ、それっぽい」
何処まで行くんだろうなぁ、とシルベスターは呟く。本当にツアー目的ならば、向かう先は海上都市か、学園都市か。若しかしたら帝国なんて事もあるかも知れない。
「なぁ、マリィ」
ふっと愛称で呼ばれ、傍らの少女はシルベスターを見上げる。
「お前の誕生日さ……何処かに行かないか?」
マリアベルの誕生日。それはシルベスターが前々から話題にあげる事だった。毎度、欲しい物はないか尋ねるのだが、マリアベルの返事は同じ。当日迄あと一月。本当なら指輪でも贈りたいのだが……。
シルベスターは話を続ける。
「鉄道に乗ってさ、まぁ二、三離れた街くらいなら行けるかな。そんなに高い列車は使えないけど……」
鈍行に乗って、景色を見ながら一週間……いや、二週間くらい。二人でのんびりと、見知らぬ街を巡って。
そうね、とマリアベルが優しく呟く。
「そうね、それなら……それなら考えてみようかな」
「本当か!?」
初めて聞く好感触な返事に、シルベスターの表情がぱっと明るくなる。
「うん、シルベスターも一緒に楽しめるなら。物を貰うより、二人で過ごす方がずっと形に残るもの」
小さく微笑むマリアベル。その愛らしく健気な笑顔だけでシルベスターはノックアウト寸前であった。
「でもシルベスター。お金は大丈夫?」
「贅沢しなきゃ大丈夫大丈夫、こんな時の為にちゃあんと溜めてあるんだからな! えー、じゃあ何処行こう?冒険して巨城都市まで行くか?」
「それは無理しすぎだと思うよ」
声を弾ませるシルベスターに、くすりとマリアベルが笑う。その時、
「――――すみません」
静かな声がした。何時の間にそこに居たのか、二人が見下ろす場所から数段程下。そこに、一つの――否、
ただし幾つかの古い創作物の中に登場するような人間と見分けのつかないようなものではない。どう見ても人とは違う、金属で構成されている。
そういう形態をした
けれど、二人の前に立っている彼――声質が人間の男のそれに近いので仮にそうしておく――は、その外見から察するに、よくある労働用
「すみません、仲睦まじい所を。尋ねたい事があるのです」
ノイズ混じりの合成音が響く。その言葉がしっかりとした知性を感じさせる事に二人は驚く。技術的には、人と同等、またそれ以上のAIを作る事は不可能ではない。
だが、需要がないのだ。臨機応変な仕事を任せたければ人間で充分だ。機械も高度な知性を持たせれば自我が芽生える。大枚叩いて購入したオートマタに給金を要求されるようになっては大いに面倒だ。だから、
「えっと……答えられる事なら良いけど」
驚きを残しつつ、シルベスターは何とか返答を出す。返事を貰えた事にほっとしたのか、少し緊張気味だったオートマタのカメラアイがきゅっと緩んだ。
「カルディアンナ採掘場はどちらでしょうか」
「カルディアンナ?」
思わぬ質問に、シルベスターの首が僅かに傾ぐ。
カルディアンナ採掘場は、機械都市に多くあった資源窟の一つだ。随分と古くからある採掘場の一つで、この街が発展を始める頃までは使われていたが、今は落盤の危険性から閉鎖されている。
「カルディアンナならあっちだったと思うけど……かなり前から立入禁止だぞ?」
「はい、問題ありません。採掘や進入が目的ではないので」
「じゃあ、どうして?」
「旅立つ前に、一度寄っておきたかったのです」
マリアベルがその透明な瞳で
「有難う御座いました。これでカルディアンナへ行けます」
礼を述べると、くるりと採掘場の方へ方向を変え、一歩進もうとして――
「――お嬢さん」
「……私?」
きょとんとするマリアベルに、
「そうです。……
貴方に幸運があらん事を、と呟くと
「……何だろうな?悪い奴じゃなさそうだけど」
「うん。それに、高度オートマタが採掘場に何の用だろう。政府の調査、とかかな」
不思議そうに顔を見合わせる二人は、
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