第19話
千秋の発言に、皆がきょとんとしていた。
「雪も溶けて、気温も暖かくなってきたんだ。夜の野外でも死なない程度の温度で、大地から這い出てくる虫っころよろしく、人は星を見に行くんだよ。これは、いわゆる世の真理だからね」
どこの世だ?
おそらく、千秋だけ別の世界の住人なのだろう。
まったく共感できやしない。
「ちょっと趣旨がずれていないかな。一応、百人一首研究会だし、星は関係なくない?」
というか、面倒くさい。
歌詠みの会だけでも、甚だ面倒だというのに、その上、延長線をしようというのだから、困ったものである。
「いやいや、趣旨通りだよ。奇しくも貫行くんが言ったじゃないか。これは親睦会なんだ。つまりは余興。そこに百人一首を絡める必要などないだろ」
こんなときばっかり、千秋は正論を述べてくる。
いや、彼女自身は、常に正論を吐いているつもりなのだろうが。
「まぁ、僕はいいけど」
千秋との言い争いは面倒なので、すぐさま放棄する。
視線を周りに向けて、判断を委ねた。
泉美は、状況の変化についていけていないようで、おろおろとしている。
一方で、白妙の方は、貫行と同様、議論を放棄するポーズをとっていた。貫行の視線に、うっとうしそうに手を振る。
だめだ、こりゃ。
貫行が項垂れていると、平野先生が口を挟んだ。
「いや、あんまり遅くなると困るんだが。河川敷は、変質者も出ると聞くし、何かあったら、責任がとれないからな」
たしかに何度か学校から注意勧告が出されている。実際に、変質者を見たことがないから、なんともいえないが、夜の人気のない場所には、おかしな奴が集まるものである。
しかし、グッジョブだ。
危険性がある、というのは、なかなか説得力のある反論である。そのまま、千秋の星見の案を没してくれれば幸いだが。
「ちゃんと、保護者の了解を得てくることが条件だな」
理解のある教師というのも考えものである。
「よし、決まりだね」
千秋が満足そうに胸を張った。
ということで、賛成者一名、議論辞退者他四名にて、星見の会は可決された。
こういうときは声の大きい者が得をするというが、実際そうだよな、と貫行は思う。図々しくも千秋は、自分の意見を通して、この歌詠みの会に自分なりの意味を与えた。
ふむ、と貫行は見習ってみることにした。
「せっかくだから、自転車で向かおう」
「「「は?」」」
総突っ込みを受けた。
「いや、星見がありなら、サイクリングもありかなと思って」
「まぁ、道理はわかるけれどもね」
「私は、そもそも自転車で行こうと思っていたんですけれど」
「もう、何でもいいわよ」
と思ったら、さほど批判されなかった。
言ってみるものだな。
「自転車といっても、ママチャリじゃなくてロードバイクだよ。同じ自転車でも、出せる速度も見える景色も全然違う。案外おもしろいもんだよ」
「でも、私、その自転車もってません」
「大丈夫。自転車部に古い自転車が余っているから、三台くらいなら借りれるよ。僕は自分のがあるしね」
実現可能であることを述べたところ、否定の言葉はなかった。自転車に乗るだけだし、そのくらいはいいかと思っているのかもしれない。だったらば、ぜひ体験してみて、想像以上の感動を得てほしいものだ。
貫行は、さほど布教熱心というわけでもないのだけれども、自分が自転車に乗りたいという欲求のついでに、たまには自転車業界の発展に貢献するもよいだろう。
これで、少しは貫行にとっても有意義なものになってきた。
「じゃ、決まりだね」
外でやることに対する恥ずかしさ、に対する解答は結局なかったけれども、いろいろあったせいで、すっかり皆の頭から抜けており、そのまま、すんなりと詳細のすり合わせへと移行した。
もう一息だと、貫行は坂のてっぺんを見るような安堵感を覚えたのだった。
★
疲れた。
貫行は、重い体に鞭打って、自転車のペダルをまわした。
あの研究会、もういやだ。
週数回の楽な部活。百人一首についてゆるく学んで、知識欲を満たして、平野先生への義理立てを果たして、内申点を高めるだけの儀式みたいなもの。
だったのだけれども。
メンバーがわるかった。
いくら形式を取り繕ったとしても、部活動、研究会なんてものは、結局、人の集まり。そこにいる人の性質によって、どのようにでも変貌する。
一緒にいるだけで疲れるメンバー。
あの塩崎先輩だって、十分に面倒な人だと思っていたけれども、ここのメンバーに比べれば、かわいいものだと考え直すほどだ。
はぁ、と何度目かわからないため息をつく。
こんなときは、風の気持ちいい川辺か、土の香る田園などを自転車で突っ切りたい気分なのだけれども。
もはや、そんな元気もない。
貫行は、交差点を左折して、駅前の商店街に向かった。ちょうど下校時間ということもあり、学生が多い。バカみたいに笑っている集団や、いちゃついているバカップル。
そんな有象無象を無視して、貫行は、本屋の横の駐輪スペースに自転車を停めた。
だからって本屋に寄るわけではない。まぁ、帰りに寄ってもいいけれど、それが主目的ではなかった。
目的は、向かいのビルの二階の喫茶店『ブルーラビット』。
やたらと響く階段を登り、貫行は、鈴の鳴る扉を開けた。
木造のシックな調度品が揃えられており、窓ガラスに向かって並ぶカウンターと、赤く丸いイスが等間隔に置かれている。
客はまばらで、どうやって生計を立てているのかと不思議に思うのだが、貫行は、いつもどおりに奥の席に座る。
頼むのは、ブレンドコーヒーとモンブラン。
メニューは豊富なのだけれども、貫行は、この二つしか頼んだことがない。
始めに来た時に、同行者に勧められた品で、それ以来、気に入って、たまに食べにくる。
まぁ、始めに、といっても、潮崎先輩としか来たことないのだけれど。
そういえば、潮崎先輩とは、しばらく会っていないな。
別に会いたいわけではないけれども、聞きたいことがあった。それは、百人一首研究会のメンバーと触れ合って、一連の騒動を経て、急に気になってきたこと。
でも、もう部活も違うし、会う機会もない。
聞くだけならば、SNSもあるのだから、すぐにでも聞ける。けれども、SNSで聞くほどのことでもないと躊躇ってしまう。どうしても聞きたいけれど、聞かなくても支障がない。そんな世間話をSNSで交わすのは気が引けた。
まぁ、いつか会えたら、そのときに聞こう。
貫行が、そう切り替えて、スマホに目を落とした時、
カラン
と音を鳴らして、いつかの機会はやたらと早めにやってきた。
「奇遇だね、後輩くん」
ぽんと肩を叩かれ、貫行はびくりと体を震わせた。
「え? 潮崎先輩?」
振り返ると、ひょこりと揺れるひなげしの髪飾り。前に見た時よりも、こざっぱりしているのは、髪を切ったからだろうか。
潮崎先輩は、妙に上機嫌に、貫行の横に腰掛けた。
「ふふ、びっくりしたでしょ。今、貫行くん、びっくりしたでしょ」
「後ろから急に声をかけられたら誰だって驚きますよ」
なるべく呆れた声をつくって、貫行は返答した。
潮崎先輩は、気にする風もなく、貫行と同じものを注文した。
「いつぶりかな。もう随分会っていない気がするね」
「最後に会ってから一ヶ月も経ってないと思いますけど」
「君は、相変わらずだね」
「一ヶ月も経ってないですからね」
そういうところだよ、と潮崎は小さく笑った。
「部活はどう? まだ、いじめられてない?」
「何でいじめられること前提なんですか」
「だって、貫行くんだからねぇ」
納得いかない。
むすっと視線を外してから、先程運ばれてきたコーヒーを一口すすった。
「ちゃんとやってますよ。今日も、部員のいざこざの調停役をやっていたんですから」
「え? 引っ掻き回し役じゃないの?」
えー、僕ってそういうキャラ?
潮崎先輩は、まったく信じていなさそうだったが、モンブランが運ばれてきたところで、興味をそちらに移したようだった。
さほど凝っていないモンブラン。パン生地の上にきれいに折り畳まれたマロンクリーム、そこにホワイトクリームが編み込まれている。
スプーンで触るとクリームが跳ねるようだ。
口の中に入れれば、ホワイトクリームの甘みとマロンの苦みが、交互に舌の上を転がって、いつの間にかスッと消える。
後を残さないこの歯切れの良さが、貫行は気に入っていた。
「潮崎先輩は、どうですか? ちゃんと自転車こいでますか?」
「こいでるよー。こぎまくっているよー」
「ガチムチになりましたか?」
「えい!」
蹴られた。
相変わらず乱暴だな、と貫行は、足を擦りながら、ふと、思い出した。
「そういえば、次に会ったら聞きたいことがあったんですよ」
「ん? 唐突に何かね?」
モンブランを堪能している潮崎先輩に、貫行は尋ねた。
「先輩が、初めから自転車部に入らなかった理由って、勝負するのが嫌だったからですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます