第12話
とにかく速い。
貫行は、舌を巻くばかりであった。
腕の動きだけでなく、そもそも反応が速い。
歌が詠み始められ、それから、動き出すまでの反射反応が、常人のそれとは思えなかった。まぁ、競技かるたに関して、この人達は玄人なのだから、ある意味常人ではないのかもだけれども。
動き出すタイミングは、歌によって異なる。
おそらく、一字決まりとか、二字決まりとかが関連しているのだろう。
どこで動くか。
もちろん早い段階で動いた方がいいに決まっている。しかし、すべての札が一字でわかるわけではない。二文字目まで聞かなければ、確証を得られないのであれば迂闊には動けない。
まぁ、ギャンブルで動くこともできるだろうが。
「辻先生、お手つきです」
平野先生が淡々と告げ、辻先生が渋々と頷いた。
そう、ギャンブルであるがゆえ、間違った札をとってしまうことも多い。違う札をとってしまえば、それはペナルティとなる。
白妙が自陣の札を一枚手に取り、辻先生に渡した。
これを送り札というらしい。
他にも敵陣の札をとった際も、敵に札を送る。そうやって、自陣の札をすべてなくせば勝ちだ。
ペナルティがなければ、数打てばあたりそうなものだが、そういう戦略は封じてあるということだろう。
ちなみに、使用する札は50枚であるのに対して、詠み札は100枚すべて。
つまり、適当に腕を振っていると、あっという間に負けてしまうということだ。
そうやって、ゲーム性を担保しているわけか。
なるほど、と貫行はルールブックを閉じた。
『猿でもわかる百人一首読本』
この手の本を読むと、猿になった気分になるのは、貫行だけだろうか。
まぁ、わかりやすいことは間違いない。
そのおかげで、競技かるたのルールはだいたいわかった。
単純といえば単純。
だからこそ、目の前で繰り広げられている戦いは、至ってわかりやすい、速さの勝負となっていた。
そして、その勝負は、白妙の優勢で進められていた。
そもそも反応速度が違う。
ほんの少しの差だが、わずかに辻先生よりも白妙の方が動き出しが早い。和歌の数文字目が詠まれたその瞬間に、白妙は既に動き出している。
そのあとの手の振りがいかに速かろうと、もはや追いつけない。
言ってしまえば、1メートル走。
彼女達は、ピストルの音を聞き分け、スターティングブロックを蹴る。
勝つのは足の速い方ではない。
反応の速い方。
ピストルの音をより鮮明に聞き分けた方の勝ちだ。
その聞き分ける能力が、白妙の方が優れている。
ただ、それだけのことで、この競技かるたというゲームは、ひっくり返せないほどの形勢を築いてしまう。
いや、違うな。
その聞き分けの感度を競うことこそ、このゲームの醍醐味。
見て覚え、そして聞いて解して、全身を躍動させて、札をとる。
それらの一連の動作を最も効率よくこなした者が勝者となる。
二人の動作は、既に最適化されているように見えるが、貫行の想像の遥か先で、その二つの最適化された動作には、歴然たる差があるのだろう。
その結果が如実に、枚数差として現れ、辻先生の顔が悔しさに歪んでいた。
走ったわけでもないのに、辻先生は息があがっており、額に汗が滲んでいる。
瞬発的な動作の繰り返しと、負けていることへの焦りが相まって、正常な呼吸ができていないのかもしれない。呼吸の乱れは、さらに動作を乱し、ミスを誘発する。
「あき――」
パン!
辻先生が札を弾く。
しかし、その表情に喜びの色はない。
対する白妙は澄ました顔で、微動だにしなかった。
立ち上がり、辻先生がとりにいった札に書かれていたのは、
『昔はものを 思はざりけり』
上の句は、
『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば』
である。
実際に詠まれた札は、
『秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ』
だ。
つまり、
「辻先生、お手つきです」
辻先生は、札を戻し、そして、白妙の差し出す札を一枚受け取った。
確かに音が似ているので、間違えてしまうのもわかる。貫行ならば、間違えるのが嫌だから、もう少し待ちたいところだが。
そうしている内に取られてしまうかもしれないという恐怖心が、辻先生を早めに動かさせ、そしてミスの発声を促す。
負のスパイラルに嵌ってしまった辻先生には、ここからの挽回は難しそうであった。
場の札は、倍ほどの差がついており、白妙の陣営はいつの間にかスカスカ。
これは、平野先生の見込み違いだったと言わざるをえない。
辻先生よりも白妙の方が遥に強かった。この勝負は白妙が勝ち、そして、彼女の希望通り、晴れて退部できることだろう。
その方法が百人一首による競技かるたというのも皮肉な話だ。
まぁ、誰よりも百人一首に精通しており、ここで学ぶことは何もないことを証明して出ていくのだから、ふさわしいといえば、ふさわしいのかもしれない。
ワンサイドゲームと化した畳の上の勝負をぼんやりと眺めながら、貫行はそんなことを考えていた。
そのときだ。
「辻先生、交代しましょう」
平野先生がゲームを中断させた。
「え?」
その申し出にいちばん驚いていたのは、辻先生である。
もちろん、貫行達も困惑したわけだが、辻先生は、発せられた言葉の意味をしばらく理解できないでいるようだった。
「交代って、でも、まだ終わっていませんし」
「終わってからでは、遅いでしょ。ちょうどいい差になりましたし、ここから俺が引き継ぎますよ」
「でも、私も、やっと勘が戻ってきたところで」
「勘は試合が始まる前に取り戻しておいてくださいよ」
その突っ込みは至極もっともなのだが、対戦者を交代するというのは、常識的に考えて、ありえない話ではないだろうか。
もう一人の当事者である白妙も、そう思ったらしく、ありえないといったふうに眉を吊り上げている。
「負けそうになったからって、交代するなんてずるい!」
「もう負けそうなんだから、交代したって大丈夫だろ」
平野先生の言い分もわかるが、了承するかは別だ。
「それとも」
しかし、平野先生は、交渉を続けた。
「これだけ差があって、俺には勝てないと、そういうことか?」
というより、挑発した。
あからさま挑発行為であったわけだが、白妙には効果てきめんだったらしく、カッと頬を染めて、ぎろりと睨みを効かせた。
「負けません! 勝てるものなら、勝ってみてください!」
「そうさせてもらう」
平野先生は、辻先生の方に向き直った。
当の辻先生は、まだ渋っていたが、
「子供相手にそうムキにならないで」
と平野先生に諭されて、やはり渋々ながら席を譲った。
それも、白妙に聞こえるように言うのだから、平野先生も意地がわるい。
白妙はいっそう興奮している様子だが、平野先生にはまったく動じる様子がない。
「そう怒るな。俺も北条先生との約束を破るわけにはいかないんだ」
「そんなのどうだっていいです」
「どうだってよくないから、こうやって高峰の前に座っているんだ。あ、そうだ。ちなみに、俺に負けたら、来月のかるた大会に出てもらうからな」
「はっ!?」
突然の条件の追加に、白妙はいっそう沸騰した。
「聞いてません!」
「そりゃ、そうだ。今言ったからな」
「どうして私がそんなことを!」
「基準だな。高校に入ったとき、どのくらいの力だったか知っておいた方が、後から楽しいだろ」
「私はやめるって言っているんです!」
「だから、俺に負けたらだよ。勝てばいいんだ、勝てば」
「ぐっ!」
それで納得してしまうのだから、脳筋は楽だよな、と貫行はひそかに思った。
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