燃ゆる燃ゆる

第10話

 殺伐としているなぁ。

 百人一首研究会の研究室で、貫行は気を落としていた。

 前回の百人一首の第一回目活動は、貫行が思っていた以上、というか、はるかに上回っておもしろい活動であった。これならば、しばらくは、参加してもいい、と思い直したものだ。

 しかし、活動の終了間際で、どんでん返し。

 白妙、ブチギレである。

 平野先生の解説に聞き入っていただけに、貫行はびっくりしたものだ。

 ただ、白妙が怒ったことに関しては、それほど意外でもなかった。既に貫行は、白妙がどのようなモチベーションで百人一首に向き合っているかを知っている。

 その白妙ならば、和歌の意味を延々と追うような活動に反感をもつのも頷ける。

 だからといって、あんなに感情を露わにすることもなかろうに。

 貫行は、あまり感情を出すことがないので、あんなふうに激情を見せられると、戸惑ってしまう。

 当の激情型女子こと、高峰白妙は、畳の上に正座していた。

 その激情を胸の内にしまい込み、澄ました顔をしている。制服のスカートを起用に膝の内に折りたたみ、両手を膝の上においている。

 こうやって、おとなしく座っていれば、白妙もかわいらしい女子学生なのだが。

 対して、正面に座るのは、パンツスーツの女教師、辻先生だ。

 この場にそぐわないことを自覚しているのだろう、辻先生は、気まずそうにきょろきょろしながら、髪を何度も触っていた。

「あの、どうしても、やらなきゃだめなんですか?」

 辻先生は、助けを乞うように、平野先生に視線を向けた。

「こんな勝負しなくても、ちゃんと話し合った方がいいのではないでしょうか」

 それは教師としては、至極真っ当な言い分であったわけだが、平野先生は、首を横に振る。

「話を聞くような娘じゃないんですよ。私も北条門下だったからわかるんです」

「北条って、あのかるたの名手の北条先生ですか?」

「そうです。あそこは、体育会系ですからね。言葉を交わすよりも、まず勝負。そうやって序列を叩き込んだ方が早いんです」

「そんな犬のしつけみたいに……」

 言い得て妙である。

「じゃ、せめて、平野先生が相手をされたら、どうでしょうか。部外者の私が戦うというのは、筋違いかと思うのですけれど」

 暗に、辻先生はやりたくないと言っているのだと、貫行は理解した。

「それはそのとおりなのですが、いわゆるノリですね」

「ノリ?」

 平野先生は真顔で言った。

「えぇ、ちょうどいいタイミングで来たので」

「そんな、テキトーな」

「まぁ、というのは半分冗談で、以前からお誘いしようとは思っていたんです」

「私をですか?」

「えぇ。辻先生が、かるたをやっていたと聞いたことがあったので。何でも、学生の頃にやっていて、大会で入賞したこともあるとか」

「まぁ、やってはいましたけれど。ちゃんとやっていたのは、高校までですし、大学では、たまにサークルでやっていた程度で」

「それでも、その辺の高校生に負けることなんてないでしょ」

「それは、まぁ」

 辻先生は、控えめにも絶対的な自信を明らかにした。

 どうやら、かるたの選手というのは、総じて負けず嫌いらしい。

「高峰も了承しています。辻先生の腕前を見せつけてやってください」

「はぁ」

 まだ、辻先生は納得していなさそうだったが、平野先生が強引に進行した。

「それじゃ、始めようか」

 平野先生は、かるたを手に取った。小倉百人一首と古めかしい字体で書かれたそのケースから、かるたを取り出す。山札は二つあるのだが、平野先生は片方だけを取り出して、高峰と辻先生の前に置いた。

「先生、もう一つの山札は使わないんですか?」

 実のところ、貫行は、百人一首を使った競技かるたを見たことがない。

 札をつかったゲームとしては、トランプゲームくらいなら知っているが、この後、どうするのか、さっぱりわからない。

「これは詠み札だ。こちらには、上の句が書かれていて、あちらの山札には下の句が書かれている」

 平野先生が解説をしてくれている中で、白妙と辻先生が、二人の間におかれた山札を崩し、混ぜるようにして札を散らした。

 そのまま神経衰弱を始められそうな様相であったが、あらかた混ぜ終わると、二人はその中から何枚かを手元に寄せ始めた。

「百人一首のその名の通り、ここには百枚の札がある。しかし、実際に競技に使うのは半分の五十枚。二人の競技者がそれぞれに陣営に二十五枚ずつの札を並べるんだ」

 平野先生の解説のとおり、白妙と辻先生は、手元にとって札を返して眺めてから、自陣に並べていた。

 基本的には、三段に分けて並べている。だが、きれいに揃えて並べるわけでもないらしい。白妙と辻先生の前にはたしかに二十五枚の札が並べられたが、その分布は微妙に違った。

「並べ方にもルールがある。競技者の前に札を三段で並べる。札を置けるエリアは決まっているが、その中ならば、どこに札を置いてもいい。引いた札、それから、得意な札によって、それぞれ並べ方が違うんだ」

 その並べ方の法則をわかるほどの知識は、貫行にはないし、そもそも聞いたところでわかると思えない。それを察してか、平野先生は、そこまで詳しくは語らなかった。

 だが、貫行にもわかることはある。

 辻先生の札は、基本的に手前の段に並んでおり、それから、右手側に重点的に分布していた。

 一方で、白妙の方は、上段こそ少ないものの、下段と中段ではさほど偏りがない。むしろ左右での、左手側への偏りが大きかった。

「白妙って、左利きなのか」

「気安く呼ばないで」

 怒られた。

 珍しい名前だから、つい口に出してしまったけれども、さすがに呼び捨てはわるかったか。

 ふふ、と千秋が隣で笑う。

「貫行くんにしては、なかなか目敏いじゃないか。左手側に札が分布しているということは、左手で札をとるのだろうという考察だね」

 まぁ、そうだけど。

 実際、競技が始まるまでわからないが、両者の利き手が違うがゆえに、全体的に片側に札が寄って分布していた。

「ちなみにだが、競技かるたでは、左右どちらの手を使っても構わないが、その試合を通してどちらか一方の手しか使えない」

 平野先生は情報を付け加えている最中も、競技者二人は、熱心に並べられた札に見入っていた。

「暗記時間は、十分でいいな」

「え? 十五分じゃないんですか?」

 辻先生がなぜか動揺していた。

「いや、こいつらが飽きちゃうだろ」

「そんな理由で……」

 もう、と辻先生は、再び顔を伏せた。

「暗記時間というのは、札の場所を覚える時間だ。どの札を引いたのか、その札がどこに置かれたのか、自陣と敵陣の札をこの時間内に覚え込む。この時間に、どの札をどう攻めるかなどの戦略を練っておくことが重要なんだ」

 平野先生はしゃべりながら、PCにスピーカーを繋げた。

「何やっているんですか?」

「あ、これか? 上句の音源が入っているんだよ。競技中は、これを流すんだ」

「へぇ、平野先生が詠むんじゃないんですね」

「俺は詠むのが下手なんだ」

「下手とかあるんですか?」

 かるたを朗読するだけだろ。

 本読みなど、小学生にでもできると思うのだけれども。

「あぁ、詠むというから、誤解があるかもしれないが、和歌というのは、その名のとおり、歌なんだ。だから、詠むというより、歌うに近い」

 そう言われると、納得できる。

 貫行も歌はあまり得意ではない。というより、できれば御免被りたい。

「歌う、ですか」

 歌うという言葉に反応したのは泉美だった。

 そういえば、たしか音楽鑑賞が趣味だとか言っていたような気がする。

「あの独特なリズムと、発声がどうもな。実際、競技者は多いが、ちゃんとした詠み手は少ないというのが現状だしな」

 ふーん、そんなに難しいものなのだろうか。

 貫行がぴんときていない顔をしている一方で、その独特なリズムに、泉美は興味深そうに目を瞬かせていた。

「まぁ、聞いてみればわかる」

 平野先生がそんな意味深に宣ってから、しばらくして暗記時間の終わりを告げるタイマーの音が鳴った。

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