百歌の流るる青き春
最終章
百人一首研究会
第1話
「そういえば、廃部になるんですって、この部」
スマホをいじりながら、
「そうですか」
だから、というわけでもないが、
「そうですかって、もう少し驚きなさいよ」
ただ、それは貫行にとってであって、潮崎先輩は、貫行の塩対応に不服そうに反応した。
「驚きなさいって、順当じゃないですか。そもそも、こんな二人しかいない部が今日まで存続していたことの方が僕は不思議ですよ」
自転車部ではなく、自転車旅行部である。
こんななんちゃって部ではなく、藤原学園にはちゃんとした自転車部が活動している。むしろ自転車強豪校であり、その界隈では有名だ。しかし、皆が競技として自転車に乗りたいわけではない。ただ、娯楽スポーツとして楽しみたいという、先輩方の軟弱な意思によって設立されたのが、自転車旅行部であった。
そんなゆるっとした気持ちで発足した部活なのだから、同じようにゆるっと廃部になるというのは自然な流れといえる。
「他にがんばっている部活はたくさんあるんだから、僕らみたいにふまじめな偽自転車部に予算を割けないでしょ。別に余っているわけでもない部室を二人で占有していることも心苦しかったですし」
「うわっ、冷めてるね、君」
地べたに座り込んでいる貫行の後ろで、ベンチに腰掛けた潮崎先輩は、足をぱたぱたとさせた。
「私はそんな理屈が聞きたいんじゃなくて、もっと感傷的なコメントを欲しているのだけど?」
「ここでの活動って、部がなくなってもできると思いますけど?」
旅行などと遠出をしそうな名が付いているが、実際には町をぐるりと走るくらいで、遠征など年に数回しかしていない。つまり、自転車さえあれば、実際には部活動などという枠組みはいらない。
「そうじゃなくてさー」
べしっと潮崎先輩は、貫行の背中を蹴ってきた。
さすがにシューズは脱いでいるようだが、足の指で背中をぐいと掴まれて、かなりうっとうしい。
「惜しめよー。私との別れをよー」
「いや、別に卒業するわけじゃないんですから。走るとき連絡してくれればいいじゃないですか」
「はぁ」
潮崎先輩は、ため息をついて、ぺたりと足を貫行の背中につけた。
「君って、本当に淡白だよね。卒業式とか泣いたことないでしょ」
「あぁ、ないですね」
「でしょうね、友達との別れも、どうせSNSで連絡とりあえるじゃんとか言ってそう」
「というより、惜しむような友達がいなかったですね」
「……先輩は、君のことが心配で泣いちゃいそうだよ」
「先輩は、意外と感傷的なんですね」
「誰のせいか」と言って潮崎先輩はぐいと背中を押してきた。
「先輩は今年受験ですし、一足はやく引退ですか?」
「うーん。私も迷ったんだけどね」
「本部の方に行くことにした」と潮崎先輩は告げた。
「あ、結局行くんですか。あんなに渋っていたのに」
本部というのは、ちゃんとしている自転車部のことである。貫行達は、自転車部をホンモノの本部、自転車旅行部をニセモノの偽部と呼んでいた。
「やっぱり自転車には乗っていたいんだけど、私ってきっかけがないとだめみたい」
これは、潮崎先輩がよくいう自己分析結果だ。
好きであることと、自発的な行動が結びつかないらしい。貫行にはよくわからない理論であるが、彼女の中では筋が通っているようだ。
好きなことをするために、好きなことをしなければならない状態に自分をもっていく。そうすることで自分の好きなことを実行できる。潮崎先輩の行動には、そんな面倒なプロセスが必要なのである。
「この部が無くなったら、たぶん私は自転車に乘らなくなっちゃうからさ。それは、やっぱり嫌なんだ」
「そうですか」
貫行は、やはり淡々と答えた。
これも、突然現れた話ではない。そもそも潮崎先輩は自転車部から熱烈なラブコールを受けていた。なんでも中学時代に名を轟かせた自転車娘だったらしく、実際、ツーリングに行っても、よくぶっちぎられて、おいていかれた。
とはいっても、三年生になってからの転部では、競技をする上で、もろもろ間に合わないだろうが、潮崎先輩ならば飄々と過ごせるだろう。
「前から聞きたかったんですけど、そもそも何で、初めから自転車部に入らかなったんですか?」
貫行が入部したとき、ちょうど今から一年前ほど前のことであるが、自転車部の女子生徒とよくもめていた。
それはラブコールというよりも、むしろ叱責に近い口調で、潮崎先輩に自転車部への転部を強要していた。
潮崎先輩はそれだけ、すごい選手だったのだろう。
そのセンスへの羨望と、持ち腐れていることへの怒りが、塩崎先輩に当てられていた。
「うーん」
塩崎先輩は、悩むというより言い淀んで、それから、しばらくして口を一度開いたが、出かけた言葉を飲み込んで、貫行の背中を蹴飛ばした。
「私のことはいいの。君は、どうするの? 先輩は心配ですよ」
明らかに話を逸らされたが、話す気がないのならば、むりに聞くこともないだろう。
それに、本当に、潮崎先輩は、貫行の進路を懸念しているようだった。
「どうする? 私と一緒に自転車部に入る? 男子の方は試験があるけど、私が口添えしてあげればなんとかなると思うけど」
「いえ、僕はいいです。自転車は好きですけど、競技とか、まったく興味ないので」
「あ、そう」
にべもない言い方になってしまったが、潮崎先輩もある程度予想していたのであろう、それ以上、しつこく勧めてこなかった。
「じゃ、適当な文化部に入るの?」
「そういうことになりますね」
藤原学園では、部活動に入ることが義務付けられている。そのため、この制度をかいくぐるための適当な文化部が複数存在していた。
できれば運動部の方がいいのだが、体育館やグラウンドの広さの制限上、取り締まりが厳しい。その点でいえば、自転車旅行部は稀有な例といえる。
「そういう形だけ、みたいなの、私はあんまり好きくないな」
「でしょうね」
そのかるそうな態度とは裏腹に、潮崎先輩はとても誠実な人だ。貫行も決してせこいわけではないが、彼女ほど純朴にはなれない。
「うーん、でも、君に合いそうな部活って何かな? 回り将棋研究会? 駄菓子とお茶菓子を探求する会? 千利休を囲む会?」
「どうして、そんな癖の強そうなところばかりあげるんですか?」
というか、千利休を囲む会なんて初めて聞いたぞ。いったいどんな活動をしているんだ?
まじめに取り組んでいる姿を想像したら、どことなくスピリチュアルなイメージが浮かんできたので、貫行は首を振って払った。
ちなみに、文化部は部名が会で終わるものが多い。昔は、会とつく活動は部よりも下位の位置づけだったらしいが、盲目的な平等主義が横行した結果、現在では同格となっている。
「違いますよ。というか、もう決めてますし」
「え? そうなの?」
貫行は立ち上がって、自転車を遠くから一度確認した。
気づけば、太陽が沈まんとしており、山稜が玉子の黄身のように橙色に染まっていた。ただ、そこに生命の息吹はなく、むしろ終末の荒んだ気配がゆらゆらと佇んでいる。ずいぶんと日も長くなってきたけれど、まだこの時間になると肌寒い。
「ねぇ、どこにしたのよ」
じれたように尋ねてくる潮崎先輩の声を受けて、貫行は、やはりそっけなく、淡々とした口調で告げた。
「百人一首研究会です」
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