海月
桐崎浪漫
1
6年つきあった彼と別れた。
理由は よくわからない。
彼にはいつも、他に恋人がいた。
私だけが彼といたことは、たぶん一度もない。
それでも彼は、毎晩 私の部屋に帰って来た。
深夜近く 眠るまえに。
********
「
白い指の先のネイビーの爪。
煙草を挟んで火を点けながら
藍月と出会ったのは、19になる頃。
高校を出て就職した職場だった。
今はもう、どちらも辞めてしまったけど。
付き合いはもう7年になる。
藍月がいいと感じて付き合うひとは
いつもどこか退廃的なひとだった。
友だちになる男のひとは、本や音楽に詳しい静かなひと。なにかの知識が深いひと。
恋をするのは、優しく自由なひと。
旅をするひとで、藍月を自然に「藍月」と呼ぶ。
だけど 他の誰の呼び方とも、彼の呼び方は違う。
彼は、ひとの名前を呼んでるんじゃなくて
そのひと自身を呼んでる。
目に移る部分も 心も。そういうひと。
藍月は彼を、密やかな深い奥に想いながら
退廃的な誰かを彼にする。
彼には決して、想いは告げずに。
「和弥 って、冴えないひとよね?」
私もボルドーの爪の指に煙草を挟んで
くちびるに運ぶ。
これがやめられたら、どんなにいいだろう。
頭のほんの隅で 他人事のように
たった一瞬だけそう思った。
「でも、優しいし」
藍月が話しているのは、恋の想い人でもなく
どこか退廃的な誰かでもない。
たくさんのことを知ってる友だちでもなかった。
どこかで出会った誰か。
それが私からみる、彼の印象。
正直に言えば、話を聞いても実際に見ても
何も残らないような人だった。
強いて言えば、きっと今まで
あまり女の子と縁がない。そういう感じのひと。
私たちより少し年上だと思うけど
もしかしたら藍月が初めて寝た子かもしれない。
口から煙を吐き出しながら ふと思った。
「今日も夜、寿司に行こうって」
今日は日曜日。私も藍月も、バイトはお休み。
日曜日の夜なんて、お店を開けていても意味がないから。
その日曜日も、もう夕方になる。
今話しているのは私の部屋で、藍月のマンションがあるのは隣の区。電車で15分くらい。
「時間、大丈夫? 何時に待ち合わせ?」
「仕事が終わったら電話くれるって。
ここの近くのコンビニまで迎えに来てもらうから」
藍月は煙草の火を消して、ペットボトルの紅茶を開けた。
「····小夜子。
冬人。別れた恋人。
指先から立ち上る煙に目を向ける。
「どうかな」
わからない。
答えにならない答えを返しても
藍月は質問を重ねたりはしない。
私は藍月の話を聞く時、つい口を挟んでしまう。
話に対する自分の気持ちや感情で。
藍月はいつも、黙って聞く。
話し終わってからそっと、寄り添うような答えをくれた。
傷つけないように。
シャボン玉に両手を添えるような触れ方。
触れないように気をつけながら。
故意でなくても、時々相手の胸を
突いて放してしまうような私とは対照的に。
煙草を消した私に
藍月は「うん」とだけ答えた。
きっと彼女ほど私を理解出来るひとはいない。
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