二駅目
水面に反射した光はどこへ向かうのか。私たちの眼球を飛び越え、違う次元へと向かうのだろうか。それとも更に反射を繰り返し、更なる場所へと向かうのだろうか。これこそ自由なのだろうか?
通学路に途中にある川をボンヤリと横目で流しながら自転車を漕いでいた。
いつもと変わらない道。変わらない風景。変わらない建物に変わらない時間。
卒業を迎える学生が、あの頃の変わらない日々が懐かしい等と言っているのをよく聞くが、私にしてみればそんなのは美化に過ぎないのだ。思い出は誰もが美しく保ちたいものなのだ。
しばらくすると見慣れた道も終着点へと到着する。駅だ。
私が三年間乗り続けたこの駅から発車する電車。
私はなれた慣れた手つきで改札を通り抜け、時間通りに到着した七時二十分発の下り列車に乗り込んだ。
私は再三言っている通りレールを引かれるが嫌いで常に自由を求めていた。だから、この電車という乗り物は私が嫌悪するべき対象そのものを表しているかのようだった。
これ程までに敵対するに相応しいものはないのではないかというそれに、私は一種の運命すら感じてしまう。
引かれた線路の上のみを、決められた時間、決められた速度、決められた回数で走り、決められた駅に決められた時刻に到着する。だが、その顔は何故か誇らしげにライトを照らしながら進んでいるのだ。それがまた私には気にくわなかった。
だから、私は電車が遅延したり、運休したときにはとても清々しい気持ちになるのだった。
だが、そんな忌避する電車を時たま哀れに思うことすらあるのだ。
彼もまた自由を奪われた被害者なのではと。生まれた瞬間から線路を走らされ、与えられた仕事のみを遂行する。彼にはそれが全てだから、苦痛や嫌気どころか誇りすら沸いてくる。自分が決められたレールを走らされ、本当の自由を知らないなんて知りもしないで。
私と似ているのだろうか?
と、下らないことを考えていると下車する駅はすぐ目の前まで来ていた。
そこからは徒歩数十分程で学校へと到着した。
やはりそこもいつもと変わらない風景だった。私はどうやら何処にいてもレールを知覚し、捕えられていることを再確認するらしい。
視界の端をこの時期には珍しい白い蝶が掠めた。
退屈な授業が終わり、皆が部活やら帰路やらに向かう中、私は職員室へと向かっていた。もちろん、あの話をするためだ。
結論としては推薦を受けると言うことだ。爪を噛みたくて堪らない。
すれ違う生徒会の後輩たちが挨拶をしてくる。
「こんにちは!」
私は笑顔で優しく返す。
「こんにちは」
彼らの目に私はどう映っているのだろうか。一見すると彼らは私に羨望の眼差しを向けているように見える。だが、それは表面上のことだ。私が良い例だ。人は腹の中で何を考えているのかわからないのだ。
彼らは私がこんなに卑屈な人間であるということすら知らないし、立派な先輩だと思い込んでいる。
私はそれを打ち明けることも出来ずに、優等生の皮を被って卒業をしていくのだ。これを誰かに打ち明けることが出来れば、私は少しは楽になるのだろうか。いや、打ち明けることなど出来ないだろう。この皮は既に被り物の域を越えてしまったのだ。私の皮膚にベッタリと結合し、もし剥がそうものなら、皮膚ごとえぐり、爪を除いた全ては剥がれ、下の眠る筋肉とどす黒い思考のみが残ってしまうだろう。そうなってしまえば、自由もくそもへったくれもないのだ。
だから私はこのままで自由を掴りたいのだ。
後輩たちが廊下の角を曲がり、私の目から完全に視認できなくなる頃、私は職員室のドアをノックした。
そして、この前と同じように松下の前へと腰を下ろす。
「どうだ? 決まったか?」
にやにやとした顔でこちらを覗き込む松下。その顔から私がレールから外れることが出来ないと確信した自信のようなもの感じた。
「はい、推薦を受けます」
やつの顔は自信から確信へと変わっていた。あからさまなその笑顔は私を祝福するものなんかではない。自分の人生に出世の糸口を見つけ出したからだろう。彼の未来はこれから明るいだろう。だが、この男がその肩書きに相応しい教師なのかはまだわからないのだ。それは彼が決めることだ。
「そうか、そうか、先生は嬉しいぞ」
黙れ。そう喉まで来ていた言葉を飲み込む。
自信の欲を満たすために生徒に推薦を進めるのは教師としてはどうなのだろうか。だが、彼もまた出世という日常からの脱却を求めた自由の探求者に過ぎないのかもしれない。
皆、気づかない間にレールを走らされているのだ。これから脱却する術を私はまだ知らない。
その後数十分ほど松下の下らない雑談紛いのものを聞かされたが殆ど左から右へと流していたため、何を話していたのかは覚えていない。
やっと解放された私は職員室のドアの前で綺麗に一礼すると教室へと荷物を取りに行った。
廊下を歩きながら考えていた。レールから脱却する術はないのかと。いや、それも大事だがレールの問題を解決するにはこのネジ曲がった性を改善しなければいけないのだ。そのためには……そのためには……一体どうすれば。
やはり、誰かに打ち明けるべきなのだろうか? そのときに残るどす黒い塊を受け止めるだけの友人などいるのか? いや、いない。私の周囲にいるのは私のペルソナの友人だ。内面の友人など皆無だ。
じゃあ、私はどうするべきなのか……
ドカンッ!
考え事をしていた私の耳に不意に打撃音のような鈍い音が飛び込んでくる。それはどうやら私の教室から聞こえてくるようだった。
私は慌てることもなく教室のドアを開ける。
そこには四人の男子学生がいた。しかし、一人は明らかに他の三人とは立場が違うのがわかる。
三人で一人を取り囲むようにして暴行を加えている。
虐めだろう。学校内ではよくあることだ。
虐められているやつというのは、そういうレールに乗ってしまった可哀想なやつなのだ。
「鞄を取りたいんだけど」
私は三人組に声をかける。
私に気づいた彼らはチッと舌を鳴らして教室から出ていった。
私のペルソナは体育会系の部活動に友人が多くいる。表面的ではあるが、慕われている私に学校内で手を出すやつはいない。
こういう問題は教員は役に立たないのだ。やはり、最後は力があるか無いかの問題なのだ。
私は鞄を取り、自宅へと帰宅する。
筈だった。
突然、足に重みを感じ、下を向き、足元を確認する。
「ありがとう! ありがとう! 本当に……本当に、あ、ありがとう!!」
そこに先程までに殴られていたやつがしがみついて感謝を念仏のように唱えていた。
私はため息を吐いた後、爪を噛んだ。
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