5話 あちらこちらで急展開?(後編)

「ねえ、待ってよ、ねえ、美久子ってば……!」


 放課後。

 足早に校門へと向かう美久子の背中にかけられた声。

 眉間をしかめ、振り返った美久子の瞳に映ったのは、案の定、克子だ。


 一緒に帰ろうと必死で自分を追いかけてきたらしい克子の白い肌は上気し、ほんのりと桜色に染まっていた。

 年相応に膨らんでいる乳房を弾ませるように、ハアハアと息を整えている克子。


――わ……!


 美久子は思わず、克子からパッと逸らしてしまっていた。

 いや、克子から反射的に目を逸らすと同時に、美久子は自分の中でゴッと湧き上がったジェラシーからも目を逸らした。

 普通の器量の少女なら見苦しく、または暑苦しくもある日常の一コマであるが、克子はこんな時にまで可愛さを崩すことはない。 大多数の女をブスに見せる役割を果たすメガネをかけていたとしても、例外的に可愛い。やはり、こいつは可愛い。


「ほぼ毎日、一緒に帰っているのに……ここ最近、美久子ったら何も言わずに先に帰っちゃうんだもん」


 自身の姿が一瞬にして、美久子をジェラシーの炎に包んだとは思いも至らず、克子は上気した桜色の頬を可愛らしく膨らませた。

 確かに、克子の言う通り、ほんの少し前までは美久子は克子のイラつき&ムカつきながらも、同じ帰宅部ということもあり一緒に帰っていた。

 でも、今はそうはいかない。

 アドバイザー・FUKIからのメッセージを美久子なりに解釈すると、克子は美久子を”命ある限り続く生き地獄”にいざなうかもしれない人物の最有力容疑者候補なのだ。この女の近くにいると、何が起こるか分からない。あのFUKIが何が起こるかを具体的に教えてくれれば、こちらでもより具体的に対策が取れるというのに、それは無理そうである。

 だから、”危険”からは遠ざかるに限る。克子からは遠ざかるに限る。



 しかし――

 ”私はあんたなんか一緒に帰りたくないの”や、”あっち行ってよ、私に近づかないで”などと、さすがに面と向かって克子に言えるはずもなく、美久子は克子と帰宅をともにするしかなかった。


 美久子と克子の脚は同じペースで、最寄り駅までの道を進む。

 他愛のない克子の話に相槌を打ちながら、美久子は駅へと繋がる地下通路の入り口へと歩みを進めていた、その時であった。


「あれ? 克子ちゃん? キミ、大國克子ちゃんでしょ」


 ちょうど地下通路から続いている階段を上ってきた若い男が克子に目を止めた。


「……え? あ、あの……」

 克子の顔にサッと怯えが走った。

 男の言葉と克子のこの様子を擦り合わせて考えれば、2人が初対面であることは明白である。それにも関わらず、若い男は一般人である克子の名前をフルネームで知っていて、馴れ馴れしくも克子の名字ではなく、下の名前を”ちゃん付け”で呼んできた。


 しかし――

 この若い男――”男”と形容している通り、顔つきもその体格もファッションも自分たちと同じ高校生には到底見えず、おそらく20代前半ぐらいと推測される男は、思わず美久子をハッとさせるほどのイケメンでもあった。


 男は、美久子など風景の一部であるかのように全く目をくれず、克子に話しかける。

「あ、いきなり、ごめん。俺、KENのダチなんだ。一応、”ナルナル”にも2回ぐらい出たことだってあるんだけど。前さ、俺、KENに克子ちゃんの写真見せてもらったし、克子ちゃんのインスタもチラッと見たことあるんだよね。可愛い娘(こ)だなって思って覚えてたんだよ。ほんと、キミ、写真よりもかなり可愛いねえ」


 男は克子の彼氏――いや、最近別れたばかりの元カレ・KEN君の友人であった。『ナルナルナァール♪』の紙面にも2回登場したことがある――だが、美久子はKEN君のページばかり食い入るように眺めていたため、これまた十分なほどに今風のイケメンである、この男の顔を覚えてはいなかった。

 そして、男は克子に対し、2回も”可愛い”という言葉を――


 しかし、男に容姿をストレートに褒められたにも関わらず、克子は怯えた顔のまま、後ずさった。

 ”えぇ~♡ そんなぁ、可愛いなんて、言ってもらえてうれしいですぅ♡” などと言って、軽い感じ&今風のイケメンの男に、頭とお尻の軽い女子高生としてついていくつもりはないらしい。


「…………KEN君のお友達だったんですね。ごめんなさい、私、もうKEN君とは別れちゃったんで……」

 克子は後ずさったまま、馴れ馴れしい男に向かってペコッと頭を下げた。”ごめんなさい”という意思表示だ。


 いかにも遊び慣れている風の男も、いや、遊び慣れているからこそ、克子の拒絶の意思表示は分かったはずだ。しかし、男はなおもグイグイと克子に迫ってくる。

 自身のイケメンぶりに相当な自信があるに違いない男は、もれなく押しも強い。


「そっか。KENとは別れちゃってたんだね。でも、それならそれで超ラッキー。近くのカフェで、俺とちょっとお茶でもしない? もちろん、俺が克子ちゃんに奢るからさ」


 ”克子ちゃん、今度は俺と付き合ってみない?”という、男の誘い。そして、男は相変わらず美久子には目もくれない。美久子の存在を認めたうえでガン無視というよりも、最初から目にも入っていないようだ。


「早く行こっ! 克子」

 お腹のあたりから、嫉妬か惨めさかの区別のつかない熱がカッと立ち昇ってきた美久子は、考えるよりも先に克子の手を取っていた。


 この男につかまらなければとっくに下り終わっているはずの地下通路に続く階段を、克子と手を繋いだまま下り始めた美久子の背中に「ンだよ、ブス。誰もお前になんて、声かけてねえンだよ」という男の捨て台詞が振りかかってきた。


 美久子のお腹だけでなく、顔までも一瞬にしてカッと熱くなった。

 ブス。

 ストレートに女の心を傷つける言葉。

 あの男は、克子のことは”可愛い”と絶賛した&自分がお茶代まで出す気であったにも関わらず、美久子に対しては道端の石ころを蹴飛ばすがごとき扱いだ。

 いや、石ころを蹴飛ばす際に、わざわざ”ブス!”などと吐き捨てて蹴飛ばす者は少ないであろう。石ころ以下の扱いだ。

 しかし、あの男は明らかに自分より年下である女子高生(しかも初対面)を傷つける言葉が平気で吐ける男なのだ。KEN君の友人だか何だか知らないが、程度の低い、つまりは碌な男でないことを自ら露呈してしまっていた。



 駅のホームへと無事についた自分たち。

 男は追いかけて来てはいないようであった。

「ありがと……美久子」

 克子が囁くように言った。

 克子と手を繋いだままであったことに気づいた美久子は、思わず彼女から手をパッと振り払ってしまった。


 そうだった。

 さっきの男の捨て台詞が美久子に聞こえたということは、克子にもしっかりと聞こえているということだ。

 しかし、克子は”あんな奴の言うこと、気にしない方がいいよ”とか”私のせいで嫌な思いさせてごめんね”などとは言わずに、”ありがと”という礼の言葉だけを美久子に伝えてきた。

 克子はあの男の言葉――とりわけ美久子の心をえぐったであろう言葉は聞こえなかったふりをしているのだ。もし、そこに触れようものなら、美久子を余計に惨めにさせると思って……


 美久子の顔を火照らせている熱はますます強くなっていく。


――よりにもよって、あんたの前であんなことを言われるなんて……! それになんか、勘違いしているみたいだけど、私は純粋にあんたを助けたかったわけじゃないから……! さっきのあいつだって、単にあんたと暇つぶしに遊びたい……っていうか、あわよくばあんたとヤれたらラッキーみたいな感じで声かけてきたんでしょ。人より恋愛経験豊富なくせに、なんで一人でうまくかわせないのよ……!! あんたにはいつも直接的にも、間接的にも不快にされっ放しだっての……!



 思わず唇を噛みしめた美久子。

 確かに、先ほどの行動は克子を強引な男から助けたかったというよりも、自分の前で克子がその容貌を褒められたうえ、程度の低い男にとはいえ自分の眼前でモテている(声をかけられている)ことが癪に障ったからだ。

 それが美久子の最大の行動理由であり、唯一の行動理由であった。



「インスタにあげてたKEN君との写真……もちろんKEN君の顔が映っているのは1枚もないけど、別れた日の夜に私、全部消したのに。それにKEN君だって、ファンもいる読者モデルの立場上、インスタに私との写真は1枚だって載せてないはずだし……でも、それまでにKEN君が私との写真、周りの人に見せてたってことも充分にあり得たよね……」

 克子がフーッとため息をついた。

 克子いわく、KEN君との間に肉体関係はなかったそうだから、リベンジポルノはされないまでも、一度、各々のスマホに保存された写真は彼氏彼女の関係中であっても、その関係が終わった後であっても、各々がデリートしない限りは残り続ける。



「そうだよ。前から思ってたんだけど、克子ってガード緩すぎ。だから、あんな”軽薄そうな奴”に気安く声なんてかけられるんだよ」

 顔がまだ熱いままの美久子の口調は――その言葉の語尾はきつく&強く&荒くなってしまう。

 そして、美久子はなおも続ける。

「それにさ、前から思ってたんだけどさ。SNSに顔出しするの、本当にやめた方がいいって。なんで、自分の友達や知り合いしか見てないって思うかな? 全世界に自分の顔と、いくら小出しとはいえ個人情報を公開してるんだよ? 現にさっきのあいつも、克子のSNS見てたって言ってたじゃん。克子は自分で餌を撒いてるとしか思えない」


 今度は克子の顔が、カッと赤くなった。

「…………ほんと、美久子の言う通り。言ってくれて、ありがと。SNSにあげてる写真、顔がしっかり映ってるのは消すことにするよ」

「克子的にはSNSを止めるって選択肢はないんだ?」

「うん……やっぱり楽しいこともあるし、皆からの反応があったらうれしいし……それになんだか”繋がっている”って感じが私は好きなんだ。寂しがりだからかな。私も美久子みたいに自分は自分って思えたら、いいんだけど」



――自分で”寂しがり”とか、言ってんじゃねえって。それに、”繋がっているのが好き”とか”美久子みたいに自分は自分って思えたら……”とか、嫌味か! 嫌味以外の何物でもないっての! うちは単にあのクソ両親がスマホを持たせてくれないんだよ! 私はスマホを持たないことを自分で選んだわけじゃねえよ!


 克子の言葉は美久子を苛立たせた。

 ほんとにもう、ガリガリと見えない爪で、美久子の心を疼かせるように散々なまでにひっかいてきた。



「これからSNSも続けるにしても、ちょっと趣向を変えようかな。響さんみたいに顔は出さず、ペットや料理、風景の写真とかをメインにしてもいいかも」

「…………え? 響さんもSNSやってたの?」

 美久子の声には、まだイラつきがこびり付いているものの、克子からもたらされた自分の知らなかった事実――響芽美までもSNSを利用していたということに驚いた。


「うん。私、響さんとは学校ではそんなに話さないけど、SNSでは時々繋がってるし。響さんは本名では登録してないから、同じクラスの人が見ても多分、分からないよ。響さん、時々、私の投稿にいいねボタンやコメントくれたりするし、私も時々、返してる。響さん家のネコちゃんて、もう滅茶苦茶可愛い茶トラで……」

 響芽美の家のネコがどれだけ可愛いのかということよりも、身綺麗なJKではあるもSNSにて自分発信をするようなタイプには見えなかった響芽美までもが時代の波に乗っかっていたことに美久子は軽いショックを受けた。


「あ! この子だよ。名前はソメコちゃんで、もう結構なおばあちゃん猫だって」

 馴れた手つきでスマホを操る克子は、ほんのわずかな時間で響芽美のSNSへと到着し、美久子に見せたい茶トラ猫の写真を探し当てていた。

 美久子は克子のスマホ画面をのぞきこむ。克子の人差し指が件の猫の写真の投稿へと向かわんとした時に、美久子は気づいた。


「待って! それ……」

 いくら可愛いとはいえ、人の家のペットの写真をじっくり眺めるよりももっと美久子の気を引く投稿があった。

「え……何?」

「それだって! 猫の投稿の次の投稿! その最新の投稿!」

 美久子は思わず、声を荒げてしまう。


 克子は「?」という顔で訝し気に美久子を見たが、美久子が気になっているらしい響芽美の最新の投稿記事へと人差し指をスッと移動させた。

「これって……響さんが今、編んでるマフラーの写真でしょ。これがどうかした?」


 克子の言う通りであるだろう。

 美久子も写真の毛糸の色には見覚えがあった。響芽美が教室で、未婚なのに母を思わせるような表情でかぎ針を手に編んでいた毛糸の色だ。

 間違いなく、南城直人にプレゼントする予定のマフラーの途中経過写真であるだろう。

 投稿には、数件のコメントがついていた。

「すっごいキレーな編み目。初心者とは思えないよ♡」や「料理も◎ 裁縫も◎ 将来、芽美はいいお嫁さんになり、お母さんになること間違いなし(*^▽^*)」とか……


 年中発情中かと思われた克子が、いつまで持つかは分からないが”恋はしばらくいいや”みたいな感じにシフトし始め、南城直人からの数年越しの発情アピールを触れなば落ちん具合にスルーし続けてきた響芽美が、ついに南城直人の思いを受け入れ、彼女たちは付き合い始めた。

 ここ数日、公認のカップルとなっため、いつになく上機嫌の南城直人が頬をいつも以上に揺るませて、響芽美に「なあ、昼は一緒に学食で食べねえ?」とか「今日は一緒に帰れるか?」なんて、犬のように響芽美に尻尾を振りまくり、周りの者たちにもからかわれ&失笑されていた。


 

「ねえ……克子……」

 美久子は思わず口を開いていた。いや、勝手に口が動き出したといった方が

「何?」

「あのさぁ、響さんのことどう思う?」

「どう思うって……好きか嫌いかってこと?」

「違うって。そうじゃなくて……」


 非常に曖昧な問い方であったため、当たり前であるが克子は美久子の問いの真意を量り損ねていた。

「響さんが急に南城くんと付き合うなんて言い始めて……ううん、言い始めただけじゃなくて、実際に”あんなの”と付き合い始めたなんて……ちょっと違和感みたなもの感じない?」


「えーと……まあ、いいんじゃないの。響さんの心の中で考えていることは、響さんにしか分からないわけで、私たちが口出せることでもないし。けど、あまりにも急展開で違和感っていうか、私も驚いたのは事実。驚いたっていうか、よく南城くんと付き合うことにしたなって…………失礼だけど、正直なトコ、思った。あのまま、これから何年か後のゴールインまで突っ走ればいいけどさ。何かあって別れることになった時、相当揉めると思う」

 克子は、今から言うことは言っていいのかいけないのかを考えているかのように、頬に手をやった。そして、彼女は続けた。


「……ウザヘルメット(二階堂凜々花)に同調するわけじゃないけど、南城くんってやっぱり危険な面を持ってる気がする。今は南城くんは、いかにもヤンキーもどきっぽい外見と声はしてるけど、見た目ほど怖くはないみたいな位置づけじゃない。でも、響さんが絡んでくると違う気がするんだよね。響さんのことだけは特別というか……そりゃあ、好きな女が特別なのは当たり前だけど……南城くんの場合は響さんのためなら、極端な話、”人でも殺しかねない”ほどの圧まで伝わってくるもん。ただのクラスメイト同士の関係のままだったら、その圧だって今ほどきつくはなかったろうけど、もう彼氏彼女の関係になっちゃったしね」


 恋愛経験豊富な方である克子から見ても、ましては恋愛経験皆無であるに違いないウザヘルメット(二階堂凜々花)から見ても、南城直人はかなり粘着質で歯止めがきかなそうなほどの危険な圧力を感じ取られている南城直人。

 しかし、”人でも殺しかねない”などとまでいうのは、ちょっと言い過ぎな気がしないでもなかったが……



 それから数日が過ぎた。

 美久子は深夜0時前にパソコンの前でスタンバイしていたというのに――悔しすぎるがスタンバイせざるを得なくなっている自分に気づいたというのに、あのムカつくアイドルぶりっ子のアドバイザー・FUKIからのメールは届くことはなかった。

 まるで今までに届き、そして謎に満ちたメッセージを伝えるとすぐさまその痕跡が消されてしまったメール文面と動画たちは、まるで美久子の日常にバグが起こっただけであったかのごとく、何の音沙汰もない。

 あの女からの次なるメールが届かないことには、自分は危険(最有力容疑者候補である克子)から身を遠ざける以外、何もできないというのに。


 しかし、この数日の間、一人で帰ろうとしている美久子の後を克子は相変わらず、追いかけてきて「一緒に帰ろうよ」と言ってきたから、美久子は頷くしかなかった。最寄り駅で克子と一緒にいるということで、またあのナンパ男に鉢合せし、心をえぐられるのではないかとビクビクしていたも、幸運にもあのナンパ男には遭遇はしなかった。

 そして、相変わらず……いや、本人が数年越しで待ち望んでいた関係になってからというもの、南城直人は発情期のサルのごとく響芽美にまとわりついてた。



 そして――

 美久子はついに、南城直人が”学校内で”理性を無くした雄になりかけた瞬間を目撃してしまうことになった。



 それは、帰りのホームルーム前の休み時間のことであった。

 持ち場の校内清掃が終わり、教室に戻る途中であった美久子はふと顔を上げると、屋上へと続く階段の踊り場に4本の脚が見えた。

 男の脚と女の脚、それぞれ1組ずつだ。

 制服のズボン越しにも男の脚はガッシリとしていることが分かり、持ち主の男子生徒はかなり大柄であるだろう。

 対して、女の脚は細くしなやかであった。

 細いと言ってもガリガリに骨ばっているわけでなく、ほどよい肉付きのある細さであり、足首がキュッと締まっている。何より、紺ソックスから覗く手入れの行き届いている白いふくらはぎに、美久子は目を奪われた。


――誰だろう?


 美久子は好奇心より、ついつい近づいていってしまっていた。男子生徒の正体よりも、女子生徒の正体を知りたいという気持ちの方が強かった。上の踊り場まで行かなくても、階段の下でも彼女たちが誰であるのかを確認するつもりであった。


「……芽美、俺、なんだかずっと天国にいるみてえな気分なんだよ。うれしくて、うれしくて……でも、俺の瞳にお前の姿が映ってないと、お前がどっか遠くに行っちまうんじゃないかって、不安なんだよ」


 踊り場にいたのは、南城直人と響芽美であった。

 ”あんた、その厳つい顔とごつい図体で、何、乙女チックなこと言ってんだよwww”と、美久子は思わず吹き出しそうになった。

 吹き出しそうになるのと同時に、南城直人の粘着質な危険な面も今の彼の言葉から読み取れ、背中が少しじっとりともした。

 ”俺の瞳にお前の姿がないと……”ということは、俺は片時もお前と離れたくない、ということだ。四六時中べったりと一緒であるのはもちろん、美容師や医師ですら「男なら許さない!」とか言い出して、ギッチギチに束縛してきそうだ。めんどくさいうえに怖い。


 第三者の美久子にとっても恐怖心を起こさせる今の言葉に、当事者である響芽美はどう答えるのか?


「そんなこと言ってもらえるなんて、すごくうれしい。そうだ……直人が不安にならない”おまじない”してあげる」

 響芽美の柔らかな声。

 彼女は怯えるわけでもなく、引いているわけでもなく、本心から南城直人の言葉を喜んでいるようであった。


 それに、不安にならない”おまじない”とは一体……?


 美久子がグッと背伸びして、踊り場の様子をうかがおうとすると同時に、踊り場にいる響芽美もグッと背伸びをした。

 そして、響芽美の唇はそのまま、南城直人の唇へと重なったのだ。


――!!! がっ……学校でキスしやがったよ、あいつら……!


 ドラマや映画の中ではなく、現実でのキスシーンを……それも同じ教室で授業を受けている者たちのキスシーンを、生で目撃してしまった美久子の顔は赤く染まり、何とも言えない背徳感と罪悪感が背中に覆いかぶさってきた。


 さらに、そのうえ、響芽美からの”おまじない”――キスを受けた南城直人は……!

「芽美!!!」

 まるでせき止められていた堤防が決壊したかのごとく、響芽美の両肩をガッと掴んだ。

 もし、芽美の背後にあるのが、学校の薄汚れた固い壁ではなく、いい匂いのする柔らかなベッドであったとしたら、きっと直人はそのまま芽美を押し倒さんばかりの勢いで!


「きゃっ!」

 芽美が小さな悲鳴をあげた。

 雄の部分を剥き出しにし始めた(というか、響芽美自身が剥き出しにするきっかけを作った)南城直人であったが、芽美の悲鳴と怯えた顔を見て、両手の力を緩めたらしかった。


「す、すまん……」

「ううん、いいの。ちょっとビックリしただけよ。ね、直人……今度の土日、私の両親……旅行で家を空けるんだ。家にいるのは、私とソメコちゃん(飼い猫)だけになるの。もし、良かったら遊びに来ない?」


 遊びに来ない?

 それはすなわち、”泊まりに来ない?”ということだ。

 さらに言うなら、”泊まりに来て、エッチしない?”ということである。


「お、おう! もちろん行くぜ!」

 南城直人のうわずった声。期待に満ちた声。

 長年の思い人をついに自分の腕の中に抱くことができるという喜びが、彼の全身を覆い尽くしているであろう。



「直人……私、直人相手なら怖くはないけど……初めてで……」

「お、俺だって、初めてだよ!!」


 ”俺はずっと、お前だけを思い続けてきたんだから!”という、南城直人の心の言葉を響芽美は分かっているだろう。



――!!! がっ……学校で”初交尾日”の約束までしやがったよ、あいつら……!


 美久子の唇がブルブルと震える。

 どういった理由のため、震えているのかは美久子自身も分からなかった。 


「帰りのホームルームまで、まだ時間あるし、屋上で少し時間潰さない?」

「そうだな」


 処女と童貞同士で、初エッチの日取りを決めたばかりのカップルは、美久子が階段下で覗き見と聞き耳を立てていることに気づきもせず、そのまま屋上へと向かっていった。



――学校で盛るなって、どいつもこいつも……!


 チッと舌打ちし、教室へと戻ろうとした美久子であったが、その背後に人の気配を感じ、「!!!」と飛びあがらんばかりに驚いた。

 自分の背後に、背後霊のごとく立っていたのはウザヘルメットこと、二階堂凜々花であった。

 ……あんた、いつから、そこにいた?!



「先ほどの光景……安原さんもしっかり目撃しましたよね? 学校内であんなことをするなんて、本当に……いえ、でも、まだ彼女たちの唇が軽く触れあうだけで済んだことは幸いと言いますか……もし、しっ、しっ、舌まで互いに絡め合わせるような段階に突入し始めたなら、私は……!!!」

 二階堂凜々花は、カアッと頬を赤らめた。

 特に、”しっ、しっ、舌まで互いに絡め合わせるような段階に”のところで……


 ヘルメットのような髪型、いつもガサガサの骨ばった膝小僧、ラノベの登場人物のような喋り方で、いかにも堅物そうな”ウザヘルメット”であるも、一応、ディープキスなるものの概要は知っているらしかった。


 美久子の返事を待たず、頬を真っ赤に染めたままの凜々花は続けた。

「学校内でキスをすること自体が極めて不埒なことですが、あれ以上のことに及んでいたなら、私はすぐさま生徒指導室へと全速力で走り、生徒指導の先生を呼んでいたでしょう」


 もしあのまま踊り場で、南城直人が自分の性器を取り出したり、響芽美の性器をさらけ出すような展開へとなっていたなら、正直、美久子自身も人を呼んでいたであろう、と思った。

 ただ、美久子は通り生徒指導室まで駆けるというよりは、近くを歩いている顔見知りの女子生徒を捕まえ、「ねえ、見て。学校でヤッてるよ、あの人たち。信じらンな―いwww」と言った具合に目撃させ、徐々に校内性交の目撃者の山を増やしていく展開の方が面白そうだと。



「……本当に、本当に、あんなことを……あんな……あんな……」


 二階堂凜々花は、まだ一人でブツブツ言っていた。顔を赤くしたまま。

 その表情は、校舎内にて盛り始め、風紀を乱す寸前であった者たちに対する怒りというよりも、むしろ、クラスメイト2人が雄と雌となりかけた瞬間を目撃してしまったことによって、関係のない自分自身の雌の部分までもが疼いているようであった。


――一体、何考えてんだ? この”ウザヘルメット”?


 しばし、考えた美久子であったが、一つの仮説に思い至った。

 ひょっとしたら、この二階堂凜々花は”少女漫画脳”なのかもしれないと。

 少女漫画で描かれるようなヒロインには程遠い外見のくせに、男から強引に迫られたり、押し倒されたり、場合によってはそのままセックスへと流れ込む(避妊具の用意もなく、おそらく生で挿入となる)シチュエーションに憧れているのかもしれないと。


 南城直人に気があるわけでは断じてないだろう。

 だが、一人の男子生徒から数年越しの恋心の洪水をその身に浴びている響芽美に――少女漫画におけるヒロインのごとき状況に憧れているのだ。


 美久子自身は、例え相手がどれだけイケメンであっても、皆のアイドル――比喩ではなく、本当にアイドルを職業としている男であっても、どこかの国の王子様であっても、強引に迫られたり、押し倒されたりなど、強制猥褻や強制性交未遂にあたる行為をされたりしたら、絶大な恐怖と嫌悪と”殺意”しか感じない。

 しかし、二階堂凜々花は違うようだ。

 私も強引に押し倒されたい、攫われたい、求められたい、いえ、私を求めて! と、言わんばかりの表情であった。


 美久子は、凜々花が膨らませている小鼻の毛穴の黒ずみに気づく。

 黒いポツポツがいっぱいの鼻。

 いつもガサガサの膝小僧といい、もしかしたら凜々花の腋も、黒くポツポツしているといった有様なのかもしれない。


――男に押し倒されたいなら……鼻パックぐらいしろよ。そのブサイクな目鼻立ちは変わらないにしろ、ちょっとはマシになるように努力しろっての。



 美久子は考えてしまう。

 この二階堂凜々花も、克子も、そして響芽美も、同じ高校2年生だ。世間でいうJKだ。

 しかし、性格は抜きにして、各々の女としての魅力を数値化したとしたなら、克子も響芽美も誰もが認める絶世の美女ではないが、二階堂凜々花よりは遥かに数値が高いであろう。もしかしたら、2倍近い数値の差があるかもしれない。

 生まれ持った容姿ばかりは仕方ない。

 同じ年齢で同じ制服に身を包んでいても、いや、同じ年齢で同じ制服に身を包んでいるからこそ分かる性的魅力の差。


 かなり気持ちの悪い例えであるも、もし、仮に自分たちの教室に複数の暴漢が押し入ってきて、男子生徒を追い出し、女子生徒のみを監禁して”どのJKから犯(や)るか”なんて値踏みをし始めるようなエロ同人やエロゲーみたいなあり得ないことが現実に起こったとしても、暴漢たちが二階堂凜々花に手を出すのは恐らく一番最後となりそうだとも。

 ひょっとしたら、二階堂凜々花は性欲の権化のごとき暴漢たちにすら、スルーされるかもしれない。


 思わず、鼻からフッと笑いを漏らしてしまった美久子であったが、当の自分自身は”克子&芽美たち”か、”凜々花”のどちらに振り分けられることになるであろうかとは考えてはいないようであった。

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