第33話

「すみません! 遅くなりました!」

 フットサルコートで軽いアップをしていると最後の一人が到着した。

「おーおつかれ伊織。忙しいのに悪いな」

 声の方を振り返り驚愕した。

 俺は、こいつを知っている……

 

 U-15の日本代表の試合でこいつの得点シーンを何度も見た。そのどれもが劇的なゴールだった。

 天才ストライカー衣笠伊織(きぬがさいおり)。こいつは、本物だ。


「あ……橘くん……」

「久しぶり」

 こいつ俺のこと覚えてたのか……

「よかった……サッカー続けてるんだね」

「まぁいろいろあってさ。俺のこと覚えててくれたんだ」

「もちろんさ!あのとき僕は君とサッカーを繋ぎ止めようと必死だったんだよ?」

そんなことはわかってる。でもあのときの俺にはサッカーへの情熱なんてほぼ無かったんだ。

「マジかよ……全然知らなかった」

適当な嘘が口から転がる。

「君は天才だ。それは僕が保証するよ。そんな君がつまらないと言ったサッカーを、僕は君に好きになってもらいたかった」

お前の気持ちはわかってた。ちょっとした休憩時間にも、1人だけ熱を帯びない冷めた俺にずっと話しかけてきてくれた。だけどあの時、俺はそれすらも少しうざったいとすら思っていたのだ。

俯く俺に衣笠は更に続けた。

「あの時、僕は君からのパスをたくさん引き出してその多くを決めた。君に気持ちよく、楽しくサッカーをしてもらえたと思ってた。でも翌年、君は県トレにはいなかった。僕はてっきり君がサッカーをやめてしまったのかと思っていたんだ。でもまた一緒にボールが蹴れて嬉しいよ」

 毛穴がブワっと開くのがわかった。凄く嬉しかった。

 たしかにこいつに球を出すのは楽しかった。こいつの動き出しや考えは何故か俺にはわかった。だからボールをもらうと俺はまずこいつのいるフォワードを見るようになっていた。この癖は今も大切な俺の武器となっている。そういやこいつが俺に教えてくれたんだったな。


 顔を上げてまずフォワードを見るとぼんやりと周りの状況も視界の端で捉えることができる。そうすることでフォワードにパスが出せなかった場合に他の人にパスを出したり、余裕があればドリブルをしたりと逃げが効くのだ。

 ただしこれは意識しないとなかなかできることではない。試合中はどうしても視野が狭くなる。そうすると、状況把握が遅れることでパスコースの選択肢は減り、近いところへのパスの供給になってしまいがちだ。

 俺が視野を広く保てているのはこの無意識にフォワードを確認する癖のおかげなのだ。


 衣笠が俺のことをそんな風に思ってくれていたことが嬉しかった。

 翌年俺が県トレに選ばれなかったのは単純な力不足のせいだ。それにあのときの俺は、君が思っているような俺じゃなかった。

 わがままで、怠惰で、生意気で、下手くそで……


 でも今はそうじゃない。それを伝えたかった。


「違うんだ。俺は君が思うような人間じゃない。県トレに選ばれなかったのがその証拠だよ。でも1つだけ言わせてくれ」

 衣笠は不服な顔で俺の言葉を待っている。どんだけ俺を評価してるんだよこいつは……

「俺は今、サッカーが本当に好きなんだ」

言って気づいたがかなり恥ずかしいことを言っている。あーもう最悪だよ。

「それはよかった。でもそうなってくると僕じゃ変えられなかった君を変えてくれた誰かさんの話が聞きたいな。いや、聞かせてくれないと許さないよ」

 子供のように歯を見せてニヤリと笑う衣笠に、変わらないなと安心した。

「まぁそのうちな」

「そのうちってなんだよー」

 肩を組んで「誰なんだよ? ねーねー」と聞いてくる衣笠に他のメンバーが驚いていた。


 双子が両側から大辻さんの袖をクイクイっと引いて質問した。

「「あれ、衣笠だよね?」」

「せやで。サプライズゲストや。まさかハルちゃんと知り合いやったとはな」



「やぁ、俺は壬生千尋だ。衣笠だよな? こんなところで会えるなんてびっくりだな。二人は知り合いなのか?」

 壬生さんが不思議そうに聞いてきた。

「はじめまして! 今日はよろしくお願いします。知り合いというかもう親友だよね?」

 こいつ久しぶりなのに距離の詰め方おかしいよ絶対……

「いや、昔一度県トレで会った程度ですね」

「またまた照れちゃってーかわいいなー」

 なんかこいつ篠原に似てんな……イラっとしちまったぜ……

「ハルちゃんも県トレだったんだーそりゃ期待しとかないとなー」

 壬生さんは楽しそうだ。



 大辻さんが咳払いをする。

「諸君! 今夜はこのメンバーで全勝を目指す! これはなぁ、伝説の始まりなんや!」

 その宣言でメンバーの士気は上がる。



 突然の予期せね再開もあり、なにかが始まるような予感がしていた。柄にもなくワクワクしている。

 それにまさか年代別の日本代表と一緒にプレーできるなんてありがたい話だ。

 サッカーで交遊関係が広がる感覚はこの上なく格別に感じた。


 期待に胸を膨らませ、俺は試合開始のホイッスルを今か今かと待ちきれずにいた。


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