「映画に求める大事なものは『才能』だ」第12話『ティファニーで朝食を』

 自分の部屋で企画を練るのが苦手だ。


 家にはDVDやゲーム、小説に漫画、いろんな誘惑がある。


 それらをすべて跳ねのけて企画を練るのには、かなりの精神力を要求されるのだ。


 映画に対する情熱があれば大丈夫。間違いない。


 けれど、煩悩を断ち切るのに集中力を使うくらいなら、最初から誘惑のない場所に行く方がいい。


 というわけでアキトシはカメラマンのバイトが終わった後、ノートパソコンを持って、ヌー茶屋町の二階にあるカフェに来ていた。


 板張りの床。オレンジ色の照明。入って右は調理場で、あとは大きな窓から茶屋町の様子が見られる感じだ。


 窓際の一角がちょっと島になっており、そこだけカウンター席になっていた。


 カウンターの真ん中にプランタータワー、Wifiのパスワードにお店が用意したタブレット。古い天秤に、古い映画のワンシーンを集めた白黒の本がある。もちろんコンセントもだ。椅子は背もたれのある布張りで、軽くて座りやすい。


 アイスティーを注文し、すでに三〇分。


 ノートパソコンの画面には制作日と制作者の名前、そして夢と情熱と意気込みだけが詰まった『企画書』という三文字だけ。


 アキトシは頭を抱えて空白という開拓地を見つめ続けている。


 さすがに、なにもないところから急に出すのは難しい。


 一から考え直すため、この間の話し合いを振り返る。


 みんなの大切なものが判ったことは大きい。


 ヒョーロンは面白いこと。


 面白いのにも種類があり、知的面白さ、感情的、葛藤的面白さ、共感性の面白さ、意外性の面白さ……


 特に大事にしたいのはコメディ的な面白さらしい。


(ってことは、シリアスな物語より、ちょっとコメディ的な方がいいな……)


 スタンリーは画。


 どんな画が撮りたいかと聞いたら一枚絵のような舞台、躍動感のある動き、感情と風景が一致した絵画的世界……


 特に今は色の調和に挑んでみたいらしい。


(……極彩色、補色、ネガポジ……そういうのが使える舞台?)


 ただ、セットは作れないので条件に合致する場所を探したい。


 シノブは大事なもの……というよりは『恋愛劇』を演じてみたいそうだ。しかも、自分が主役ではなく、主人公にアドヴァイスする『おいしい役』がいいらしい。


 主演女優賞が欲しいと言ってたような気がするが……


(気まぐれだからなぁ……)


 思わず苦笑い。


 マダピーは……言葉を思い出す。


「人生において最も大切なものは別にある。だが、映画に求める大事なものは『才能』だ。凡人が作ったものを観たら悔しくなる。天才が撮ってこそ、俺は楽しめる。だから、ソレが必要だ」


 よりによって一番きつい。


 自分の才能とは? 個性とは?


 どんな監督でも、作家でもずっと付きまとう悩みだ。


 ただ、難しいからといって足を止めるつもりはない。


 自分の才能は判らなくても、大事なものは判った。


 映画が作り出してくれているいろんな『つながり』。


 人と映画を結びつけるような『つながり』を生み出す作品を撮りたい。


(……つまり、ラブコメディ系で才能を感じて色とりどりな感じで人と映画を結びつけるような作品ってことか……)


 だいぶヒントは出ている。


 これをどうにかして形にしなければ。


(例えば……ラブコメの舞台になる場所でカラフルな場所と言えば……?)


 頭を抱えると同時に隣の席に人が座ってきた。だんだん混んできたようだ。


 どんな人が隣に来たのか? 確認のために様子をうかがう。


「どうも、こんばんは」


 隣に座ったのは大鳥紗理奈だった。


「え、あれ? あ、こんばんは……ってどうしたんですか?」


「今日、オフで友達と映画を観てたんです。その感想戦をここでやってまして。お邪魔でした?」


 出入口の方を見ると、女の人が二人ほど大鳥に向かって手を振っていた。


「そういうわけじゃ……」


「映画のアイディア出しですか?」


「ええ、まぁ」


 急に現れ、急に隣に座り、急に思考を奪っていくから、アキトシは激しく混乱した。


「この間、監督と話せたのはなにかお力になれました?」


 思わず、稟冶を見て目を輝かせる大鳥を思い出す。


「あ、それは、はい……」


「んー? なんですか、その反応。なんかいつものアキトシさんじゃないですね?」


 少し怒ったような顔。


 自分に向けられる表情……


「そ、そんなことは……」


「あっ、でも、企画を考えてて集中してるから?」


 そういうことにしておこう。


「あ、うん、もうちょっとで見えてきそうだったから……」


「聞いてもいいです?」


 聞いてくれるというのなら、話してみたい気もする。映画を愛し、数も観ている人だ。自分のことをどう思っていようと、しっかりとした意見が返ってくるに違いない……


「みんなが大事だって言ってたものを組みあわせて考えてるんだけど……まだロケハンしてないんだけど、彩のいいお店を舞台にしたいって思ってて……」


 ただ、少しずつ、少しずつ。


「ドラマは『つながり』を大切にしたいから、そこで人と人の絆……だから、逆にすれ違いが多いのかな?」


 話せば話すほど考えがまとまっていく。


「それなら、ギャラリーカフェとかどうですか? いろいろ絵が飾ってありますし!」


「ギャラリーカフェ……なるほど、面白いかも。それなら、そこのマスターは目利きだろうし、美術品を通じて人と交流して……」


「贋作騒ぎとか、盗品騒ぎとか?」


「いろいろ使えるかも……そうなると、主人公は……」


「マスターとか、従業員とか?」


「それもいいかも。他には常連さんとか、オーナーとか……」


 堰を切ったようにあふれ出してくる。


「お店の雰囲気にもよるけど、普通の喫茶店よりも面白い特徴があれば、そこをポイントにして作れそうだな……」


「隠れ家的なお店だとワクワクしますね!」


「隠れ家的……だとしたら、ちょっとファンタジー成分を入れた方が面白いかも?」


「いいですね、いいですね! 魔法とか?」


「妖精とか……でも日本だから妖怪とかって手も」


「あー、わたし、そういうのが出てくるの、けっこう好きなんですよね!」


 言葉を交換するたびに映画のフィルムができあがっていくような感覚。


「じゃあ、オカルトに関係する主人公……定番だと、昔から妖怪とか妖精とか視えてて、他の人に理解されなくて悲しい過去を持ってたり」


「でも、その妖精さんが特別な友達だったりとか」


「それがいつの間にか視えなくなっちゃって探したりとか、他にも視えるからこそ襲われたり、頼られたり……」


「あ、じゃあ、こんなのはどうですか?」


「なるほど、だったらここはこうして……」


「――こっちの展開も面白いと思うんですけど」


「オレも思いついたかも。それにコレくっつけたらどうかな?」


「あー、その発想はなかったー!」


 楽しい時間はあっという間に過ぎていき……


「すみません、閉店時間なんですが……」


 店員の声に驚いて二人とも言葉を失った。


「あ、あれ? さっきラストオーダーを……」


 聞いていたような気がするが、確かに頼んだものは来ている……


「あっ! わたし、終電が!」


「何時ですか!?」


「零時ちょうど……」


「えっ、後五分!? 支払いしとくから、急いで!」


「あー……でも、走っても無理なんであきらめときます!」


 ガッツポーズ。気合を入れる場所が判らない。


「えーっと、家はどこ?」


「北摂の山田ってとこなんで、タクシーでもなんとか」


「その距離なら、オレ送りましょうか……? スクーターだから、ちょっとかかると思うんですけど……」


「ほんとですか!」


 楽しそうにほほ笑む大鳥に、アキトシの思考は、またひどく濁った。


 お店を出て近くの駐車場に止めていたスクーターを持ってきたアキトシは、予備のヘルメットを渡した。


「へへへー、わたし二人乗り、ちょっと憧れてたんですよね」


 ローマの休日に憧れてかなと思ったが、口にはしなかった。


「じゃあ、お手数おかけしますが、お願いします」


「ちゃんと捕まっててね」


 いつもより少しだけ挙動の重いスクーターは御堂筋の高架下を走って北摂へ向かう。


 途中、アキトシの頭の中はまたごちゃごちゃに混乱していた。


 きっと、大鳥は稟冶のことが好きなのだ。


 あんな目をするのだから。


 映画のことに夢中になれたのは、大鳥に対する気持ちを頭の中から追い出すのには都合が良かった。


 なのに、大鳥から、こんなに近くに寄ってくる。


 お腹を締め付ける腕の力。


 胸が苦しい。


 次、彼女がスクーターを降りてから、自分はどんな顔をしたらいいだろうか?


 そればかり考えていると、あっという間に山田へ着いた。


「すいません、ありがとうございます!」


「いえ、こっちこそ遅くまで突き合わせちゃって……」


「楽しかったですよ。やっぱり映画のお話って夢中になっちゃいますね」


「そう、だね……作る方、だけど」


「映画は映画。作るのも観るのも、どっちも魅力的ですから。それに……やっぱりすごいですよ。わたしは映画を届けるだけしかできませんけど、アキトシさんは一から作れるんですから」


 嬉しいことを言ってくれた。けれど、素直に受け止められるほど、心に余裕がない。


「……まぁ、すごく苦しんでるけどね」


「そんな苦しさを耐えきって、作っちゃうんでしょ?」


 アキトシが映画を完成させるのはさも当然と言わんばかり。


 信頼されている?


 正直に言えば、嬉しい。心が躍るほど。


「それじゃ企画、がんばってくださいね。楽しみにしてます! できたら絶対、観ますから! おやすみなさい!」


 夜中を照らすほどのまぶしい笑顔を見せると、彼女は団地のアパートへ入っていく。


 どうすればいいだろう。


 彼女のまばたきひとつ、手を振る動作ひとつが、自分を苦しめるなら、いっそ離れた方がいいはずなのに。


 その方が映画に命を懸けられるのに。


 ――いや、違う。


 彼女も、映画がつなげてくれた『つながり』だ。


 自分から勝手に切るようなことをしてはいけない。


「あ、あの……!」


 思わず呼び止めてしまった。


「はーい?」


 大鳥は振り返り、返事してくれる。


「あの、き、聞きたいことが……!」


 自分でもどうにかしていると思う。


 けれど、つながりを絶たずに……諦めるなら早い方がいい。


「大鳥さんって、稟冶の……七谷監督のこと、どう思ってますか……!」


 全力疾走したときのように、心臓が落ち着かない。


 大鳥はきょとんとした表情で、アキトシの方をじっと見ていた。

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