フルタイム・ホビイスト

木月 悠介

「俺の夢は残酷やった」第1話(プロローグ)『欲望』

「夢は人に力を与えてくれることもあれば、傷つけることもあります。なぜなら夢の中でいい思いをすれば幸せで、ひどい目に遭えばつらく苦しいから。それに夢を見ていると眠りが浅いからですな、うっかりが多くなって箪笥に足の小指をぶつけることもあるでしょう」


 人生の『夢』の話かと思いドキリとしたが、なんだ、眠っている間の夢の話なのか。


 アキトシは結婚式会場の片隅でホッとする。円卓に座っている親族やゲストも『夢』について心苦しいことがあるのだろう。スピーチの始めに生まれた緊張感が、ふっと緩んだように思えた。


 アキトシは自分の仕事を思い出し、スピーチをする小太り中年男性の写真を撮る。


「そして、起きている間に見る夢は……人に活力を与える一方で不安をも与える。叶えば幸せですが、叶わなければ悲しみを抱いてしまう……」


 シャッターを押す指がけいれんし、止まった。肩に力が入ったのも判る。


「僕も悲しみに暮れた覚えがあります。そんな中で、このたび恵さんがご結婚なさったことは本当に喜ばしいこと。なぜなら、昔から彼女の夢は、お嫁さんになることでしたから」


 花嫁の顔が化粧を乗り越え真っ赤になった。よほど恥ずかしいことだったに違いない。


 ここはシャッターチャンスだ。記憶を写真という形にする作業。夢についてのスピーチを耳に入れないためにも集中する。


 夢中でシャッターを押し、フラッシュをたく。大型のフラッシュと大型バッテリーを装着したカメラは中肉中背のアキトシには重かったが、頑張っているという満足感を得るためには、ちょうど良いしんどさだった。


 しばらくするとスピーチが終わったのか、ゲストが席を移動しはじめる。歓談の時間のようだ。ゲストが席に行く瞬間を納めなければならない。しかし、それはメインのカメラマンが引き受けてくれているようだ。


 アキトシはレンズを変え、カメラを三脚に固定し、少し後ろから会場全体の様子を収める動画を撮影した。昔は大型のカメラを使わなければならなかったが、今は写真用のカメラでもレンズにさえ気を付ければ綺麗な動画が撮れる。便利な時代になったものだ。


 逆に会場となるこのホテルは古い。大阪の阪急梅田駅の近くにある、なかなか豪華なホテルだが、何度も訪れているため目新しさも失われていた。


 どこにでもあるような中規模の広さの部屋。前はナズナのようなシャンデリアをかわいいと思ったが、もう珍しくない。部屋を彩るクロスさえも、どこかで見たような感じだ。どうせなら薄緑のクロスにピンクのナプキンをあしらうくらいはやって欲しいものだ。その方が補色の関係で見栄えする。照明には少し合わないかも知れないが。


「ドキッとしたやろ?」


 壁際で別のカメラを使い写真を撮っていると関西弁独自のイントネーションが耳に入った。しゃがれ声。隣を見ると、後ろ髪をくくった初老の男性がいた。一七二センチのアキトシよりも一〇センチほどは小さいだろうか? 周りを見回すが、近くにはアキトシ以外、いない。


 視線を向け「オレですか?」と問うように簡単なお辞儀をする。


「あれ兄貴やねん。昔、劇団員で、脚本も書いててん。やからああいう、相手を驚かすような言い回しするんよね。他人のことも考えへんで」


 返事はした方がいいのだろうか?


 自分はただのアルバイトカメラマンで、この空間では存在を消して仕事をするのが一番いいことなのに。


「ドキッとせぇへんかったら、兄やんの夢はカメラマンってとこか? NIKONのカメラやし」


 ついカメラを確認する。確かにNIKONだ。普段はCANONが多いのに。


「……NIKONだとプロカメラマンを目指してるってことになるんですか?」


 好奇心に負けた。


「……ああ、まぁ、兄やん、若いから知らへんか。おいくつ?」


「今年で二十八歳になります……」


「若いなぁ。ええなぁ。若いのは可能性やで」


「もう二十八ですよ。そりゃ、えーっと……お客さんに比べたら若いでしょうけど」


「深作や。よろしゅ」


 握手を求められた。戸惑いながらも応える。細い体に反して強い力。ひっぱられ、同じ舞台に立たされたような気分になった。この人はたぶん、頭がよい上に強引な性格なのだろう。それに新婦と同じ苗字ということは親族か。


「杵渕です。それで、なんでNIKONだと?」


「せやった。その話やな。六〇年代にな、BLOW-UP(ブロウ・アップ)ちゅう映画があったんや。プロのカメラマンを主人公にした映画でな。どぎついかっこえかったねん。その主人公が使ってたのがNIKONカメラやってん」


「……BLOW-UP……ってひょっとして邦題が『欲望』って映画ですか? 六十七年公開の」


「お、なんや知っとるんか?」


「あ、映画の方は。ちゃんと見たんですけどね。使ってるカメラまでは知りませんでした」


「まぁ、アレに憧れてプロカメラマンになったやつを二人ほど知っとるさかいな、NIKON使ってるやつ見ると、いまだにそう思うんや」


「ああ、判ります! 主人公のカメラマンが女の人に馬乗りになってモデルを撮影するシーン、すごくかっこいいですもんね! ポスターにも使われてるし、内容は知らなくても、あの画だけ見たことあるって人もいるくらいですし! なるほど。だからあれに憧れてプロを目指す人はNIKON使うのか……」


 つい興奮して声が高くなった。まずいと思い、最後は冷静を装う。


「そういうこっちゃ。しかし……そうとう映画が好きみたいやな?」


 だが、あまり効果はなかったらしい。あふれ出る映画好きオーラを悟られてしまったようだ。


「俺も知ってるテイで話しかけとったけど、あんな古い映画を知っとるっちゅーことは、よーさん見てるってことやろ? 映画好きっちゅーことちゃうんか? あってるやろ?」


「……ま、まぁ」


 実際、その通りだ。


 映画が好きで年に三〇〇本は見ている。だが、そのことを話したところで惨めになるだけ。


 本当は結婚式ではなく、映画が撮りたい。


 なら、なぜここでカメラマンをしているのか?


 食べるために他ならない。それは自分が映画監督になれていない証拠でもあった。だから、映画の話は楽しいのだが、簡単にはしたくない。


「そうか。カメラマンになりたいわけでもないっちゅーことは、映画が撮りたいんやな?」


「うぐ」


 結婚式というめでたい場で、なぜこうもコンプレックスを刺激されなければならないのだろう?


 カメラを誰かに預けて、さっさと帰りたい気分になった。


 そんなことをすれば明日から居酒屋のバイトだけになってしまうが。


 結婚式のカメラマンは映画の勉強になる上に、撮影機材に触れられる数少ないバイトなのでやめたくはない。


 実際、カメラワーク、照明の当て方、演出が参考になる。さらにスピーチでは新郎新婦の人となりや交友関係、招待客との関係性を把握でき、物語を作るのに役立った。新郎新婦が結婚にいたるまでをまとめた映像などは短い映画そのものだ。


 まぁ、つまりコンプレックスを刺激されたくらいで逃げ出すのはもったいない現場なわけだ。


 思い切りため息を吐く。


「……その通りです」


「観念したな」


 ウィスキーをあおりながらクツクツと笑う様子は、馬鹿にされているようで気分が悪い。


「実は、俺も映画監督、目指してたんや」


 心臓を掴んでくる発言は、深作兄弟の持ち芸なのだろうか?


「どんなの撮るんや?」


 返事に困る。理由はいくつかあるが、まず『どんなの』の意味が広すぎることだ。ジャンルなのか、テーマなのか、それとも雰囲気なのか……


 たぶん、ぜんぶひっくるめての『どんなの』だろう。


「……人を感動させるやつですかね?」


 またクツクツと笑われた。


「そいつぁ、大儀やな」


 さらにムッとしてしまう。人を感動させる。それこそが映画の基本であり、最高点ではないのだろうか?


「まぁ、そないムカつかんでもええんちゃうか? 俺も映画はそうでないとあかんと思うで」


 この人はエスパーかなにかだろうか? 細い体もあいまって、この人がナイフのように思えてきた。切っ先を直に皮膚へ押し付けられているような気分だ。


 いや、この人も映画監督を目指していたとするなら、人の心や感情を見抜く目が育っていてもおかしくない……


「兄やん、隠し事できへんやろ? 顔にぎょーさん出てるで?」


 そう言われて初めて表情に気分がぜんぶ出ていると気が付いた。鏡を見ないでも自分の顔が真っ赤になっているのが判る。


「す、すみません……!」


「ええんやで。感情表現は豊でないとあかん。役者の場合やけどな。まぁ、兄やん、ちょっとしたアイドルみたいな顔しとるし、役者もええんちゃうか?」


 急に褒められた? いや、これも深作のペースでしかない。仕返しのひとつでもしたくなってきた。


「深作さんは、どんなの撮ろうとしてたんですか?」


「おいおい、過去形かいな」


 まずいと背筋が冷や冷やしたが、深作は愉快そうに笑った。そのあと、目だけが真剣になる。


「『暴力』やな」


 そうだ、この人の雰囲気、どこかで感じたと思っていた。それはたぶん、北野武監督が『暴力』をテーマにして撮った作品群の中に登場する人物とそっくりなのだ。


「まぁ、結局は才能なくてあかんかったけどな。俺よりうまく撮るやつもおったし」


 再び愉快そうに笑った。


「俺の夢は残酷やった。それこそ暴力やった。才能のなさ。根性のなさ。アホさ加減に運のなさ。自分はスターにはなれへんゴミやってこと。ぜんぶや。見たくない言うても見せつけてくるんや。耐えられへんかったわ。……兄やんの夢は、人を感動させられるとええな」


 花が萎れるように、寂しそうな笑顔になった。


 アキトシには、返す言葉がない。生唾を飲みこむので精一杯だった。


「未来の映画監督に期待しとるで。ほなな」


 グラスを軽く掲げ、深作は新郎新婦の元へ向かう。おっかないおっちゃんが絡みに行ったようにしか見えないが、新婦が喜んでいるのを見ると身内受けはいいのだろう。


 アキトシは、その瞬間を動画に収めた。


 映画監督になりたかった男の背中。


 鋭くて強引で恐ろしい雰囲気の人なのに、とても小さく、頼りない。


 ひょっとすると、自分の背中も誰かに見られているかもしれない。


 そう思ってアキトシは振り返る。


 痩せぎすで顔色の悪いホテルマンが移動式の小さなバーカウンターで黙々とお酒を作っているだけだった。


 早く映画監督になりたい。


 三〇歳ももうすぐだ。


 いつまでもアルバイトをしてばかりではいけない。離れて暮らしている唯一の家族――母親にだって迷惑がかかる。


 夢が暴力になる刻限は、もう目の前に迫っているように思えた。


                               プロローグ 完

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