大好きだし。
「おねーちゃん、次で降りるよー」
ガタンゴトンと揺れる電車内は、夕焼けの陽ざしでオレンジに染まっている。
ハルカは、隣で眠る姉のアキノに軽く声をかけた。ふたりして日帰りで海水浴へ行き、その帰り道。アキノは声かけに応じず、妹の肩に身体を傾け、すやすやと寝息を立てている。病弱な癖に、はしゃぎすぎるところがあるアキノは、疲れてしまって数駅前からこんな調子だった。
はあ、と溜息をつくハルカ。
いつも姉の世話を焼かされるのは、妹の自分だった。
たとえば雪降る冬には必ず雪合戦に付き合わされる。更にその翌日には、大抵の場合アキノは風邪を引くので、看病をさせられる。親は共働きで忙しく、中学生になったハルカと高校生になったアキノはもう大丈夫だろうということで面倒をあまり見てくれなくなった。家事や看病ばかりが上手くなる日々。今回の海水浴もアキノが発案し、ハルカに計画が丸投げされた。
うんざり、という程ではなかったが、げんなり、ではあるかもしれない。
亀越ー、亀越です。
車内アナウンスが響く。
「おねーちゃん、ほーら! 起きて! もう駅着くよ!」
「んう……むにゃ……」
電車の中はガラガラに空いている。田舎だからそういうものだ。ハルカはそれなりに大きな声を出しながらアキノの体を揺さぶる。
起きない。
「ねえ、乗り過ごしちゃうよ! また帰るの遅くなっちゃ――――」
その時、ハルカはハッとした。
今日は、ゴールデンタイムに放送する大好きなアニメの、最終回。
なんとしても早く帰らなければ。
そのために――――なんとしても起こさなければ!
「おいこらぁっ! 寝てないで起きろーっ!」
「うにゃ……ナタデココざむらい……」
「ユニークな寝言いってんじゃねーよ! 起きろぉー!」
ポカポカとアキノを殴る。アキノは寝顔をしかめて、「にゅあ~……おせんべいですから~……」と呟いている。ハルカは額にムカッと青筋を浮かべた。
しぼんだ浮き輪の入ったビーチバッグを振りかぶる。
「起きろやーっ!」
アキノの穏やかな顔面を、バッグで思いっきり
電車はちょうど駅に到着し、扉を開いた。エアコンの冷気が逃げ、真夏の熱気が車内に入ってくる。蝉の声もうるさく聞こえてくる中で、ハルカとアキノは、未だ車内にいた。
アキノは、起きない。
「ちょ、ちょっと」
ハルカは焦る。「ほんとに起きてよっ! どうしてそこまで頑なに起きないの! ねえ、おねーちゃんったら! ねえ……」
そして、全く起きる素振りを見せない姉に、困惑の視線を送る。
「……おねーちゃん?」
「すぅ……すぅ……」
ハルカがこの時考えていたのは、アキノが病弱であるということだった。
本当はあまり外遊びをしてはいけないのに、今日だって、両親に内緒で海にまで行った。それはアキノの笑顔のためでもあったけれど。
だけれど……。
ハルカは思いだす。雪合戦の翌日、ちょっとした風邪なのにこじらせてしまって、入院を余儀なくされたアキノのげっそりと痩せた姿。ベッドの上で力なく笑うアキノの手を取り、怒りながら泣いた自分。もうあんな姿は見たくないし、怒りたくないし、泣きたくなかった。それなのにアキノは微笑んで言った。
『ハルちゃんは優しいね。きっといいお嫁さんになるよ。何なら、わたしのお嫁さんになる? ふふ……わたし、ハルちゃん大好きーっていう気持ちなら、誰にも負けないからね~』
勝手だ。
おねーちゃんは、自分勝手だ。
心配するこっちの身にもなってよ!
「起きろ! 起きてよ、おねーちゃん! どうしちゃったの! 起きてっ!」
アキノの体を揺さぶる。このまま永遠に起きなかったらどうしよう。胸に重たい石が詰め込まれたような不安があった。視界が滲む。涙が出てきた。
「いつもそう! おねーちゃんはあたしに迷惑かけてばっかで! そのくせ、おねーちゃんはへらへらしてる! 少しは反省したらどうなのっ!」
違うの、おねーちゃん。
反省してほしいのは本当だけど、おねーちゃんが実は毎回、自分なりにひとり反省会してることも知ってる。
迷惑かけてくるのが嫌なのも本当だけど、おねーちゃんがいつもにこにこすることであたしを落ち込ませないようにしてることも、知ってるの。
「もう、さいあく!」
最悪なんかじゃないのに。
「ずっと寝てれば!?」
ずっと寝ててほしくなんかないのに。
「大っ嫌い!」
あたしは、
おねーちゃんのことが、
大好きなのに。
アキノは、眠り病にでもかかったかのように、目を覚まさなかった。
ハルカの目から、涙がとめどなく溢れる。
「うぅぅ……うぅぁ……どう、して……うぅぅぅ……」
「……………………ちゃん! …………ルちゃん! ハルちゃん!」
「んぇ?」
そこでようやく、ハルカは目を覚ました。
「やっと起きた。ハルちゃん、ぐっすり寝てたね~。次、亀越だよ!」
「え?」
「疲れちゃったよね、ごめんね。でも楽しかったでしょ、海水浴。おねーちゃんとまた一緒に来ようね!」
「え?」
「いや~、夕焼けのオレンジ色がきれいだね~。ちょっと眩しいけどさ~」
「……え?」
ガタンゴトン、電車はもうじき最寄り駅に着く。呆然としていたハルカは、やがて自分が見ていた光景は夢だったのだと気づき始めた。
「んー? さっきからどうしたの?」
アキノが顔を覗き込んでくる。
「あ、わかった。寝ぼけてるんでしょ。寝言いってたもんね~」
いつもの調子のアキノだ。
元気なアキノが、隣にいる。
ハルカは、ほおっ、と息を吐いた。
「……うん。夢、見てた」
「あはは、夢見てたんだー。電車って揺りかごみたいだから、気持ちよく眠れたでしょ。今の気分、最高の目覚めーって感じなんじゃない?」
「おねーちゃん」
「なあに?」
ハルカは、そっとアキノに肩を寄せる。
「つかれた」
「そうだねー。あ、もしや嫌な夢見た? 寝言で、最悪! って言ってたよ?」
「はっ!?」
「大嫌い! とも言ってたな~。何の夢だったの?」
アキノの顔をちらりと見て、すぐにハルカは目を逸らした。
自分の頬が熱いのは、オレンジ色の太陽が顔を照らしてくるからだろう、きっと。
「大嫌いじゃないし。大好きだし」
「何がー?」
「さあね。さ、降りるよ、おねーちゃん」
「あ、そういえば、おねーちゃんとも言ってたよ寝言で。えっ? もしかして、わたしのことが大好きってこと?」
「はあ!? 違うし!」
「ありゃ~、ハルちゃんはわたしのこと、大好きか~」
「違うって言ってんでしょ!?」
「わたしの夢を見たんだったらそりゃ、最高の目覚めにもなるね~」
能天気に笑う姉に憤慨し、目をぐるぐるさせ、「うぅ~っ!」と唸る。
「違うから! さいてーだから! 最低の目覚めだから!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます