短編集〝無限〟
かぎろ
無限
眠れない日が続いていた。一昨日は三時間くらいは眠れたと思うけれど、昨日から今日にかけては布団の中で遂に一睡もできなかった。限界が近づいている気がする。とりあえず飯を食べなくちゃ。僕はふらつく足取りでアパートを出て、徒歩二分のところを三分かけて近所の松屋に入った。
カウンター席で並盛牛めしを待つ間、僕は命の恩人のことを考えていた。
その恩人の名は、BUSTERという。
まだweb小説がメジャーではなかった頃、小説投稿掲示板みたいなサイトで自作小説を連載していた人だ。代表作は『絶技の魔剣』。技名を叫んで戦う異能力バトルもので、掲示板では特に人気はなく、ひょっとしたら読者は当時中学生だった僕ひとりしかいなかったかもしれない。
僕はBUSTERさんの作品が大好きだった。続きが投稿されるたびに食い入るように掲示板を見つめ、ハラハラドキドキしていた。ジュードと敵組織の幹部の戦いで、ジュードが未完成の技だったライトニング・サンダーを土壇場で完成させて幹部を倒した時の僕のテンションの上がりようといったらなく、当時入り浸っていたチャットルームのネット友人にその展開の熱さを語りまくって、ハァ?という反応をされたものだった。あとネビュラという女性キャラが好きだった。彼女は右腕を邪龍の呪いで蝕まれており、バトルの時には腕を三ツ首の龍に変えて超強力な戦闘能力を発揮するが、その代償として数日に一回邪龍に人間を食わせなければならず、それを怠った場合自分が呪い殺されてしまうという制約を負っていた。ネビュラはジュードたちの仲間として行動するが、ジュードたちに隠れて人間を食い殺していることの罪悪感に耐え切れず、ある時、ジュードのもとを去ってしまう。そして単身、敵の組織のボスに決闘を申し込み、邪龍を最大解放するも敗北してしまうのだが、その死に際にジュードと仲間たちが駆けつけ、救けようとしてくれるのを見て、涙するのだ。ネビュラは自分が決して助からないことを知っていた。微笑みながら、仲間たちに囁く。あたしは地獄にいたけれど。痛苦で叫んでいたけれど。おまえたちがいたから、幸せだった。ありがとう。ネビュラはそう言い遺して息絶える。
当時中学生だった僕は、そのネビュラの言葉に命を救われた。
自分も地獄にいると思った。
自分も苦しくて叫んでいると思った。
自分にも、ほんの少しだけど、まだ信じていいのかはわからないけれど、きっと、自分を思い遣ってくれる誰かがいるはずだと思えた。
並盛牛めしが来たので、箸を取って、食べ始める。
たかが物語に命を救われるなんてありえないだとか、素人のweb小説でそこまで感動できるなんてやっすいなあだとか、思う人もいるかもしれない。別にいい。そういう人はこの話を聞いて、納得できないまま存分にモヤモヤして帰ればいいと思う。僕も理解してもらおうとは思っていない。むしろ理解してほしくない面もある。僕のあの感動は僕だけのものだ。
ちなみにBUSTERさんはもうこの世にいないらしい。絶技の魔剣最終章のクライマックスあたりで掲示板に父親を名乗る人が現れて、BUSTERさんの遺言を書き込んでいた。今でも掲示板は極まれに見に行くが、更新はやはりされていないというか、過去ログに落ちてもう作品自体読めなくなっている。
牛めしを食べ終わった。
もう少し奮発して定食にすれば良かったと思いつつも、ごちそうさまをして松屋を出る。それからなんとなく店先でぼんやりしていると、スマートフォンに電話がかかってきた。
僕はスマホを耳に当てる。
空は、高くて、青い。
ふにゃふにゃのちぎれ雲がゆったりと流れていく。
僕は受け答えをして、切った。かけてきたのは出版社の関係者だった。放心状態になる。出版社主催の小説新人賞で、僕の小説が大賞をとったらしい。真っ先に思いだしたのは、BUSTERさんの、絶技の魔剣だった。ジュードとレイスの繰り広げる爆笑のギャグパート。ギルザの謎の異能とそれに立ち向かうカエデの決死の作戦。死にゆく弟を腕に抱くオウロの悲壮なる決意とその瞳。かつては決して誰にも心を許さなかったネビュラが自分の死に際、看取ってくれるジュードに放った、あの言葉。「敵に勝てなくて、仲間を自分のせいで死なせて、それでどうしておまえが無価値ってことになるんだ、ジュード? 失敗をしろ。後悔もしろ。全部、悪いことなんかじゃない。踏み越えた先にいるおまえは、絶対に、負けない」
「だけどネビュラ、おまえにはもう、踏み越えた先というものがない。永遠に先は来ないじゃないか」
「来るさ」
僕はふと道端に座り込んだ。両手で顔を押さえる。歓喜とか、なんだかわからねえ感情だらけで震える。涙と鼻水が出てきて、何泣いてんだか、と思う。
「死んだあたしにだって先は来る。おまえがいるからだ、ジュード。あたしの想いはおまえが引き継ぎ、おまえが勝て」
「俺が、想いを」
「そうだ。おまえが命を繋げ。あたしはおまえの中で生きている。あたしが塵になって、世界から消え失せても、それでもあたしはそばにいて、おまえに無限の力を与えるぞ。ジュード。立て。おまえは無価値じゃない。おまえは、」
おまえは、無限だ。
僕はポケットからハンカチを取り出して顔に押し当てた。
そうだ、僕は。
僕は、無限だ。
しばらく座り込んで、道行く人から奇異の目で見られるがままになっていたが、親切な人に大丈夫ですかと声をかけられてようやく立ち上がった。大丈夫です、と応えてふらつく足取りで歩きだす。ここからだ、と思う。ここから、もっと頑張らなくてはならない。でも怖くはなかった。僕の中に、BUSTERさんがいるかぎり。
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