資料持ち込み自由のテストにアフリカゾウを持ち込むな

「澤口先生、少しよろしいですか?」


 私立弥生大学、六号館六階、廊下。

 澤口と呼ばれた男が振り返ると、そこには背の低い女性の事務員が口元に笑みをたたえて立っていた。


「何でしょうか、折田さん」

「経済学原論の試験監督に行かれるのですね」

「はい」


 澤口は頷いた。自然、鞄を持つ手に力が入る。


 澤口勉は、若き経済学者である。


 名門大学院を出た後、環境経済学を主に研究するかたわら、非常勤講師として弥生大で初歩的な経済学を教えている。いつもスーツで、シャープな眼鏡。そんな外見通りの生真面目な内面を持つ彼は、生来の性格の固さにより、学生からの人気は低い。

 だが澤口は、今年こそはと決意していた。

 今年こそは、学生に親しまれるような先生になってみせる。

 しかし、どうすればいいのだろう。


 そこでまず澤口が頼ったのは、いつも自分に役立つアドバイスをくれる一人の友人だった。その友人は別の大学で授業を持っている。友人は言った。


「試験を『持ち込み自由』にすればいいよ」


 曰く、学期末試験の際に資料などをいくら持ち込んでもよいとすれば、学生たちはこぞって先生のことを「神教師だな」「わかる」と崇め奉りだすらしい。

 澤口は友人を信じ、今年は試験を「持ち込み自由」にした。

 持ち込み自由なのだから、試験はそれなりに難しい問題でなくてはならない。澤口は睡眠時間を削って、納得のいく問題を作り上げた。


 そして今日が、その試験日なのであった。


「実は、気をつけて欲しいことがあるんです」


 廊下を歩いている時に呼び止めてきた若い女事務員・折田が微笑む。


「気をつけて欲しいこと、ですか?」

「そう。澤口先生、今年の原論は試験を持ち込み自由にしたでしょ?」

「はい」

「妙なものを持ち込んだりしないように、きちんと学生に釘を刺しましたか?」


 苦笑いをする折田。


「私が持ち込み自由の試験を監督した時は、演奏しながらの方がインスピレーションが湧くなんて言って、ギターを持ち込んできた学生がいたんです……さすがに追い出しましたけど」

「ぎ、ギターをですか?」

「困りますよね。あ、すみません引き留めてしまって。そろそろ私も計量の試験の方へ行ってきます」

「お疲れさまです」


 折田の背中を見送り、澤口は663教室に向かう。


 ギターを持ち込む学生がいた? まさかな、そんな非常識な大学生がいるはずがない。

 とは思うが、しかし澤口は最近の成人式のニュースを思い出した。浮かれすぎて暴走し、逮捕される新成人すらいるこの世の中で、ギターを試験に持ち込む学生くらいはいるのかもしれない。

 澤口はある程度の覚悟を持って、試験会場である663教室の扉を開けた。

 象がいた。

 澤口は扉を閉めた。


 後ずさりし、壁に背をつけ、深呼吸してから、また扉を開けた。インドゾウがいた。




 ――――アフリカゾウもいた。




「……ッッ!!」


 澤口は勢いよく走り、教卓のマイクを引っ掴む。象の持ち込みを禁ずる、と高らかに宣言しようと教室全体を見回す。そして更に愕然とする。

 ワニがいる。カモメがいる。シロナガスクジラがいる。ダビデ像が裸体を晒している。聖剣エクスカリバーが床に突き刺さっている。反政府勢力のデモ隊が行進している。電柱がある。アイスホッケー部全国優勝おめでとうの横断幕がかかっている。びっ○りドンキーがある。古来より神社を見守りし御神木がある。うんちがある。茄子に棒を突き刺したお盆の乗り物が床に置いてある。茨城県がある。広がる田んぼには稲刈りをする農家のおじさんがいる。そして――

 ――学生たちは、達成感のある表情で澤口を見ている。


「お……おまえたちィ!?」

「先生、でも、持ち込み自由ですよね?」「そうだよ~」「わかる~」

「自由には制約が付き物だとわからないのですかッ! これらの持ち込みは許可できない!」


「えー、でもわたし、この枕がないと寝れないのにぃ」

「試験時間に寝るな! 不許可!」


「えっ……持ち込み自由って聞いたから、経済学の専門家でおられるケーザイ・マナブさんにお越しいただいたのに」

「全問わかっちゃうだろ! 不許可!」


「あなたは12問目でAと答えれば試験運が高まるでしょう」「占い師持ち込み不許可!」「オラオラァ、ヤクザ舐めとんのかコラァ!」「カチコミも不許可!」「はぁ、はぁ……遂にFINAL ROUNDだ……白黒付けようぜ……!」「満身創痍になりながらもファイナルラウンドに持ち込むのも不許可!」


 ドゴォン!!


「こ、今度は何だ!?」


 轟音と共に教室の壁を破壊し、現れたのは巨大な四足歩行ロボット兵器。

 そのコクピットの中にいるらしい学生が、スピーカー越しに挑発する。


『ジャパンはオレの出身国に対し、非難の声を浴びせたばかりか、オレたちの敵国に援助をおこなった! こうなったら祖国で試験的に使われている兵器を投入し、ジャパンを戦争に巻き込んでやる! 第三次世界大戦だ!!』


 遂には国家間紛争問題を持ち込まれた澤口。


 呆然とするほかない。


 どうしてこんなことに。


 ただ、学生に親しまれたかった。先生のちょっとしたジョークで、学生たちが笑う光景。それに憧れても、自分にはできない。

 だから、持ち込みを自由にした。不器用なりに、精一杯踏み込んだのだ。

 しかしその結果――――澤口はWWⅢの勃発を招いてしまった。


(こんな……はずじゃ……)


 崩れ落ちる澤口。

 逃げまどう学生や動物やその他の異形をよそに、床に膝をついたまま動けない。


 その時だった。


「お怪我はありませんか?」


 声に、顔を上げる。

 若い女性の事務員が手を差し伸べていた。


「……折田さん」

「すごいことになってしまいましたね」

「……」

「毒を以て毒を制す。わたしたちも、同じ持ち込みで立ち向かいませんか?」

「……え?」

「実はわたしは人間ではなく、次々世代型戦闘用アンドロイド、識別名称・イヴなんです。今までわたしの管理者マスターとなっていただける人を探していました」

「あ、あの、折田さん……?」

「マスターがいなければ、わたしは特殊武装を使うことができません」


 折田は、頭を軽く下げた。


「澤口勉先生。わたしのマスターとなって、天下無双の特殊武装をこの手に握らせてください」


 彼女はちょっと韻を踏みながら言って、目の奥のレンズをジジジと鳴らし――その武器の名を口にした。

 誰かが持ち込んだゾウガメがのっそりと逃げていく。

 日本神話の八岐大蛇がずるずると這い去っていく。

 小説の持ち込み原稿が吹き飛ばされて紙吹雪になる。


 そんな中で澤口は、崩壊していく校舎の上で、ゆっくりと立ち上がった。


「私は……」


 アンドロイド・イヴと目を合わせ、口を開く。


「私は、経済学原論の試験において……」


 そして、巨大兵器を見据えて、

 叫んだ。


「特殊武装まじかる☆ぷりてぃ☆ぶれーどの持ち込みを許可するッッッ!!!!!?!!」


 澤口は正直、もう何が何だかわからなくなっていたのであった。




     ◇◇◇




 その後、第三次世界大戦は、イヴと八岐大蛇と聖剣エクスカリバーを携えた勇者(FINAL ROUNDでケーザイ・マナブを倒した男)の三大武力の圧力による平和的な終戦を迎えた。異世界と繋がってしまった弥生大学663教室からは、数多の異世界人によって、今でも地球人を驚かす摩訶不思議な品物や発明が持ち込まれ続けている。

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