lonely liar
佐古間
さびしいうそつき
1.私の
暖かな日差しに包まれているようだと言った。
男は優しく目を細めて、私の胸に耳を寄せている。背景で流れるクラシックは、ゆるやかに空間を支配していた。一人用のソファに深く腰を掛けて、私の膝に乗り上げる細身の男。
何が聞こえる? と、問いかけたけれど別段答えは求めていなかった。何も聞こえない、わけがない。心臓の音が聞こえるよ、と男は言ったが、私はそう、と端的に返すだけ。
暖かい? と問えば、男ははっきり頷いて、そうだね、と呟く。まどろんでいるのだろうか、ゆるゆると瞼が下がり、次第に体に重みが増す。
なんだかとても眠いようだと男は笑った。ゆるく、ゆるく、老いた笑み。少しずつ、彼自身が気づかぬ速度で、その顔面にうっすらと皺が刻まれる。私は額に掘られたその深い皺を見つめて、寝ていてもいいよ、と優しく笑ってあげた。
君の鼓動はどんな音色だい?
問うてきたのは男の方だ。私は小さく首を傾げて、ならば聞いてみる? と両腕を広げたまで。人形のように美しい、と私をほめたたえた口は、それでぱくりと閉じてしまって、まじまじと私を見つめていた。丸い、綺麗な瞳はもう見えない。瞼の裏に隠されてしまった。
聞こえている? 問いかけに男は何も答えなかった。ゆっくりと、クラシックが流れている。単調なメロディ、変化がなく、エンドレスに流れているような。
「随分、疲れてしまったようだ」
ようやく口を開いた男は、心底疲れた様子で呟いた。吐き出す息が重く、その唇もまた、からからに乾いてひび割れている。急に痩せ細った様子の頬は先程よりも見るからにこけて、窪んだ瞳がぱちりと開いた。
「君の、」
声はしゃがれて、それでも男はそのことに気づかぬようだった。
「君の音は、とても、」
男の瞳がゆっくりと見開いて、それから愛おしそうに笑みを浮かべる。ゆっくりと伸ばされた指先が私の頬に触れた。しわくちゃの細い指、おじいちゃんの指みたいね、と笑えば、そうだろうな、と、わかりきったように答えが返って。
さようならかしら、と、問うた。男は答えぬまま、再びぱちりと目を閉じる。綺麗な、黒々とした瞳はそれでとうとう見えなくなって、私は静かに身じろぎをした。
男の言葉がその先何と続いたのか、私はまた聞けぬまま。ゆっくりと立ち上がるついでに、力を無くして重たくなった男の体をソファに沈めた。クラシックだけが私を見ている。
一体どんな音色だった? と、口を開けど男はもう答えない。それで、私は小さく笑う。ゆっくりと歩み寄るように、抗いようのない睡魔が近づいてきていた。
君の鼓動はどんな音色だい? 男の声が蘇る。はたしてどんな音色なのか、私には知る由もないのに。
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