夢現奇譚(短編小説置き場)

相生 碧

百年森には魔女がいた

幼い少年は追われていた。

城下町から少し離れた場所にある『百年森』。森の奥にはかつて魔女が住んでおり、街の人々は魔女が亡くなってからも気味悪がって近づかない。

たまに森に住む魔物が街で悪さをすると、傭兵や兵士が森にやって来て魔物を狩りにくる、または素材を狩るためにハンターが足を踏み入れる程度。

そんな所だとは知らない少年が迷い混んだらどうなるかというと、森に入って早々、狼の魔物に見つかってしまったのだった。


「……っ、はあ……うう…」


逃げなくちゃ、逃げなくちゃ…!

あの魔物達から少しでも遠くへ行こうと、森の中を無我夢中で走る。

息が上がる。足も疲れていたが、それが気にならないくらい必死になっていた。


(死ぬより、ずっとマシだ)


はっと気づけば目の前に開けた場所がある。

もしかして、あの先に村があるかも知れないと幼い少年は更に走った。そして、

森をぬけられた、と思った瞬間。

目の前がぐるりとひっくり返る。


「!うわああっ!」


先に見えてたのは、崖。

空を映していた視界は一転、青々と広がる木々が目の前に現れる。

勢いあまって踏み外した小さな体は、そのまま下の森の中へと落ちていった。



******



「……落ちたね」


がさがさがさっ!という音が上から下へ流れていく様を、これまた小さな影が見つめていた。

崖の上に銀色の髪がさらさらと揺れていた。それは黒いひらひらした服ーーいわゆる、ゴシックロリータと呼ばれるデザインーーに映えていた。

幼い面差しの少女、といった姿も相まって、まるでビスクドールのようでもある。

少女の名前はレイチェル。この森の奥に小屋を建てて住んでいるため、町の住人からは『森の魔女』と呼ばれている。

その少女は冷たい表情を浮かべながら下を覗き込む。

暫し、訝しい表情を浮かべると、彼女は空気を見つめて手の平を仰いだ


「……」


周りの空気が波打つ。

彼女の周囲が一瞬淡く光ると、空気が集まり、彼女の足元を浮かせた。

さして驚きもせず、彼女は躊躇い無く崖から飛び降りた。


ただ、彼の息があったから。

捨て置くのは簡単だった。これは気まぐれだ。

傷だらけの人。放っておけば、容易く死んでしまうような弱い人間。

けれど彼は、まだ暖かったから…


「まずは手当て、私も甘いな……」



助けようと、思ってしまったのだ。



怪我が治るまでのつもりで、自分の家に招いてやった。元々薬作りで生業を立てていたので、治療もしてやった。

少年には『魔女の魔法でぱぱっと治せないの?』と言われた。

魔女の魔法はどちらかと言えば、薬草の効力を強くしたり、自然にある力を借りる力だ。何もないところから火や金を出すことは出来ない。まったく、私を修道女や神の使いと混同してるのか?

すっかり体がよくなっても、少年は何故かなかなか町に戻ろうとはしなかった。

それは、


「一人じゃ、いやだ」

「あのね。私は魔女で…」


人々は、『森の魔女』に対して懐疑的だ。

私が町に降りてこないから、むこうも噂をする事すら忘れているだけかもしれないが。

昔は街の人々とも仲良くやっていた。

けれどいつだったか、街に薬を売りに降りた時に聞いてしまった。


『森の魔女はいつまで経っても成長しない』

『悪魔に魂を売った化物だ』

『魔女に殺される前に討伐を』


ある魔法の副作用で子供の姿のまま成長をしない私は、普通の人間からすれば不気味に見えたのだろう。

私はその日を境に、街に降りるのを止めた。

薬の販売は全て使い魔に任せ、私は亡くなったということにして、森の中に建てた家の中で、ひっそりと暮らしていた。

だから私は街には行けない。

そう言っているのに、この少年は言うことを聞いてくれなかった。


「けれど、あなたも僕がいなくなると困るでしょう?」

「いや、別に」


特に困らないと思う。

少年が来る前は、一人で暮らしていたのだから。

彼がここに来て数年経っていたが、さらさらの金髪と青い瞳は相変わらずきらきらとしている。

あと、おそろしく整った顔立ちをしているため、街に降りれば目立つだろう。


「…そういえば、今日も何人かの兵士が森に入ってきた」


そう少年に伝えると、彼は綺麗な顔でぽつりと


「へえ、本当にしつこいな」


…全く。

だから早く帰れと言っているのに。


「見つかるのも、時間の問題だと思うよ。観念した方がいいんじゃないか?……王子様」


今度こそぐっと顔をしかめた少年こと王子様は、心底嫌そうな声を出した。


「レンまでそう言うこという?」

「ごくごく一般論を言ったまでだよ」


使い魔が街で集めてきた話によれば、国の王族は王太子をはじめとした王子、王女は皆、後継者争いの果てに亡くなってしまった。それを嘆いた王妃も病気を患い儚くなってしまった。

それを憂いた王だったが、そこで可能性に掛けてみることにした。数年前に行方不明になっていた末の王子がまだ生きているかもしれないと。

そういった事情で、今になってその王子を探している、のだと。


「でも、今の僕には関係ないな」


彼はふんわりと微笑みながら、ぱぱっとお茶の支度をしはじめる。

いいんだろうか、そんな簡単に決めてしまっても。


「簡単に決めてくれるな…全く」

「……逆に、レンはこの家から出るつもりはないんだろ?」


私が森から出ていって、何処かに?

あり得ないなと思って、強く頷く。

すると彼はやっぱりね、と嘆息した。


「じゃあ、僕も無理だ」


少し育て方を間違えてしまったのだろうか。親離れをしてくれない息子を持ってしまったような気持ちになった私は、先ほど置かれた紅茶のカップを持って、ふうと息を吐き出した。


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