竜に会いたかった子供

浮雲

むかし、の、はなし

『竜に会いたかった子供』



 その竜は孤独でした。両親の顔を知らず、物心ついた時には既に大人の姿をしており、自分以外の生き物と会話した事がほとんどありませんでした。お城と見まごうほどの大きな体を怖がっているのか、人間はこちらに近寄ってきません。


 人間に会ってみたいなあ。でも、怖がられてしまうかな。嫌われたくないから、絶対に近づかないようにしよう。人間に対して特別な興味を持ちつつも、極度の小心者であった竜は、自分の縄張りに引きこもり続けました。


 ある日、お腹を空かせた人間の子供が竜の縄張りに迷い込んできました。食べ物を買う金が無いのだろうと思った竜は、見るに見かねて、怯える子供に近づき、「これをお売りなさい」とその身から輝く鱗を一枚剥がして手渡しました。


 宝石のように光輝くこの鱗なら、高値で買ってくれる人間がいるに違いない。竜は自分の鱗に自信を持っていました。


 子供は何度も何度も感謝し、大喜びで帰っていきました。ああ、もう少し一緒にいてほしかったのに。竜は残念そうに呟きました。初めて人間と言葉を交わしたその感動に、大きな体がブルブル震えます。自分は寂しかったのだと、その時ようやく気がつきました。


 それから六十年くらい経ちました。竜はあの頃と全く変わらぬ姿で自分の縄張りに引きこもっています。すっかり寂しがり屋になってしまったせいで、頭の中はあの子供の事ばかり。


 人間も他の生き物も家族を作って生きているというのに、どうして自分には親も兄弟もいないのだろう。


 あの子は元気にしているだろうか。あの子も私に会いたいと思ってくれているだろうか。


 そうして想いを積み重ね続けていたある日、竜は自分の方へ歩いてくる一人の人間に気づきました。体の調子が悪いのか、ヨロヨロと歩いています。皺くちゃの老人です。すぐ近くまで来た時、竜はそれがあの日出逢った子供だと理解しました。


「会いたかったぞ、竜よ」


 老人の口から、枯れ木のような声が発せられます。竜は涙を流して喜びました。思わず踊りだしてしまいそうなくらい、体中から歓喜が溢れ出てきます。会いたい気持ちは同じだった。恋しい気持ちは同じだった。感極まった竜が、大きな手で老人の体を抱き締めます。傷つけないように、注意深く、優しく包み込むように。


「私も、会いたかったよ」


 まるで赤子にそうするかのように、老人の体を撫でました。そして老人の疲れ果てたような目を見つめ、「もう会えないと思ってた。どうして今まで来てくれなかったの」と問い掛けた、その時。







 自分の手に小さなナイフが刺さっている事に気がつきました。







 柄を握っているのは老人です。竜はわけがわかりませんでした。どうして、こんな事を。驚愕と困惑で固まってしまった竜を睨みつけて、「お前のせいだ」と老人は叫びました。


 この国の人間にとって、竜は神様と同じくらい神聖で尊い存在です。絶対に会ったり話しかけたりしてはならず、ましてや頂いた鱗を換金するなど、あってはならない事なのでした。怖がっているから近づいてこないのだろう、と竜は思っていましたが、そうではなかったのです。


 その事を知らずに鱗を受け取った子供は、重罪人として牢獄で苦痛に満ちた生活を強いられる事になりました。あの時、竜に会っていなければ、こんな事にはならなかったのだ。牢の中で何度も何度も後悔と怨嗟を繰り返す幼い子供は、ようやく解放された頃には皺だらけの老人になっていました。


 竜をも殺せる毒を塗った、安物の果物ナイフ。まるで穴の開いた風船のように、一気に全身から力が抜けていきます。助けた相手に殺意を向けられた理由すら知らないまま、竜の意識は闇に溶けるように暗く深く沈んでいくのでした。




 今この世界に竜がいないのは、この時、たった一人の人間によって世界最後の竜が殺されたからなのです。




『竜に会いたかった子供』 完

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