源三郎江戸日記(弟二部)
源三郎江戸日記(弟二部)2 3月末日に江戸をたち国元には4月10日に国境の宿場に入られるとの事です、そこに大名行列の支度をするようにとの事です、内藤新宿を抜けるまでは総勢500人の行列で
源三郎江戸日記(弟二部)2 3月末日に江戸をたち国元には4月10日に国境の宿場に入られるとの事です、そこに大名行列の支度をするようにとの事です、内藤新宿を抜けるまでは総勢500人の行列で
源三郎江戸日記(弟二部)2
3月末日に江戸をたち国元には4月10日に国境の宿場に入られるとの事です、そこに大名行列の支度をするようにとの事です、内藤新宿を抜けるまでは総勢500人の行列で通過されま、
すが過ぎたら騎馬20騎程で米沢に向かわれます、荷物は幕府が監視している先に送り白川関所の手前で雇った者達200名に米沢藩の格好をさせて通過します、ここを通過すれば幕府、
が監視している場所はありません、
宿場は20騎と殿で本陣に宿泊します、ほかは旅籠か寺に宿泊している事にします、10日に国境つきますので国元の藩士を従えて総勢500人でお国入りすると言う事です、板橋宿を、
過ぎたら、500人はバラバラに屋敷に戻り、今回交代要員200人は佃沖の玄海屋の千石船2隻に分譲して相馬領に1日で行きます、相馬から米沢までは約25里ですので2日半で着きます
3日半あればば米沢に着きますと話すと、
200人の経費が半分以下で済むわけじあな、していくらの試算じあと聞くと、今までは約2000両かかりますが半分の1000両で済むとのことです、5年で5往復で10000両かかったのが、
半分の5000両にて済むそうですというと、なる程奇策じあな、主席家老はいったいどんな脳みそをもっているのじあと言って、しかし船賃はと聞くと、玄海屋の船は蝦夷に米、味噌、
醤油を運び、
蝦夷から海産物を江戸に運ぶのだそうですが、米、味噌、醤油は仙台、石巻で仕入れるそうで次いでとのことで、夕方出て次の夕方には着くそうですので次の朝餉と昼餉の代金だけで、
済むそうです、酒は自前で持ち込んでくれと言う事で、玄海屋は廻船問屋の御用達にするので便宜を図らせるとの事ですと言うと、あいわかった滞りなく準備しておこう、そちはどう、
やって来たのじあと聞くと、
江戸より船に乗り相馬で降りて米沢に来ました、かかった日数はそれがしは忍びですので2日でしたと言うので、それは凄い、今日はゆっくり城下の様子をみて、帰るが良いと言うと、
これは現在までの財政改革の成果だそうですと書状を差し出し、しからばごめんと、す~と消えたのです、なる程あっと驚くとはこの事だったのかと言って、書状を開けて読むと何と、
すでに4万両返済して、
蔵米は総て高値で売りきり、1万3千500両の開発資金を用意し、これを含めて金蔵には4万両があるのか、これはたまげたわい、天満屋と稲葉様は腰を抜かしたであろう、近々言い寄っ、
てくるに違いない、さてどうやって狸になるかのうと言ったのです、その頃源三郎は道中奉行と参勤交代の打ち合わせをしていたのです、この奇策を聞いてこれは凄い策で御座います、
なあと言うので、
どこの大名もこの方法を取り出すだろう、しかし加賀や薩摩はそれでも多くの騎馬は用意しなければならん、大きい大名程大変なわけだと言って、段取りはぬかり泣くな、後一月ある、
ので十分間にあうだろうと言うと、さつそく手配の為配下を街道に行かせて準備しますと言うので、雇い賃はケチってはならんぞと言うと、承知いたしましたと言って部屋を出て行っ、
たのです、
勅使下向も無事終り3月も終盤なり、桜のつぼみも膨らんで開花をまつばかりになったのです、若狭屋に頼んでいた絹織物と桑の葉の栽培職人が秩父から若狭屋の元に来たという事で、
顔を出し、面談して米沢藩家臣として50石で取り立てるがどうだと聞くと、妻子がおりますので呼び寄せても宜しいですかと聞くので、勿論落ち着いたら呼び寄せるが良い、米沢に、
は屋敷も賜ると言うと、
百姓から武士になるなど夢に御座います、米沢織を全国に有名にするようにご奉公しますと言うので、国元の藩士に何か言われても笑っておれ、無体な事するものがあればわしに言う、
のじあぞと言うと、ハイ、二人で頑張りますると言うのでお前たちは江戸でゆっくりして、4月10日になったら船で相馬に行き米沢にまいれ、わしが先に行き準備しておこう、一緒に、
行く者が、
後二人いると言うと、陶工の職人と一刀彫の職人を引き合わせ、4人は50石で屋敷を賜る苗字帯刀を許されるので、わしがつけてやる、桑畑の新吉は桑山新吉、絹織り物職人の吉蔵、
は織部吉蔵、陶工の源才は米沢源才、一刀彫の光臨は桐山光臨でよいだろうと言うと、若狭屋が良い名で御座いますなあと言うので、4人が名に恥じないように奉公いたしますと言う、
ので、
武士の中には家名をひけらかすばか者も多い、主席家老のいいつけですと突っぱねよ、何かあれば必ずわしに言うのだ遠慮は無用じあと言って、支度金50両づつを渡し、武家の格好、
を整えよ、それでは戦なれば出陣式をやるぞと言って若狭屋をともない料理屋に行き膳を囲んだのです、お勝つ達と新之助、三蔵、もやって来たので銘々名乗るが良いと言うと、
4人が名乗ると、
お勝つがお武家様なのに町人の格好をしているのですかと言うので、今日武家になったのじあ、明日からは、二本ざしじあよと言うと、お勝つ達がご出世おめでとう御座りますとい、
って酌をしたので、酒を飲み干して、桑山新吉がやはり刀は二本差すのでしょうかと聞くので大刀は家においておけ、小太刀だけ差せばよいというと、ハイ、あんな重いもを差した、
ら歩けませぬと言うので、
お前たちは刀は飾りで良い、しかし襲われた時は戦わねばならん、小太刀は切りさげてはいかん、必ず刺すのじあ、懐に飛び込めばどんなに強い奴にも勝てると言うと、織部がそんな、
恐ろしい事を懐になど飛び込めませんと言うので、でなければ必ず切られて命はない、ならばいちかばちかに掛けるしかあるまい、そんな事はないと思うが万が一と言う事じあよと言、
うと、
4人が肝に銘じておきますといったのです、そうだと新之助が印旛沼から利根川に水路をつくるそうだ、天満屋が受けて関東全域から稲葉様領内に人足が集まっているそうだと言うの、
で柳沢様が炊きつけたのだろう、台風がくる前に工事を終ろうと言う腹だろうが、先に出口の水門を作らねば広げた分利根川の水が逆流して周りの水田は全滅するぞ稲葉様は3万石位、
を失い、
天満屋は金をドブに捨てると言うわけだ、水門も今の小川の場所ではダメだ、もう少し水の流れが堤にぶつからない所まで伸ばして、水が直接あたらないように工夫せねば決壊する、
さて、どうするのかなと言うと、若狭屋がいつ調べたのですかと聞くとので、印旛沼の話がでた時、あの近くの村の出の者が玄海屋の船子をやっているので、聞いたのですと言うと、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます