手(散文詩)
Umehara
手
手の、指先、このへんが冬になるといっつも割れて、冷え性なもんで、冬になるとつま先はしもやけ指先はあかぎれで、爪の縁の肉が、ぱっくり。水仕事のせいなのでしょうか、奥様向け雑誌の大掃除特集にはビニール手袋を着けよと書いてありますが、指先のきれいな方々は本当にそんなことをしているんでしょうか。私の手入れが至らないのか、それともただの体質なのか。ダイソーでは使い捨て十枚入りが百円で手に入るけれど、水仕事のたびに手袋を着ける心の余裕を、細やかさを、私はあいにく持ち合わせておりません。
母も、祖母も、割れた指先をしています。うちの、父方の、同居の祖母は家の裏の水道でゴム長靴を履いてさといもを洗っていた。バケツ半分まで入れたさといも、そのバケツを水で満たし、バケツの幅より少し短い板きれを突き刺しごり、ごりと回し、回し、どろをそぎ落とし水を捨てまた水を入れ、ごり、ごりと。米のとぎ汁をこぼすように手を添えるので水は祖母の手を浸した祖母の手を流れた、祖母の、あかぎれのばんそうこうだらけの指先をどろのとけた水が流れて指先を黒く黒くしていく、ひび割れて乾いて皺だらけの肌はよく水を吸ったから祖母の手は、よく、染まった。
だから、ばあちゃんの手は、ばっちい。
手が、泥に染まっているから。
ばあちゃんの手は、ばっちい。
真っ黒に汚れたばんそうこうを付けているから。
ばあちゃんの手は、ばっちい。
ばんそうこうを取り変えないから。
その手で料理をするばあちゃんをばっちいと言って台所から追い出したのは母と私で、祖母はよくおそるおそる台所を覗き込んでは
もういいかい まあだだよ もう飯かい まあだだよ
ねえおばあちゃんまだ三時だよもう食べるの何時に寝るつもりなのほら時計見てよ指先見てよほら、朝変えたばんそうこうは一日の汚れと垢でもう真っ黒、でもご飯どきには更に黒、でもそう言う私と母の指先も割れている。
二〇一一年の大晦日、帰省した実家に祖母はおらず畑で取れた野菜のどろはヒビ割れた私の指にしみこむ、乾いた大地、あるいはスポンジ、それにしみこむ天からの恵み、だからこれはとても自然なことなのだと言うように手は黒ずむ、しみる、染まる、ヒビとあかぎれの指先に染みた土は、うちの畑の土だったりどこか遠くの、北海道や千葉や茨城や埼玉の農家の土、だったり。
ねえ見てよこれ、運動会の練習で毎日日焼けして日焼け止め塗っても汗で落ちるし塗り直す暇ないし子供と一緒になって駆けずり回って飛び跳ねて子供追っかけ回してたらほらこんな、と腕に浮かんだシミを見せる母に私は気になんないよ健康的だよ年より若く見えるくらい、とテンプレじみた言葉を吐いて、自分の貧相な腕を見て、母の、適度に筋肉の付いた引き締まった腕を
私よりも美しい
と心底思い、三十年後、私が母の年になり今の母のその腕を持つことができたらどんなにいいかと思うのに母はそれを恥じる。日本人らしい謙遜なのか美徳なのか、本気で嫌がってるのかとにかく、母は、嫌だと、醜いと、みっともないと、祖母のおむつ交換すら満足にできなかった、骨とわずかな脂肪しかない寝たきりの祖母の下半身を持ち上げることもできなかった私の細っこい腕を、若いと、羨ましいと。
こんな五年もすれば消えうせるようなものを「良い」と、母の言う、母の羨む「若さ」は、私の未来にはないのに母がそれを羨ましいと言うので
私は
「三十前に死にたいです」と
中二病じみた事を
ツイートしてしまうのです
つるつるでつやがあって綺麗だと祖母の手を取って父が言いました。冬、祖母は寝たきりで認知症で要介護五で私たちがいることを分かっているのか、いや反応が返って来ないだけで分かっているのだと、アウトプットはゼロに近いけれどインプットはかろうじて、十回呼べば三回分かる程度には機能しているのだとそう思わんと祖母を祖母として扱えなくなってしまう、だから十投げれば三当たるぐらいの気持ちで「ばあちゃん」と言って手を取る、私の手はがさついていてひび割れて白く粉を噴いていて、祖母の手は皺がなけりゃアトリックスのCMに使えるんじゃないかっていうくらい、つやつや。皮膚はたるんでいましたハリなんてありませんでもそれが、空気の抜けたふうせんを絹で包んだような、お蚕さんの糸で丁寧に丁寧に織り上げた布のような、お蚕さんを抱いては移し抱いては移し桑の葉をやり食ってるか足りてるかと育てる、そうしてできる繭の一本一本を紡いで織り上げたシルクの、マルイの下着売り場で「極上の肌触り」というポップに釣られて手を伸ばして値段見て手を引っ込める真っ赤なランジェリーのあの触り心地、祖母の肌は手は指はその表面は
家の裏の水道でさといもをごりごりと洗っていた手とは
まったく違う
それを、
うごけなくなってからの祖母を、下の世話も人様に頼っている祖母の
祖母の指を
美しいと言ってしまう思ってしまう私だから立ち働く祖母の手を美しいと言えなかった私だから
母の手を腕を美しいと思う、私よりも、貧弱でハリのない私の腕より手より。小学校で問題児追い回して運動会のおどり教えて掃除のときに机運んでそうして付いた筋肉と皮膚に浮かび上がったシミ、それを、恥じて欲しくないと。
若い頃、私を生む前、小児科で訪問授業をしていた母の前に問題児はいなかったし日にも焼けなかったし筋肉を酷使することもなかった、死んでいく子供を看取った、教え子の死に顔を撫でたかもしれない、手を握ったかも知れない、明日切断されるという脚を撫でたのかもしれないその子も結局逝ってしまったと、聞いたとき私はその小児がんの少年より若かったのに今はその頃の母の年を越えて。母は、今の私より若い、シミもない皺もない母を教え子の亡骸に触れた母の手を今より美しかったと、思っているのだろうか。
その子供たちはきっとつるんとしていたのだ今の祖母のように。五体満足に産んであげたのにと母は嘆きますいや罵ります、健常者の私だから指が割れるのですか、割れろ割れろと、水を掻くのが五体満足に生まれた生き物の、役目なんでしょうかお母さん
五体満足に産んでもらったのに、ね。
三十過ぎれば何ともないよ四十五十も楽しいよたとえ独りでも! と心温まるリプライもらってIDごと消えました、美しいと思う母の手を母が醜いと言うのが悲しい、いや嘘、私が、同僚の顔の化粧に透けるシミを「手入れが至らない」と思ってしまった私がシミの浮いた皺のできた母の腕を美しいと思っているはずが、
美しいと言えるはずが、ない。
あかぎれの指先の赤い裂け目を覗き込んで上司のつるりとした手に嫉妬する私が立ち働く祖母のばんそうこうで汚れた指先を美しいと思えるはずがない、立てなくなった祖母の手を絹のようだと思ってしまった私に、祖母を美しいと、言えるわけが
でも、でも、祖母の手は美しいはずなのだ本当に
父は、祖母の太い指をつまんで、農家の手だと、働きもんの手だと。
二十五の私と五十五の母と八十二の祖母の手を骨にして並べたい
太い骨をしていました焼かれたら立派な骨が残って祖父みたいに壺に入り切らなくて箸で押されて砕けて蓋をするのだろうと、
そのときようやく
だれもが
祖母の手を母の手を美しいと、私の細っこい指よりも美しいと
言ってくれるはずだからそうすれば
同僚の顔のシミの化粧に透けているのを
同級生の白眼に浮いた黄色いシミを
腹や乳房や腕に浮かべた傷痕を
嫌悪し続けた私もようやく
美しいと
断言
できるのか
祖母が死んだら私は祖母の指の骨を箸で拾いたいいや指で拾いたい私の指で、いや私の指の、骨で、祖母の骨をつまんで、骨と骨のぶつかりこすれる乾いた音を聞きたい、私は、私の骨はきっと細くてスカスカで何も残らないだろうその軽い骨の、箸で、私は祖母の黒い水のしみこんだ指を壺に入れたいそして箸を、私の骨であり指である箸を、骨でいっぱいの祖母の太い丈夫で健康的で美しい骨の中に、私の醜いあかぎれした指をうずめて蓋を、したい。
頭蓋骨
って、頭の骸骨だと思ってたら違った、頭の蓋の骨と書いて頭蓋骨、骸の骨の骸骨ではない、だから頭蓋骨はその名からすでにふたなのだと、そうやって私は祖母の頭蓋骨で蓋をされたい
けれど
骨の太い祖母の壺は頭より下の骨でいっぱいでそこにのせた頭蓋は壺の蓋に押されて割れてしまうから、
私と祖母の隙間は
永遠に蓋をされなくて
触れた空気で腐食してって、
溶けて、溶けて、還るの
でしょうか。
手(散文詩) Umehara @akeri
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