皇帝の乱

ふみきり

第一章 波乱皇帝登場す

第1話 一人多い出席者

「――一人、多い? どうなってんだ?」


 事前の予想では、出席者は十二名のはずであった。だが、古島市議会議員選挙の立候補予定者説明会場には、十三名。


 大石翔也おおいししょうやは念を入れて、もう一度しっかり数え直した。一人、二人、三人……やはり十三名。過去四十年、一度も立候補者が定数を超えた例のなかった古島市議選。定数十二名のところに参加者が十三名という事態に、出席者も皆一様に顔を見合わせていた。戸惑いは無理もない。意味するところは、つまり四十年ぶりの投票の可能性……。


 大変な事態になった。無投票と投票、落差はあまりにも大きい。

 投票となれば、入場整理券の郵送料、期日前投票所や選挙当日の投・開票所の運営のための人件費や光熱費――閉庁時間も投票に来る有権者のために、照明なり空調なりをフル稼働しなければならない――、立候補者の選挙運動に関わる公費負担経費――候補者の資金力の差による不公平を軽減するため、ポスター作成代、選挙運動用自動車の燃料費やレンタル料、運転手の雇用費などを一定額、公費で負担するが、これが一番馬鹿にならない――と、小さな古島市の規模でも、優に二千万円は費やすほど、経費が違ってくる。


 大石は席を立つと会場入口の受付へ向かい、出席者の受付表を再度しっかり確認してみた。


櫛山くしやま英作えいさく


 見知らぬ名前が記されていた。


 古島市議会議員選挙は、二ヶ月後の四月に執行が予定されている。今日は、市議会議員選挙に立候補をするために必要となる届出書類に関する説明会が、開催されていた。会場となっている会議室は、収容人数八十名と、古島市役所一の広さを誇っており、各テーブルは相当の余裕を持って配置されていた。

 立春を迎え数日、いまだ外気は冷たく、手や顔など、肌の露出した部分は刺すような痛みさえ感じる。

 窓の外に目をやれば、古島の名産であるヤブツバキの咲き乱れる姿が飛び込んできた。隣の大島では、今は椿祭りの真っ最中のはずだ。


 大石はざっと会議室を見渡すと、窓際の最後列に、ニット帽を目深に被った中年の男の姿を確認した。見覚えのない男。

 後姿に妙な気味の悪さを感じ、背筋がぞくりと総毛立った。


 ――あいつが、櫛山か?


 他の出席者は、今期で引退予定の現市議会議長の小池栄作こいけえいさくを除いて、いずれも現職が再登板の予定であり、議員本人が出席していた。

 小池についても、小池の後援会が後継の新人を出すという噂を聞いており、後援会長を務める中年の女性――森田愛もりたあい(後援会事務所用の看板標章の交付申請のときに、何度かやり取りをした記憶があった)――が出席していた。


「おい、大石。あれ」


 受付を担当している古島市選挙管理委員会事務局の同僚で、大石の教育係も兼ねている小笠原静馬おがさわらしずまが顎を引き、ニット帽の男を指した。大石は、「見かけない人ですね、もしかして、島外の人間でしょうか。これは……」と頷いた。


「あぁ、こいつは、投票になる可能性があるぞ」


 大石と小笠原は顔を見合わせて、隣の控え室で説明会前の最後の打ち合わせをしている上司の元へと向かった。




 大石はノックをして扉を開いた。締め切っていたためにこもった空気の、ムッとする熱気が廊下へと漏れ出してきた。女性も複数いるため、漏れ出す熱気には微かに化粧品の匂いも混じっており、大石は一瞬、顔を顰めた。


 窓がなく、十五人程度が入れる手狭な控え室には人影が六つ認められ、一番奥の一人掛けソファーに腰を掛けた物腰の柔らかそうな老女は、古島市選挙管理委員会の委員長を務める、長谷川比沙子はせがわひさこ

 常に笑顔を絶やさない長谷川は、民生委員、保護司を長年務めてきた人物で、各市議および市長以下市の幹部とも良好な関係を築いていた。敵を作らない、気配りの上手い人物だった。

 向かって右手の四人掛けソファーには、その他の選挙管理委員三人が座っていた。元学校長、僧侶、農業従事者と、バラエティーに富んだ面々であった。

 選挙管理委員会の委員は、議会において選挙し、決定をするため、議会各会派から推薦されてきた人物が就任する例が多い。だが、古島市では、いずれも特定の党派には所属していない民間人を選ぶのが、長年の慣例となっていた。

 向かって左手の四人掛けソファーには、奥にほっそりとした女性が、手前にはがっしりとした体型の男性が腰を掛けていた。女性が、古島市選挙管理委員会事務局の責任者である事務局長の天野瞳あまのひとみ、男性が同事務局選挙係長の児玉彰英こだまあきひでであった。


 六人は談笑をやめると、室内に入ってきた大石らを見つめた。

 全員に凝視され、大石は一瞬ひるんだ。何しろ、皆、大石よりもはるかに年上なのだから。だが、小笠原にひじで突かれて、大石はすぐさま気を取り直した。


「あら、大石さん、小笠原さん。もう時間かしら?」


 天野は立ち上がり、大石らのもとへ向かおうとした。

 大石は手で軽く制止すると、天野のそばまで行き、耳元で「実は、一人、見なれない男性が現れまして、もしかしたら投票になる可能性が――」と囁いた。

 大石の言葉に天野は息を呑み、目を閉じると、なにやら考え込んだ。笑顔から一転、眉を顰め難しい顔を浮かべている。

 表情から察すると、どうやら天野にも青天の霹靂だったようだ。天野は常々大石たち事務局職員に、少人数の部署だから必ず全員で情報は共有するようにと、口を酸っぱくして言っていた。もし事前に何らかの情報を得ていれば、天野が、大石たちに何も告げないわけはなかった。


 三十秒ほど、考え込んでいただろうか。天野はやおら目を開くと、選管委員四人と児玉の姿をぐるりと見回し、「どうやら会場に十三人目が現れたそうです」と告げた。誰も予想もしていなかった事態に、全員が耳を疑っているようだった。

 当然だろう。この四十年間ずーっと無風状態だった古島市議選だ。事前に立候補に関し何らかの問い合わせがあったわけでもない中で、十三人目が現れるなどと、いったい誰が思い至るだろうか。


「彰ちゃん、何か聞いてる?」


 天野は隣に座る児玉へ体を向けた。児玉とは、かなり昔からちょくちょく一緒に仕事をした仲らしく、天野は児玉に対しては、だいぶ砕けた話し方をしていた。

 児玉は天野からやや身を引きながら、「すみません、特に聞いていないですね」と首を横に振った。児玉は逆に天野が苦手なのか、いつも扱いづらそうにしている様子だった。


 天野は再度ぐるりと全員を見回すが、長谷川ら選管委員、小笠原も天野の視線に否定の意を示した。

 やはり、誰も聞いていないようだ。当然、大石も立候補したいという事前連絡を受けていたわけではないので、頭を振った。


「そう……。誰も聞いていないのね。どこの何者かしら」


 膝の上で頬杖をつくと、天野は息を大きく一つ吐いた。


「局長、考えていても、始まりませんよ。どうせ、なるようにしかならないんです。さ、説明会の準備に入りましょう」


 児玉は肩を竦めた。


「彰ちゃんの言うとおりね……。私たちがどうこう、決められるような話でもないし。よし、説明会の準備、始めましょう」


 天野はついていた頬杖をやめると、手を叩き、立ち上がった。その音を合図に、座っていた全員が腰を上げると、控え室を後にした。


 ――なるようにしかならない。児玉の言葉に、大石は確かにそうだと首肯する。書類がきちんと整った形で立候補の届出がなされれば、選管は粛々と事務を進める、ただそれだけだ。何も難しく考える必要はないんだ。

 控え室を出て行く先輩職員の背を見やり、大石は後を従いていった。

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