真昼の星
@heynetsu
第1話
夜空を眺めたことがない。星座を知らない。流れ星を見たことがない。言うたび、ちょっと信じられないという顔をされる。
人工の光が少なく、山の裾野に拓かれたこの町で、どうしたら流星を見ることなくいられたのかと。
ある人にこうからかわれたことがある。宇宙にロマンを感じないのは、宇宙人という現実がそばにあるからだろう。一理ある指摘だとわたしは思った。
わたしの友人、最上宮古はかれこれ十五年、宇宙人を自称し続けている。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、わたしに残っている最初期の記憶、幼稚園の入園式で「志保ちゃん、あたし、宇宙人なの!」と宮古が名乗って以来、彼女がこの主張を引っ込めたことは一度もない。十八歳の高校三年生になった今では頻度こそ少なくなったが、それは学校という狭い共同体の中ではもはや言う必要がなくなっていたからだ。これから先、しわくちゃのおばあちゃんになっても言い続けるつもりでいるらしかった。
生まれつきの病気の療養のため、親子で温泉のある我らが田舎町に引っ越してきたというのは母から聞いた。宮古がこの町にやってきた時からすでに父の姿はなく、母一人子一人。
どんな時も白い日傘を手放さず、中学校に上がるまではしょっちゅう体調を崩していた。それでいて、どんな時もにこにこと楽しそうに笑う女の子だったから、宇宙生まれと吹聴して回るのを、大人は空元気と捉えていたらしい。
一方、わたしや同年代の子供たちはみな、宮古が正真正銘の宇宙人であると信じていた。
宮古はとても勘が鋭く、時々人の心を読んだような行動を取った。その力は喧嘩の仲裁やなくしたものの捜索に使われて、彼女の力添えで問題がなんでもなかったかのように解決することが何度かあった。けれど宮古はこれを宇宙人の力とは言わなかったし、わたしたちもまた、その能力をもって彼女を特別扱いしたわけではなかった。
白い日傘に黒く長い髪の、綺麗で頭のいい女の子。保養地で静養する異星の姫というのが真実であろうとなかろうと、宮古はわたしにとってのお姫様だったし、お姫様が宇宙人を名乗るのならば、それはやはり宇宙人なのだ。
もちろん、中学、高校と歳を重ねていくうちに、宇宙生まれの女の子を変わり者として敬遠する者の数は増えていった。けれど、宮古は相変わらず主張を曲げなかった。その必要も感じてはいないようだった。
帰りたいとつぶやかない。あれが母星だと指差さない。宇宙船の迎えを待つために屋上で交信しない。宇宙生まれ、この町育ち。単なる田舎の女子高生。わたしの友達。
「この町はわたしのサナトリウム」
宮古はこの言葉をよく口にした。山があって、湖があって、田んぼがあって、コンビニがあって、温泉も湧いている。いいとこだよね、と。
宇宙人であると同時に受験生でもある宮古は、進路希望を保留にし続けていた。
職員室の扉の向こうから、進路指導の老教諭から宮古へのお説教が聞こえてくる。
わたしと宮古の通う高校では二年生の終わりに進路調査票なる書類を提出することになっている。
進学か就職か、進学するのであれば大学か専門学校か、志望する学校はどこか、現時点での展望を三つほど書いて出す。学校側が生徒への個別の対応を図る上での参考資料といった位置付けで、この紙で何かが決定されるということはない。
適当に知っている大学名で空欄を埋めれば済む話なのに、宮古は延々提出を渋っていた。高校三年の七月。呼び出されての説教と催促はもう何度目か分からない。
セミが近くの壁に取り付いたのか、ジリジリと鳴き声が響き、かすかに聞こえていた職員室内の話し声はかき消されてしまった。今年は冷夏というが、窓の外から見える野球部の練習風景は熱気がほとばしるようだった。入道雲がのぼっていればさらに映える。
ごちそうさまでした、と一礼して宮古が出てきた。説教の後だというのに涼しい顔をしている。
「宮古、なんか食べたの?」
「いいとこのようかんとよく冷えたお茶」
「おいしかった?」
「おいしかった」
空調のない廊下で汗を垂らして待っていたのは失敗だった。付き添って入って一緒にお説教を受けてもお釣りがくる。宮古にばかりおいしい思いをさせるのは癪だったので、わたしはささやかながら進路指導の味方をすることにした。
「宮古、なにもなくても進学って書いて出したらどう? 実際受験しなくてもいいんだから」
「いやだよお。一度首を縦に振ってごらん。じゃあ次は志望校だ、国立目指そうって向こうがやる気になる」
宮古はとても成績がよく、半強制で受けさせられる模試の結果もかなりのものだ。進学実績にこだわるような学校ではないといえど、宮古が大学進学を志望すれば少しでも上位の学校に入れたいと思わずにはいられないだろう。
それこそ模試では手を抜くなどして教師のやる気を削いでやればいいのに、上手に間違えるほど頭がよくないのだと彼女はうそぶき、成績上位者の一覧に「最上宮古」の名前を載せる。本腰を入れて勉強している国公立志望の生徒を尻目に、腰掛程度の勉強で上を行く。何かにつけて処世術というものがなっていなかった。
「反抗しているつもりじゃないんだよ。まだ何も考えてないのに、とりあえず、っていうのが不誠実な感じするよ。しないかな」
「みんな不誠実なんだよ、こういうケースは」
「わたしは誠実でありたいんだ」
こうしてのらりくらりとかわすのが常だ。毎度のことながら、これを相手をしなくてはならない先生には同情を禁じえない。
「とうとう、お前は宇宙人だから進学しないのかって言われた」
「可哀想に」
「病気が心配なのかとも」
「大変だ」
この時期になるまで自称宇宙人について触れなかったのは、ひとえに先生の良心ゆえだろう。が、さすがに痺れを切らしたようだ。
「関係ないです、って答えたら、ため息ついて、ようかんを出してくれた」
ようかんを包丁で切り分けている間、先生は何を思っていたのだろう。
「今日はここまで、って感じ」
わたしの考えを読んだように、宮古は先生の心情を勝手に代弁した。
「時間切れまで粘るのはやめてあげなよ。老人に鞭を打つな」
「五十五で老人扱いされたかねえよ。俺は初孫だってまだだぞ」
職員室の扉が開いて、進路指導の先生が顔を覗かせた。先生のデスクは入ってすぐのところだ。聞こえていたらしい。
「潮崎、ちょっとお前も話訊かせろ。五分で済ませるから」
いつまでも廊下に留まっていたからわたしもご指名を受けてしまった。別料金ですよ、先生。
「宮古、今日は公民館寄る?」
「寄る」
「じゃあ、いつもどおりで」
放課後の勉強場所に使っている公民館で落ち合うことを確認して、宮古を先に行かせる。
職員室に入ると、クーラーが効いた室内と廊下との温度差で鳥肌が立った。肌寒いぐらいだ。先生は流しでようかんを切って、何も言わずわたしに出してくれた。ようかん云々のやり取りから盗み聞きされていたようだ。
「指名料としていただきます」
「潮崎、そういう店に行ったことない癖に恰好つけてくれるな。最上はこっちの考え先読みして茶化してくるし、お前ら相手にするとこたえるよ」
「すみません。そういうつもりでは」
「謝るなら最上の手綱をもうちょっと握ってくれよ。恋人だろ」
「違いますよ」
「付き合ってないのか」
清いもんだね、とつぶやいて先生はお茶をすする。
「あのねえ、先生。わたしと宮古は同性ですよ。セクハラだ」
「女子高では珍しくもない」
「ここは共学です」
「環境でジェンダーの感覚も変わるもんかね。まあ、女房役には変わりあるまい」
その言葉には反駁できなかった。自分でも宮古にべったりくっついている自覚はあるのだ。
「お前の進路は変わらずか」
「ええ。特に変わったということはありません」
「そんならいいや。やる気があるならもう一段上を狙ってもいいし、疲れたら目標を下げてもいい」
先生は進路指導担当とはとても思えないことを平気で言う。わたしに対しては放任のこの人が、宮古に対しては根気強く説得を続けているのが不思議だった。
「宮古との面談って楽しいですか、先生」
「俺はどんな生徒相手でも楽しいよ」
「下心があって、ことあるごとに宮古を呼びつけてるとか」
「おうおう、若い娘の嫉妬ってのは瑞々しくていいね」
「セクハラです」
言葉の選び方がわざとらしい。先生の発言はからかいだと分かるけれど、それでも少し、カチンときた。
「俺は最上にかかりきりってわけじゃねえんだ。最低限、進路調査票を出してくれと言ってる。出しさえすりゃそこに『宇宙』って書いてあっても突き返さねえよ」
「宮古は本当に進路が決まっていないんだと思います」
「そうだろうとも」
先生はため息交じりに笑った。どこか芝居がかった様子で、わたししかそれを見ていないのだから、わたしに対する皮肉かなにかなのだろう、ということだけは分かった。
「話は終わり。さっさと食べてもう帰んな」
「終わりですか」
釈然としないわたしは生返事をして、ようかんを口に運んだ。ようかんの味はすっきりとした甘さで、冷たいお茶によくあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます