無題

ナズ森

無題



檬架side


秋が家に泊まりに来た。千冬は、嘉の家にお世話になることになってた。一泊二日のケーキ修行らしい。美味しいケーキを兄に振舞ってくれ。嘉は俺も泊まるように言ったけど丁重にお断りしておいた。何か言いたそうな顔をしていたけど、嘉は何も言わなかった。


恋人の秋とはこれまでに何度もセックスした。女役に文句も言わず、俺を受け入れてくれている。こういうところも好きだと思う。隣で疲れて眠る顔をそっと撫でる。こいつが愛おしい。嘉も愛おしいと思うことがあるけれど、それは家族愛に近い。秋に対してのこれは、間違いなく恋愛だ。誰にも渡したくない。ずっとそばに置いておきたい。自分だけを見ていて欲しい。これを恋愛と呼ばずしてなんと言うのか。秋の隣はいつもよりよく眠れる。朝起きて、すぐ目の前に愛おしい人の顔があるかと思うと、それだけで俺は溢れんばかりの幸福を感じざるを得ない。


翌日、秋を家まで送って帰ってくると、リビングのソファーで千冬がうずくまっていた。声をかけても返事をしない。寝ていると思ったが、小さく鼻をすする音が聞こえた。

「おかえり、どうした」「別に」

「なんかあったの」「別に」

明らかに泣いてる声なのに、何もないの一点張り。これで何もないならその方がおかしい。モヤモヤしたままなのは嫌だから、堪らず俺は嘉の携帯に電話した。5コール目で電話の繋がる音がした。

「もしもし、嘉」「……」「もしもし?」「……なに」「……千冬が泣いてるんだけど、何かした?」「……なにかって」「それを聞いてる」


覇気のない、普段聞かないような嘉の声。電話じゃラチがあかないから通話を切って嘉の家に行き、勝手に部屋の扉を開ける。


「入るよ」「……勝手に来んなよ」「いつも通りだけど」「……今日は帰って、…頼むから」「俺、隠し事嫌いなの知ってるよね?ちゃんと何があったか説明するまでここにいるよ」「………はあ」

ベッドに腰掛けて頭を抱えていた嘉は、さらに深く頭を垂れて、無造作に髪を掻きむしった。お互いイライラした空気をだしたまま、時間だけが過ぎていく。


「……昨日、秋が泊まったんだろ」「そうだけど」「もう檬架の家はやめろよ」

突然何を言いだすかと思えば、嘉が俺に命令してくる。

「なんで嘉に言われなきゃいけない」「なんで?…可哀想だと思わないのか、自分の兄貴が、自分が普段生活してるところで男とセックスしてる。そんな千冬ちゃんの気持ち、考えたことあるのかよ!」

あまりの剣幕に、思わず一歩後ずさってしまう。

「でも、今回は千冬から嘉の家に泊まるって言っ_______」「それ、本気で言ってるなら、俺はお前と縁を切る」

その一言で、さすがの俺も腹を立てずにはいられなかった。嘉が?俺と?縁を切る?

考える間もなく、俺は嘉を押し倒していた。そのせいで、今まで見えてなかった嘉の顔が露わになる。その顔は、なぜか涙で濡れていた。


「……なに、その顔」「うるさい、どけ」「嘉のくせに、今日はやけに生意気だけど、なに?そんなに俺が秋と付き合うのが嫌なの?今までそんな素振り一度も見せたことないだろ。千冬が可哀想って言うけど、1番可哀想だと思ってるのは嘉自身なんじゃないの」「……るさい」「言っとくけど、俺はあきと別れるつもりも、泊まりに来させるのを止めるつもりはないよ。」「…うるさい」「そもそも、嘉にやめさせる権利なんてないからね?そんなこと言うやつじゃなかったのに、どうしたの。そんなに俺が秋と付き合ってるのが不満だった?」「うるさい…」


両手首を頭の上で押さえつけて、つとめて冷静に、圧のある喋り方をする。これで大抵、嘉は俺の言うことを聞く。でも今回はそうはいかなかった。


「…お前は、俺の気持ちを知って、こんなことするんだ。周りの奴らが、お前は冷たいって言うけど、今ならわかるよ。…酷い男だな、檬架」


「……それで、嘉は俺から離れるの」

「は?」

「俺が酷い男で、嘉は俺から離れるの」

「言ってる意味が分からない」

「許さないから。嘉が俺以外のやつのとこに行くなんて、許さないからな…」

「…………あっそ」

「離れないって言って」

「…………なに?」

「離れないって言って。一生、俺から離れないって。言えよ。…言え!」

「………痛っ」

手首を抑える指に力が入る。


「嘉は俺が好きなんだろ?だったら、俺から離れられないよな?好きなんだから。……ほら、好きって言いなよ。言ったら一緒にいてあげるから」

「……言ったところで、檬架は、俺と生きないんだろう。秋が好きなんだろう。……そんなの、無意味じゃないか」

「………」

「頼むから……もう、俺を解放してくれないかなぁ………頼むから………」


そこまで言って、嘉は泣き出した。というより、嘉の意思とは関係なく涙が溢れて目からこぼれ落ちているようだった。

俺は、そんな嘉を何年も一緒に居て初めて見た。

どうすることも出来ず、俺のことが好きで堪らないと泣く幼馴染の顔を、どこか遠い気持ちで眺めていた。







嘉side


「嘉くんは……ゲイ、なの?」

千冬ちゃんは俺にとって妹同然で、昔から可愛いのは変わらずだけど今はとっても綺麗な女の子で。まさかその子から「ゲイ」なんて言葉が出るなんて予想外すぎて不自然な間が空いてしまう。

「えっと…どうしてそう思うの?」


夜、話がしたいからと部屋に来た千冬ちゃん。お風呂あがりで、可愛いパジャマをきてるあたりに女の子らしさを感じる。うち、こんないい匂いのシャンプー使ってたかな…。

「あのね……檬架、ってさ、男の人と…その…付き合ってる、よね?今日もその人が来てるみたいだし」

「千冬ちゃん、やっぱり知ってたの」

驚いて聞き返す俺に控えめに頷いてみせる。

「偏見とかないから別に気持ち悪いとかじゃないの。だけど…ね、嘉くんが……」

突然出てきた自分の名前にまたしても驚く。

「え、俺?」

「あっ…うん、その……えっとね……」

しどろもどろになる千冬ちゃん。ベットの上で座り直したせいでギシッと音がする。

「ゆっくりでいいよ」


焦らせちゃいけないと威圧感のないように椅子の背もたれに体重を預ける姿勢にする。

数分が過ぎた頃、やっと決心がついたのか千冬ちゃんが顔を上げ、その綺麗な瞳で俺を見つめてきた。一瞬、檬架に見られたようなそんな錯覚が起きる。この兄妹は似ているから、時々やっかいだ。

「今日、わたしが嘉くん家に来たから檬架は家に彼氏連れて来た。そのせいで、嘉くんが悲しむなんて思わなかったの。ごめんなさい」

「………………」


何を言われているのか分からなかった。

開いた口が塞がらないってこれのことを言うのだろうか。

「今日はね、ほんとにそう、なのかなって知りたくて、わざと嘉くん家に泊まらせてもらったの。そしたらさっき…………………聞こえたの」

最後は聞こえるか聞こえないくらい小さな声で、千冬ちゃんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「それだけじゃなくて、嘉くんも今日1日どこか上の空だったし、よく私の家の方角を見てる感じがして、もしかしたらって………だから私、自分の欲のせいで嘉くんにつらい思いさせちゃったんだって思ったら、本当に申し訳なくて…」


今度は俺が俯く番だった。嘘だろ、そんなに俺はバレバレの態度をとってたんだろうか。自分ではうまく隠してるつもりでも、周りからすればだだ漏れなわけか。千冬ちゃんにもこんなに気をつかわせて、可哀想なことをさせてしまった。自分の兄が『普通』じゃないだけじゃなく、小さい頃からもう1人の兄のように慕ってくれた俺までそっち側の人間だと知って、悩んだんだろうな。困って、苦しんで、それでもこうやって謝ってくれる千冬ちゃんは、本当に良い子だと思う。この子には幸せになって欲しい。こんな悩みからはさっさと解放してあげないと。

「千冬ちゃんが謝ることじゃない。大切な家族のことを知りたいなんて普通のことだよ。むしろ謝るのは俺」

「えっ…?」

ぱっと千冬ちゃんが顔を上げる。


「いくら偏見がないとはいえ、気持ち悪いだろ?ごめん、配慮が足りなかった。自分の兄をそんな目で見て欲しくないよな。これから気をつける。でも……ね、好きなのは変えられない。こればっかりはごめん、見逃して」

冗談っぽく笑って頭を下げた。彼女がなるべく重く受け止めないようにする精一杯の誠意のつもりだった。


「………嘉くんが謝ることじゃないよ」

「うん、でも」

「私が気付けなかったのが悪いの」

「それは違う」

「……」

「好きなのを隠して、執念深く隣に居ようとする俺が悪い。ほら、俺って臆病だから」

たまらず苦笑いしてしまう。情けないなぁ、ほんと。


「……嘉くん」

「ごめんね、こんな話するつもりなかったんだけど……忘れてね。もう俺の中では決着がついてることだから。千冬ちゃんが気にする必要はないからね。」


椅子から立ち上がりベッドへ近づいて千冬ちゃんと目線の高さを合わせると、幼かった頃のように頭を優しく撫でた。

「……泣かないで。おにーさん、千冬ちゃんの涙に弱いの知ってるでしょ」

「………でもっ」

両手の親指で目尻をそっと抑える。そのまま、包み込むように頬に手を添えた。

「ダメなお兄ちゃんたちでごめんね。こんな可愛い妹を悲しませるなんて、お兄ちゃん失格だ」

千冬ちゃんはまた泣きそうになった顔を左右にブンブン振った。そうして、必死に涙を堪えるように唇をきつく噛み締めた。

「……嘉くんは、優しいね」

この子はなんて純粋で可愛いんだろうと思う。悪い男に騙されないか心配だ。

「千冬ちゃんほどじゃないよ」


それから、もう寝るからと千冬ちゃんは客間へ行ってしまった。俺は体を動かす気力もなく、ただベットに横になるだけだった。

白い天井を見つめながら先ほどの会話を思い返す。

数年抱えてきた気持ちを、バレてはいけない人に気づかれてしまった。しかも、最悪のタイミングで。俺のような人間に使わなくていい気までつかわせてしまったし。


「ダメだなあ………」


この気持ちを抱えてから、年々弱くなってるのは気のせいだろうか。とりあえず、千冬ちゃんとは顔を合わせずらくなってしまったのは確かだ。お互いそうだろうから、年上として気遣ってあげなくてはいけないのは分かってるけど、そんな自信もない。


隣の家が気になる。

今日に限ったことじゃないのに、何故か無性に、隣の家の男が気になってしょうがなかった。でも会いたくないと思うから、人の心は矛盾だらけだ。


「ダメだなあ………」


深いため息を漏らしつつ、俺はゆっくりと目を閉じた。












千冬side


今日気づいたわけじゃない。今日確信しただけ。嘉くんには檬架のことだけしか言ってないけど、本当は、嘉くんの気持ちも確かめたくて、おばさんにお願いした。

だから私も相当ずるい。そんな罪悪感もあって謝りにいったら…本人の口から言われてしまった。自分の兄が好きだと。諦めるつもりもないと。


これを玉砕と言わずしてなんと言うんだろ。

私の初恋は一瞬で散ってしまったんだ。

嘉くんが好き。私のことを妹扱いしかしてくれない、優しい鈍感なあの人が好き。


檬架は嫌い。私の好きな人を苦しめるもかなんて大っ嫌い。死んじゃえ。

でもきっと檬架が死んだら嘉くんは……どうするんだろう。泣くのかな。それは嫌かも。


……あーあ。失恋だよ。恋敵が自分の兄とか誰に相談出来るっていうのよ。

迂闊に愚痴も吐けないじゃない。

ムカつく。

やっぱ檬架なんて死んじゃえ。


「おかえり、どうした」


嘉くんは檬架が好きなんだって。彼氏を家に連れ込む檬架が好きなんだって。


「別に」

「なんかあったの」


何もないよ。告白する前にフラれただけ。


「別に」


あ〜〜もう、悔しいなあ。

何もできない自分が悔しいなあ。

やっぱり、嘉くんを諦めきれない自分が、

「悔しいなぁ……………っ」







秋side


ときどき怖くなる。不安になる。檬架が本当は誰を見ているのか。その綺麗な瞳に映しているのが自分じゃないかもしれない。それが怖くて、檬架の目を見れなくなったのはいつからだっけ?分からない。

「愛してる」と言われても、「秋だけがいればいい」と言われても、その不安が拭いきれることはなくて。


「ほんとは嘉が好きなんじゃないの?」

喉の奥につっかえたこの言葉を、何度飲み込んだか分からない。


分からない。分からないよ。檬架が何を考えてるのか、俺には分からない。

愛してるのに。好きなのに。

俺を誰と重ねてるんだよ。

1番になりたい。檬架の1番になりたい。

もっと俺のことを見て欲しい。

それすら言えないで、俺たちほんとに付き合ってるって言えるのかよ?



「秋くん、可愛いね……」

「んっ……あぁ…、ふっ……」

俺だけを見て欲しい。俺に気づいて欲しい。

もう一度、俺だけを。

「檬架……っ」

好きだよ、檬架。


でもこんな汚れちゃった俺なんて、捨てられんのかな

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無題 ナズ森 @sana_0310

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