ニート兄の隠し事

くお

兄の厄介事

兄の厄介事1




   私の兄、唐紅陽丞からくれようすけは成人してから二年が経つ現在でも、ニートを貫き通している。ゲーマーな体質で、生ぬるいことは嫌いな性分なため、オンラインゲームの覇者となった。ゲームの中の兄は、そりゃあもう頼りがあってかっこいい。ただ現実はかっこつけたがりで少し抜けている。でも、妹思いのいい兄。



   その兄と連絡がとれなくなってから、世間は物騒になった。



   ニート生活を謳歌していた兄への天罰だとしても、友達も少なく社会とのかかわりも薄い兄が事件に巻き込まれるなど考えられない。あるとすれば、彼の気質を狙う輩、〝荒夜こうやもの〟の襲来。世間が一層騒がしくなったことと、関係がないとは言い難い。



   兄の部屋は一台のテレビとパソコン二台を中心にしてあちこちに物が散乱している。男の一人暮らし感、いや、ひきこもり感満載だ。


   何か手がかりになるものを探すが、目ぼしいものはない。他を当たろうと思い、部屋を後にする。カチッと戸締りをし、顔を上げたところで私の動きは止まった。家を囲む塀にもたれかかる一つの影が視界に入ったからだ。


   高校生くらいの男の子だ。顔を伺おうと覗き込むが、髪で目が見えないと分かるとすっと身を引いて後ずさる。と、男の子がこちらに気づき、ゆっくりと歩み寄る。そして、ポケットから取り出した一枚の紙を突き出してきた。そこに書かれていたのは、


「契約書?」


   恐る恐る視線を落とし、確認する。サインは───、唐紅陽丞と記されている。…え?


「唐紅月深だろ」


「え、あ、はい!」


   フルネームで呼ばれてつい、背筋を伸ばし返事をしてしまった。半秒前の自分に項垂れるも、男の子は待ってはくれない。


「これ、なんだと思う?」


   柔らかな口調だと言うのに、私は彼に恐怖を抱く。初対面で失礼だけど、でもこの状況なら仕方ない。私はなるべく書面を見ないよう男の子の目を見た。


「あはは、私急いでるんで…」


   から笑いしつつ逃げようと試みたその時、ある一文が見えてしまった。


唐紅月深からくれつぐみを連れていくことを許可する〟


「きょっ許可するって!?どういう…」


   書面に釘付けになる私は恐る恐る男の子を見上げるが、彼の表情からは何も読み取れず、焦りをごまかすための唾を飲む。


「陽丞と契約したんだ。だから付いてこい」


   この人、兄とどういう関係なの?私はハッとなり、おどおどしていた態度をやめ、あくまで強気に出た。


「嫌よ。っていうか、お兄のこと知ってるなら、今どこにいるのか教えて」


「さぁ」


「っ!」


   気の抜けた返事に思わず眉を寄せ、言葉に熱が入る。


「最近のことと何か関係があるの!?」


「…最近のことか。さぁな、俺〝奉魔士ほうまし〟じゃないから詳しくないな」


   男の子は至って冷静に返してくる。落ち着いているというよりは、眠たそうな態度と話が進まないこの状況にムカッときた。


「もー!じゃあ君は何なの?誰なの?」


   自己紹介もない彼にごく普通のことを聞いた。なのに、思いもよらない返答をくらうことに。彼は至極淡々とこう告げる。



「…そうだな、名はネル。月深の旦那様」



   にこり。両目を瞑り、口角を上げ微笑む彼に対して私の表情が固まった。



「へ?」



   兄と連絡がとれなくなって数日後、私は見覚えのない男の子に、衝撃の告白をされた。





   私の生きるこの世界には、〝荒夜の者〟と呼ばれる、死者が向かう世界、〝久世ぐぜ〟でさ迷う死者の魂が凶暴化した人を襲う魔物が存在する。荒夜の者を退治するのが、特殊な能力をもつ〝奉魔士〟だ。


   私の兄には特殊な能力がなく、襲われれば喰われてしまう危険がある。そして、能力がなくても霊力があるため狙われやすいという最悪な環境にある。だというのに、最近は荒夜の者が前より攻撃的になり、何かが可笑しいと囁かれた矢先の出来事に私は動揺を隠せずにいた。


   そこに現れた謎の男の子、ネルと名乗る彼の発言にまた動揺し、思わず間抜けな声を出してしまったのだ。





   ──────────────────





   右目を伸ばした前髪で隠し、暖かそうなニット帽を被り、深海色の瞳で真っ直ぐ私を見つめる彼は言う。


「そうだな、名はネル。月深の───」


「旦那様?違う!君がお兄とどういう関係かをきいてるの!」


   唖然としていた私は我を取り戻し、私が思う本題に戻そうと奮闘する。しかし、余裕めいてるというか眠たそうな彼はそうそう簡単に思い通りに動いてくれない。


「だから、俺の嫁のお兄さ───」


「ストーップ!その流れやめて。今すぐに」


「ふー。なら本題に入ろうか。お前を連れていく」


   表情一つ変えず、やはり彼は余裕そうに告げる。私の訳の分からなくなっている心境とは対照的で、しかし彼の眠たそうな顔を見ると怒りはどこへやら。


「完全に君のペースだね」


   落ち着いて返したが最早これは諦めが大半である。と同時にある覚悟が決まったが故の胸をなでおろす一言。


「力づくでも連れいていく」


   そうくると思ったからこその覚悟をしなければならなかった言わば妥協からきた気持ちの切り替え。


   彼が何者かは知らないが、というか全く教えてもらえなかったが、やるしかない。私はただのか弱い女の子じゃない。


   私はパーカーの袖に隠れていた金のリングを手首から外す。


「お兄の許可がでていても、私は嫌ったら嫌なの」


   至極淡々と告げるも、これから始まるであろう波乱の幕開けに心なしか胸が踊る。


「ってことで、逃げる!!」


   ピンッ…と金の腕輪を弾くとリングは宙を舞い、自然と彼の視線を吸い取る。その瞬間を見計らったかのように、リングは大きくその輪を広げ、私を覆い尽くした。


   空間移動。これで何度か兄から逃げたことがある。が、これはあくまで目くらまし。ただの時間稼ぎに過ぎない。私は、兄の家から数キロ離れた学校の地を踏んだ。




   その頃、ネルは唐紅月深が目の前から消えたが動揺せず、ただ肩を落としていた。


「まぁ、お前ならそうするよな」


   落ち着いた声色の中には哀愁を漂わせる、何かがあった。




   住宅街から少し離れれば橋がかけられた河川へ出る。河を挟んだ向こう岸にそびえ立つ山々の麓には数軒の軒並みがひっそりとそこにある。橋を渡り終えた私は隠れ家である目的地へ向けその足を止めることなくかけていく。


   こんなことをしても意味がないことは分かっている。彼が兄について知っている可能性は大きく、彼から逃げている場合ではない。しかし、嫁だのついてこいなどと言われてほいほい付いていけるほど、のみこみがよくないのだ。


   辺り一面木々が覆うと私は漸くその足を緩めた。ここは人が寄り付かない広葉常緑樹の垣のある小さな社が立つ。人が寄り付かないと言っても主に大人が寄り付かない場所だ。子どもたちにとってここは秘密基地。私も兄に連れられ、小さい頃から遊び場としてきた庭みたいなもの。


   ここならどんな追っ手が来ようと、まく自信がある。とりあえず様子を伺って…。そう思案したところで私は眉をひそめた。


   次の瞬間、頭上で枯葉が舞ったかと思うと、突風が煽り、私を中心として旋回する。視界が狭まるのを恐れた私は風をやませるため逆向きの旋風を大太刀一振で起こす。ばふんっと円状に風が収束しはけると、粉塵が舞い、草花を押し倒す。


   再び訪れる静寂にピンッと張り詰めた空気が混じる。


   ───刹那、前方から地を裂く突風が私目掛けて疾風し、眼前で上昇気流へと機転する。ぶわっ───と肌を叩きつける風があまりに強く、片足が浮きかける。


   飛ばされる。そう思うと同時に地を勢いよく蹴り、上昇気流に身を委ね、一気に舞い上がる。無造作に空中へ放り出され、木々の上へ来ると視界が広がった。辺りを見回すも彼の姿はない。


「どこに───」


   言うやいなや、背後に感じる気配に唇をかんだ。振り向き際に斬撃をくらわそうと反転する。と、


「鬼ごっこでもしたいのか」


   至近距離で彼の瞳に見つめられ、不意をつかれた私は間抜けな声を出し落下していく。


   急いで大勢を整えようとするが、それよりも早く彼に抱き抱えられ枝の上に着地した。


「もー!分かった。今から鬼ごっこ開始にしよ。今のは不意打ちってことで無効」


   私は彼の腕から逃れるために無茶苦茶なことを言い、何とかこの場をやり過ごそうとする。不意打ちでなければ、絶対に捕まらない。鬼ごっこなら尚のこと!


   彼は冗談半分で言ったことを本気にされ、一瞬驚いたのか瞬き二つし、失笑した。そして不敵にもこう告げた。


「へぇ。俺と鬼ごっこね。いい機会だ、月深の無知を一つ後悔させてやるよ」








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る