ひとくちロマンス
春瀬なな
第1話
ここは、アンティーク調のオシャレカフェ「HITOMEBORE」。
ひとめぼれ、だなんてマセた名前にしたもんだ。
「いらっしゃっせー」
カランカランとドアが鳴り、市也(いちや)は店員らしく返事をした。
「コレ!」
「痛っ!・・・なんだよ、店長」
「その、寿司屋みたいな言い方ダメ!
女性客も多いカフェなんだから、もう少し丁寧に、優雅に」
市也は、カウンターの裏でコッソリ叩かれた太ももを、軽くさすった。
はぁ、知ってますよ、どうせ俺にはカフェの店員なんざむいてねー
どっかのガソリンスタンドか、それこそ寿司屋にでもいた方がまだ様になる。
でも、仕方ねぇだろ。だって、店長の従兄弟なんだからよ。
「いらっしゃいませ、お決まりですか?」
従兄弟の店長が、近づいてくる女性客に微笑む。ジェントルマンと言えばいいのか、カフェにぴったりな穏やかな男だ。
「ホットチョコレートモカ、普通サイズで一つ」
春らしいベージュのトレンチコートを羽織った女性が、レジ前でメニューの表を指差した。
シンプルなフレンチネイルで、細い指が飾られているのを、市也は横目で見た。
茶髪をくるくると巻いているし、長いまつげはしっかり上を向いている。
おしゃれな見た目のわりにケバケバしくなく、落ち着きある美しさに、市也の動きが停止した。
「・・・ホットチョコレートモカ、Mで一つお願いします・・・市也、チョコレートモカ!」
「あ、うす」
店長の声に、市也ははっと我に返った。
無意識に、市也の手がいつもより、チョコレートソースを多めにかける。コップのぎりぎりまで、ミルクも注いだ。
「お待たせしました」
市也は、カウンター席に座った女性に、丁寧にカップを差し出す。
「熱いんで、気をつけて下さい」
「ありがとうございます」
女性はキレイな指で、コップを受け取った。
受け取り際にふと触れた手が、無性に気になってしまう。
「・・・チョコレート、好きなんすか?」
市也の問いに、女性は飲もうとした手を止めると、微笑んだ。
「好きです」
「・・・うまいっすよね。あ、あそこにある、クリームティラミスなんかとも相性抜群なんで、良ければ今度。」
「・・・有り難うございます。・・・ね、お兄さん、こないだ杉の木大の入学式にいなかった?」
「え」
もちろん、いた。だって、俺は二週間前に、そこの学生になったのだから。
「いましたけど・・・」
「やっぱり」
女性はそう言って笑うと、モカを一口すすった。
「私も、今年入学したの。あなた、入学早々目立ってたから、覚えてる」
「・・・え」
入学式、何かしたっけ。
というか、うちの生徒なんだ。
「・・・俺、何かしたっけ?
」
「声が、大きくて」
女性はそう言うと、くすっと笑う。
「え?」
市也は一言の答えに、口をぽかんと開けた。
「私が、音楽聴いてた横で友達と騒いでたでしょ。覚えてないと思うけど・・・
あまりに声大きかったせいか・・・
あなたの声しか、耳に入ってこなかったの」
「・・・あー・・・まじか。ごめん」
何と答えればよいのやら、とりあえず謝っておく。市也の謝罪に、女性はまた笑って首を振った。
「何か、面白かったから全然いいよ。・・・ここで、働いてるんだね」
「まーな。場違いとか、思わないでよ?ここの店長、従兄弟のにーちゃんなんだ」
ちらりと店長を見ると、意味あり気な笑みを返してくる。そんなに忙しくないし、空気を読んでくれているらしい。
「へー、そうなんだ。私、ここすごく好き。また来るから」
「あ、ホント?良かった、待ってるよ」
もっとツンとしているか、話しにくい年上かと思ったら、そうでもないらしい。
「コーヒー類が多いんだね、やっぱり。チョコレート系も増やしてって、店長さんに言っておいてよ」
「いやいや、俺そんな権力ないから」
市也は笑ったが、その日彼女が帰ってから、初めて自主残業をしたのだった。
「新作、開発させてほしいんだけど!」
その市也の一言が、閉店後に店長を驚かせた。
「どうした、どうした」
「ここ、ひろ兄の店だろ?・・・ほら、なんつーかチェーン店とかじゃないから、商品もひろ兄が考えてたりすんじゃないの?」
店長・・・従兄弟の八宏(やひろ)は、ポカンと開けていた口で、今度は笑い出した。
「・・・必死だな、ボク」
「ボクじゃねーし・・・」
「そーか、そーか・・・」
八宏は、自分より少し低い市也の頭をぐしゃっとなでて、一言。
「で、彼女、何が好きなんだって?」
カランカランカラン・・・
「いらっしゃっせー」
たった数日で、お店のポップには、手書きメニューが掲載された。
「あ、いたいた。お疲れ様」
彼女は、市也を見つけると目配せしながら入ってきた。
「いらっしゃい」
「今日は、もう授業終わったんだ。そっちは?」
「俺も、もー終わった」
普通の会話が、妙にドギマギする。かっこわりいな、俺。なんて、思ってみたりもする。
「今日は、何にしようかな」
彼女が、細い腕をカウンターにかけてきた。
「あ、ちょっと待った!・・・オススメ、あるんだ」
「本当?」
市也は手書きメニューを持ってきた。
八宏はそれを横目に、微笑ましそうにコーヒーを炒る。
「これ、俺がこないだ、店長と開発したんだよ!」
「えっ、うそ、どれどれ?」
彼女は市也が見せているメニューを覗きこんだ。ふわっと髪が落ちて顔に影をつくる。
なんだか、ほんのりローズの香りが鼻をくすぐる。・・・なるほど、これが春の香りってやつか。
「ストロベリーチョコレートラテ?・・・すごい美味しそう!」
彼女は嬉しそうに読み上げると、パッと顔をあげた。
「決めた、今日はこれね。しかもLサイズでお願いしちゃう」
メニューの文字を指さした爪は、ネイルが新調されていた。
白地に、ピンクの小さなハートが細かく描いてある。
「かしこまりました」
「開発しちゃうなんて、本当すごいんだね!しかも、完全に私の好み」
彼女の微笑みは、落ち着いたカフェの雰囲気に、よくマッチしていて市也の心を和ませた。
「市也、作って来てくれるか。代わりに、お会計するから」
先客にコーヒーを出し終えた八宏は、市也に場所を譲った。
「うっス」
「返事は、ハイでしょうが。・・・まったく」
市也がうきうきと新作作りを始めたことを確認すると、八宏はカウンター上で身を低くして、彼女にだけ聞こえる声で伝えた。
「あれ、君のためにあいつが考案したんだ。頼んでくれて、ありがとう」
「・・・え?」
「まぁ、あいつの気持ちも受け取ってやってよ。春らしい味がすると思うからさ」
飲み込めない、驚き顔の彼女に、八宏はわざとらしく片目をつぶってみせた。
「お待たせしましたー!ストロベリーチョコレートラテです」
なぜかレジで立ち尽くしていた彼女は、少し慌てたようにカウンターへ座った。
「はい、熱いから気をつけて」
「・・・ありがとう」
気のせいか、彼女の目は伏し目がちな頬は桜色が浮かんでいる。
「・・・どう?」
「・・・」
一口飲んで、彼女はコップを置いた。
なんだか胃がざわざと緊張して、市也は次の言葉を待った。
「・・・美味しい。苺の甘酸っぱさと、チョコのとろける甘ーい味がする。・・・春の味ってとこかな」
まあ、春の味はその通り。俺の気持ちが、全くそれだ。と、市也は思った。
「今まで、飲んだことない味がするの。・・・」
そこまで言うと、彼女はカウンターに無造作に置いていた、市也の手を取った。
「ねえ。バイト終わるまで待っててもいい?」
「えっ」
全身の細胞が、いっきに体内を飛び跳ねた。それってつまり、どういうことだろう。まさか、そんな言葉がくるなんて。
「・・・ごめん、迷惑?」
「・・・あ、いや、全然!なんかびっくりしちゃってさ。
あと40分くらいであがるけど大丈夫?」
「・・・うん、ここで待ってるね」
チョコレートって、人の中の何かまで、溶かす効能でもあるのだろうか。なんて、市也は嬉々とした気持ちの中でこっそり思った。
「夕飯、おごるよ」
市也は言った。
「・・・ううん、このラテのお返しさせて」
「お返しって・・・ちゃんと、お金もらったんだし」
「そうじゃなくて」
彼女の桜色の頬は、梅色くらいに更に色づいた。それにつられるように、市也の顔も火照った。
「この気持ちに、お返しさせてよ」
言いにくそうに小声で、伏せていた目は上目遣いであげられる。
「え、ちょっと、なんでそれー・・・」
市也は、はっと八宏を振り返った。彼はその視線には気づかないふりをしているのか、はたまた本当に気がついていないのか、お客さんに対応していた。
「・・・まあ、とりあえず・・・あれだね。夜桜でも、見にいこっか」
市也がそう言うと、彼女は照れたように微笑んで、また一口すすった。
春のカフェには、チョコレートの甘みが広がって、これから苺と混ざってピンク色に染まって行く。
そんな、予感がした。
ひとくちロマンス 春瀬なな @SARAN430
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