よくできた青春

@8ek2d

よくできた青春

 青春は、義務か?

 アクティブに謳歌しにいかなければならないものなのか?

 普通に学生やってたら向こうから付いてくるもんじゃないのか?

 普通って、なんだ?

 漫画やアニメに出てくる「青春」ってのはハードルが高すぎるように思える。

 例えば、君が好きな作品をひとつ思い描いて欲しい。さて、君はそんな青春を過ごしているか、または過ごしてきたか?

 なんだかどうしようもない絶望感を浴びせられた気分にならないか?

 そう、それが正常。今の君の胸懐を人類はスタンダードにするべきだ。

 結局、創作の世界は作者の理想の塊なんだ。その辺で拾ってきた、ささくれだらけの木片を彫刻みたいに削ったり、鑢で磨いたりしてつるぴかの木の球に見せている。

 つまり、その過程が必要なんだ。最初から完璧な球体なんて存在しないってことだよ。

 愛おしい理想をショーケースの中に入れて、一日中鑑賞していたい。釣り合ってない夢を見てみたい。

 ああ、なんてよくできた青春なんだ。



 原稿用紙上の話である。

 朧だった感覚が、次第にそれを取り戻していく。

 窓からの朱い一閃を受けて目を覚ました。

 どうやら寝てしまっていたようだ。文庫本を広げたまま机に突っ伏していたのが証拠だ。

 ふいに涎が口からこぼれそうになって、はっと身体を起こした。咄嗟に口元をぬぐい、そして湿った手の甲をじっと見つめる。

 また、視界が眩んだ。

 太陽から輻射された光が雲の流れに沿って明滅している。

 それはまるでカメラのフラッシュのようで、イラジエーションみたく視界が滲んだ。

 それから、精気が抜けたようにしばらくぼうっとしていた。瞬きをするのも忘れて、ただ一点を見つめていた。なにかを思考したくなかった。

 やがて脳もはっきりとしてきて、やっと思考回路のスイッチが入った。あ、と思わず声を漏らした。

「ああ、ここ、部室か」

 今いる場所や時間については短絡的でいたので、自分の状況についてやっと把握したところだった。

 そう、今自分がいるのは文芸部の部室で、時刻は――――夕方くらい。整理完了。

 とりあえずかたまった身体をほぐそうと、上体を捻ったところ、脚がさっきまで突っ伏していた机の角にぶつかった。

 鈍痛を覚えるまでもなく、机からひらりと舞い落ちた一枚の原稿用紙の方に意識がいった。

「げっ」

 その瞬間、すべてを思い出した。

 眉をしかめて足の上に落ちた原稿用紙を拾い上げる。それはまだ書きかけで、ほとんど白紙に近いものだった。

 それは、彼女からの宿題だった。言われていたのだ。短編でもなんでもいいからひとつ作品を仕上げてこい、と。

 時間に余裕がなかった自分は、もちろん巧みな文章なんて書けるはずもなく、こうして既存の作品を参考にしながらあれだこれだと苦悩するはめ――しかもまだなにも書けていない――になっていた。

 とにかく、題材を見つけなければ。

 と、頭を抱えていたところに、一筋の光が差し込む。

「眩しっ」

 朱くて昏い閃光がまたもや弾けた。太陽という名のレンズは、この部室を切り取るかのように自分を含んだ景色を写真に収めた。

 ――――ああ、そうだ。

 思いついてしまった。この窮地を打破する方法を。

 胸の中で小さく笑った。インスピレーションが湧いて溢れ出ている。

 これが作家というものなのか。

 机の隅に置いてあったまだ一、二回しか使われていないような真新しい消しゴムを手に取り、書きかけだった文章を全部まっさらにした。夕陽の色が消しゴムに染まっていった。

 そして好物が夕飯に出てきたときみたいに――――

 期待、希望、そわそわ。

 無心に筆を進めるのであった。

 太陽は静かに沈んでいった。



 パソコン上のワードの中の話である。

 私は、一通り読み終えると顔をしかめた。そして、ゴミをゴミ箱に入れる感覚でそれを雑に机に叩きつけた。

「で、持ってきたのがこれってわけ?」

「そうさ。どうだ、完璧だろう? 我ながらあのときの自分は冴えてたと思う」

 そう痛い豪語をしているのは、文芸部の私以外の唯一の部員である男子生徒だ。

 ちなみに容姿の方は全く冴えていない。

「なぜかって、直前に起きたことをそのまま書いたからな。特に内容が思いつかなくて焦ってる心理描写なんて超リアルだよ」

「君、これ面白いと思ってる?」

 冷たい視線を突き刺すように言い放った私の言葉を彼は無視して話を続けた。「タイトルは――――『夕陽に沈む』かな」

 呆れて、ため息しか出ない。コイツにもわかるように長嘆息しても、意味は成さなかった。

 しかし、馬鹿な彼でもたまに鋭く痛いとこを突いてくる。

「ところでお前、どっかに応募するとか言ってた作品は順調なのか?」

 身体がピクッと跳ね、喟然としていた態度から一転、決まりが悪そうに私は唇を噛んだ。

 すると彼はたちまちまるでかわいそうな子どもを見るような眼になって――――

「お前、まさか――――あんなに豪語してたのにさっぱりなのか?」

 虚勢な豪語をしてたのは君もだろ。

 そう反論したかったが、言い返せる余地もなかったので鬱憤は心に溜めておくしかなく、ただ彼を睨みつけるだけだった。

 すると彼は突然笑い出し、嘲笑するかのようにこう言った。

「なんだ、お前人のこと言えないじゃん。なんなら俺が一緒に考えてやろうか?」

「いいよ、べつに」

「まあまあ、そう言わずに」

 彼は勝手に原稿用紙を棚から引っ張り出して黙々となにかを書きはじめた。

「ちょっと、なにしてんの。しなくていいって。あと君、書くの苦手なんじゃなかったの?」

「時間に余裕があるときはスラスラと」揶揄するような表情で彼は私を見下ろしていた。

 うざったらしい。本当に。

 どうして彼はそんなに余裕があるの?

 どうして彼は文章が思いつくの?

 どうして彼はこんなにも楽しそうにしてるの?


 どうして私は彼にできることができないの?


 ――――あっ。

 いけない、自分の世界に入り過ぎた。

 私は軽く深呼吸をして、沈静させた。

 なにも彼と比べることなんてない。私は私を貫くだけだ。

 焦点が合ってない私を余所にして、ぶっきらぼうに彼は言った。

「あ、消しゴム忘れた」

 彼は手書き派のはずなのに、どうしてかこう抜けてることが多々ある。

 私は仕方なさそうに手を差し伸べた。

「ん、貸したげる」

「え、いいのか? これまだ一回も使ってない新品じゃん」

「新品か中古かなんて私は気にしない」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 彼は消しゴムをつまむように取って原稿用紙の上で上下に擦った。彼が綴った文字たちはそれに吸収されていった。

 少しだけ黒ずんで、それから丁寧にそれを机に置いた。

 ここでしか見ることのできない真剣な彼の面持だった。

 私は何も考えずその顔を眺めていた。


 そうしてどれだけの時間が経ったのであろうか。

 とは言っても、時刻的にはまだ正午過ぎ辺りである。

 実は、今日は土曜日。休日なのだ。

 私自身は一切手を動かせていない。私は書き物はパソコンでやるタイプなのだが、目の前にあるこの機械は先ほどから電力を無駄に発散しているだけだった、

 彼が一生懸命に書いている様子をずっと見つめていた。

 ここからでは内容は読めないが、私は彼の顔を見ているだけで楽しかった。

 これが、私の素直な気持ち。

 こんな地の文でしか言えないようなことだ。

 頬杖をついて、くすりと笑んだ。

 すると、突拍子に彼は原稿用紙を掲げて、満足そうな表情を浮かべていた。

「できた」

「読ませてよ」

「プロローグだけ」

「なんで? 全部読ませてよ」

「だからプロローグだけだってば」

「やだ。全部読ませなさい――――ていうか、それ私のために書いてたんじゃなかったっけ?」

「それはそうなんだけど、だから、プロローグしか書けてないんだって」

 え?

「え? ――――遅すぎるでしょ。何してたの今まで」

「それはお前も一緒だろ。ずっと人の顔じろじろ見やがって」

「――――っ、馬鹿じゃないの? 私が見てたのは君が持ってるその原稿用紙よ」

 やっぱり、侮れない。変に鋭い彼の対応にはいつも困らせる。

「もういいわ、プロローグだけでもいいからさっさと見せなさい」

 私は乱暴に彼から原稿用紙を奪い取った。



 彼女は、まるで原稿用紙みたいだ。

 普段はまっさらな、ただの升目が書いてある紙だし、何もしなければまっさらなままだ。

 でも、彼女を一度手にとって読んでみると、そこには文字数オーバーの名作が書かれているんだ。

 名作と言っても夏目漱石とかシェイクスピアとかそういうんじゃない。

 外見だけじゃわからない『彼女』という多種多様な作品を裏付ける伏線を知れば、きっと誰もがそのことをわかってくれるはずだ。


 追伸

 月が綺麗ですね。



「なにこれ」

 なんなんだこの文章は。

 なんというか、恥ずかし過ぎる。

 彼はずっと黙ったままだった。

 なにも言ってくれない。

 ねえ、私は慚死しそうなくらいだよ。

 なんなの。

「この『月が綺麗ですね』ってなによ。唐突過ぎるよ。てか夏目漱石じゃん」

 彼はまだ沈黙を守っている。既に慚死したのか?

 物音一つしない、膠着的な暫時。

 私は居ても立っても居られなくなった。

「ああ、もういい。こんなのはボツよ。とにかく違うのを明日までに仕上げてきなさい。短編でもなんでもいいから」

 机を力強く叩いて椅子にかけていた鞄を手に取った。

「私もう帰る」

 焦っていたんだと思う。

 混乱していたのだと思う。

 それでも、私はどうすることもできなかった。したくなかった。

 最初からそういう関係なんだということはわかっていた。それなのに。

 結論を出すことにとてつもない恐怖を感じていた。

 そして、私が部室を出ようとしたとき、彼はついに沈黙を破り、立ち上がって口を開いた。



 青春は、義務なんかじゃなかった。

 だってそれはあまりにも理不尽過ぎるから。

 青春にもピークがあるんだと思う。

 太陽みたいに昇っていって、ある一点を超えるともう沈んでいくだけ。

 でも、沈むことを知らずに、白夜のような人だっている。人それぞれだっていうこと。

 彼女は、どちらかというと白夜に近かったのかもしれない。

 そう思っているのは恐らく自分自身だけなんだけど、まあきっと彼女はそれで満足してるだろう。

 下ばっか見てる自分と、常に上を見上げている彼女。

 どちらが凄いかなんて、言わなくても瞭然だ。

 彼女はなんて思っているのかな。

 僕のこと、ちゃんと見てくれているだろうか?



 彼女に見せたあの話を書き上げたとき、自分はまだ僕だった。

 今よりはまだ明るくて、純粋だった頃。

 10歳のときの話だ。


 原稿用紙上の話である。


 助けてください。

 書くことが思いつきません。

 こうしてる間にも、時計のはりは進んでいきます。

 せいげん時間はあと十五分。

 それまでに書き上げないと国語の先生におこられてしまいます。

 ああ、どうしよう。

 こんなにもなやんでいるのに、これっぽっちもひらめきがありません。

 頭をひねりすぎて一回転しそうです。

 あっ。

 となりの席の女の子が消しゴムを落としました。

 拾った方がいいですか。

 意を決してぼくはゆかに横たわった消しゴムに手をのばしました。

 女の子の消しゴムはまだ新品でした。

 ゆかのほこりがじゅん白のその身にこびりついて、少し黒ずんでいました。

 ぼうとしたかなしさを覚えて、ふとその子の顔を見てみました。

 なんでかわからないけど、女の子はとてもおこっていました。

 ずっと下を向いていて、教科書とにらみ合っています。どうやら消しゴムを落としたことにも気づいてないのかもしれません。

 ぼくはそっとつくえのすみに消しゴムを戻しておきました。

 すると、女の子はぼくのことに気がつきました。

 はじめて、女の子の顔を正面から見ました。

 それは、とても不思議なものでした。

 おこっていたと思っていたそのひとみは、実はぜんぜんいかりの感じょうとは違っていて、かなしい、深くて重いものでした。

 まるでその消しゴムのように。

 女の子はぼくと消しゴムを交ごに見て、それからかすかな声で「ありがと」と言いました。

 そのとき見せた優しそうな顔は、ぼくの心に深くしみつきました。

 もっと。

 もっと。

 もっと彼女に近づきたい。

 ぼくはその感じょうが抑えら――――――――――――――――



 原稿用紙は、ここで破かれている。

「ぼく」は結局この作文は提出していない。

 まあ、そりゃそうか。

 こんなの、提出できるわけがなかった。

「ぼく」が僕を捨てたのはこの後の話だ。

 でも、原稿用紙がないならどうしようもできない。説明はできないね。



 彼女が気づかなかった二枚目の原稿用紙。


 でも、その名作を上書きしてしまったのは自分かもしれない。

 彼女は自分と出会ってから、どこかが変わった。

 それは自分が後から植え付けたものなのか。

 それとももともと彼女の心の底にあったものを自分が引き出しただけなのか。

 ねえ、教えてよ。

 どう、思ってるの?

 君は、僕のことどう思ってるの?

 教えて。

 教えて。

 教えて。

 お願い、教えて。

 君なしでは僕はもう生きてられない。


 だからこそ、君を奪ってみせようと思う。



 れなくなってしまいました。

 ても、作文も書かなくてはいけません。

 のこりの時間はあと五分。

 どうやっても間に合わないので、もうあきらめることにしました。

 そんなことはもうどうだっていいんです。

 ぼくは、彼女とお友だちになろうと思います。

 彼女とのせっ点を作るためのアプローチを考えることにするので、今日の所はこの辺にしておきます。



 今日の成果。

 さっそく彼女に話しかけてみました。最初は彼女はおどろいていましたが、あん外ふつうに話すことができました。

 どうやら、彼女は積極的でないだけで来るものはこばまない性格のようです。

 いきなりぐいぐい行っても相手に悪いと思ったのでほどほどにしておきました。


 今日の成果。

 給食の時間に彼女としゃべることに成功しました。どうやら好きな食べ物はあげパンらしいです。


 今日の成果。

 今日はいつもより長く彼女と話ができた気がします。こんな時間がえい遠に続けばいいのに。


 今日の成果。

 彼女はあまり運動が得意ではなさそうです。体育のじゅ業ではいつもつまらなそうな顔をしています。


 今日の成果。

 彼女のしゅ味は読書のようです。ちなみに好きな作家は夏目そう石だとか。

 ぼくも買って読んでみようと思います。


 今日の成果。

 なんと、今日は彼女の方からぼくに話しかけてきてくれました。これはとても大きな一歩です。

 夏目漱石の本をかしてくれるそうです。彼女と共通の話題ができるのはとてもうれしいです。


 今日の成果。

 今日は彼女は学校に来ませんでした。どうやらかぜをひいてしまったみたいです。

 明日、彼女の家にお見まいに行ってきます。

 そして、そろそろ聞いてみようと思います。

「ぼくとお友だちになってくれますか?」って。


 今日成果

 どういうこと?

「君じゃ友だちはいやだ」ってなに?

 予定通り彼女の家に行きました

 彼女と少し話をしてそれからぼくは言いました「ぼくとお友だちになってくれますか?」ってそれはいきなりだったかもしれないけどでもきっといい答えが返ってくると思ってたでも彼女は君じゃ友だちはいやだって言ったよねなんで? ぼくのなにがいけないのどうしたら受け入れてくれるのいったいなにが足らないの「君じゃ友だちはいやだ」

 君じゃ友だちはいやだ君じゃ友だちはいやだ君じゃ友だちはいやだ

 君じゃ友だちはいやだ

 君じゃ友だちはいやだ

 君じゃ友だちはいやだ。

 君じゃ友だちはいやだ

 君じゃ友だちはいやだ

 君じや友はいや

 君じゃ友だちはいやだ


 今日の成果。

 彼女は今日も学校を休みました。

 ただ無事をいのるだけです。

 ぼくじゃためだと言うのなら、ぼくはぼくをやめるよ。

 彼女ののぞみならなんでもやってみせる。

 たとえ太陽がしずんでいったとしても。



 パソコン上のワードの中の話である。

 やっとの思いで彼が言った言葉。

 それはの真摯な表情に似ていた。


「好きだ」


 すごく重い言葉。色んなものを背負いこんでいる素敵な言葉。

 あのとき落とした消しゴムから今この瞬間までの全てが詰まった言葉。

 たったの三文字に彼は何年も煩悶し続けていた。

 それは私も同じだった。だからこそすぐに返事をしなければならないと思った。

 でも、不思議なことに身体が硬直してしまっていた。声が出ない。

 嗚咽のように絞り出した声は、言語になっていなかった。

 どうして。

 ここまできてどうしてそうなる。

 私は本当に馬鹿だ。なによりも馬鹿だ。

 どうしても返事をしなければいけないのに、それができない。彼に背を向けたまま、一体いつまで逃避しているつもりなんだ。

 あのときはできたんだ。でもそれは抽象的だったから。

 彼にはきちんと伝わってない。

 私の本心を伝えなければならない。

 私はわけもわからず泣いていた。泣き声はすんなりと出せていた。

 その場に崩れ込んで、広がっていく涙の水たまりを見ているだけだった。

 情けない。

 でも、私もいつまでも子供のままじゃいられない。

 彼に嫌われたくないがために逡巡するのはもうやめよう。毅然とした態度でいれば彼はちゃんと応えてくれるはずだ。

 力を振り絞って机に転がっていた鉛筆を手に取った。

 声が出なくても、字なら書ける。

 10歳のときから大事に抱いてきた心の底からの気持ちを原稿用紙に綴ろうとした。

 そのときだった。

 首元に違和感を覚えた。

 冷たい鎖のようななにかが巻きついている。

 それは、彼の指だった。

 一気に力が込められる。

 そう、彼は私の首を絞めていた。

 彼も泣いていた。

 私も泣いている。

 慟哭し合って、全てを悟った。だからこそ最期に――――

 ふっと、彼に微笑みを見せてあげた。

 少し首の圧が軽くなった気がした。

 でもそれは彼が手を離したわけではない。

 私の意識がなくなったからだった。



 太陽は静かに沈んでいった。

 もう部室にはなにも残っていなかった。

 あるのは、消しゴム。夕陽の色に染まった、消しゴム。

 それから、原稿用紙。彼女からの宿題をやり遂げた自分の傑作だ。これも夕陽の色に染まっている。

 そして、横たわったままの彼女。

 彼女の制服も夕陽の色に染まっている。

 彼女はかなりの吐血をした。辺りのものはみんな汚れてしまった。そう、まるで夕陽の色みたいに。

 自分は数時間も虚空を見つめていた。作品を書き上げた瞬間、すべてを後悔していた。

 最初から間違っていたんだ。10歳のあのときからなにもかもが狂っていた。

 今更気づいたってどうしようもない。全部、終わってしまったんだ。

 全部。

 全部。

 全部。

 僕は彼女をそっと撫でてやった。とても愛おしい、その身体を。


 そのとき、彼女がピクッと痙攣をはじめた。


 それから掠れた声で、でも確かにそう言った。

「私も」

 体の内側から、ものすごい勢いで沸き立ってくるものを感じた。

 諦めるのは、まだ早かったんだ。

 そう、やり直せる。

 は彼女をぎゅっと抱きしめた。

 彼女は呼吸をしていた。優しい息が僕の肩にかかって、甘く染みていった。

 僕はまた泣いてしまっていた。

 みっともないくらいに泣いていた。

 でも、それぐらいが丁度いいのだろう。

 ここで、一回リセットしよう。それで、今度は二人の物語を一緒に紡いでいこう。

 これからは彼女を大切にする。それだけを頭の中で反芻して、抱きしめる力を強めていった。

 僕たちは、声を上げながら笑っていた。

 ただ、ひたすらに幸せを求めて。

 ああ、なんてよくできた青春なんだろう。

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