第二十四節 ナイドルの試練 四

 プリドルは本来、剣を持たない。ゆえに、ヴィルジェーニアス役の攻撃はすべてアステラで形成した魔法の矢で表現される。目の前のヴィルジェーニアスは剣を持ってはいるが、先ほどの宣言通り、直接レグルスと切り結びはしないらしい。そこは、台本のほうに合わせてくれるようだ。

 そうでなければ、困る。


 レグルスは正直なところ、振り付けが頭に入りきっていない。ソール・アステラの役のブランヴァを演じるのは初めてなのだから当然ではある。ふう曜日ごとの夜、〝エルトファルの修行〟でブランヴァを完璧に演じてみせたデネボラのすさまじさが改めてわかった。


『陽の民は地位にあぐらをかき、研鑽などとうに忘れたものと思っていましたが……なかなか気骨のある者も残っていたのですね』


 レグルスの心臓が一度、大きく跳ねた。今のは、台本にはないセリフだ。アステラ・ストーリアにおいては、台本にない言葉は決して口にしてはならないのに。ヴィルジェーニアスがどこまでルールを守るつもりなのかわからない。だが、相手がルールを破っても、こちらが破っていい道理はない。レグルスは無言を貫き通す。


『無口ですね。語るのは剣のみにて……ということでしょうか』


 また、台本にないセリフ。どうしても気が散ってしまう。振り付けが頭から飛んでしまいそうになる。


 突如、ヴィルジェーニアスがレグルスに向かって突進し、その右手首を掴んだ。今度は、台本にない動きだ。混乱する間もなく、レグルスはヴィルジェーニアスによって立ち位置を強引に変えられた。


(あれ……?)


 腕を引っ張られたレグルスは、結果的に、正しいステップで正しい立ち位置についていた。おかげで、飛びかけた振り付けがスッと戻ってきた。

 ぱっ、と手を放されたと思ったら、ヴィルジェーニアスはもう離れた位置に飛び退っていた。


(おれが間違えそうになったのを、フォローしてくれた……のか?)

(集中しなさい、剣の主)


 ひときわ大きなアステラの矢が、ブランヴァレグルスめがけ放たれる。


(本番の最中に余計なことを考えてはいけません)


 誰のせいだと、と思いつつも、気を引き締め直す。この状況を切り抜けることこそが最優先だ。


『はあっ!』


 ブランヴァは自分を狙う矢を袈裟に斬ると、一気に距離を詰める。ヴィルジェーニアスは華麗なステップで連撃をかわす。剣を手に舞うたびにドレスの裾がふわりと翻り、夜空色の長い髪がなびく。


『せいっ!』


 ブランヴァは片手で持っていたブレードを両手に持ち替え、腰を入れて力強く振るう。ここは、大きな動きが連続する難しいパートだ。緊張と疲労で息が切れる。


 不意に、マルコの姿が脳裏に浮かんだ。


 第十班での練習のとき、マルコは苦もなくブランヴァ役をこなしているように見えた。自分で演じてみて、それは彼が上手いからなのだとはっきりわかった。イレーナも、一年生ながら素晴らしいとマルコを褒めていた。


 イレーナのことも思う。自分にも他人にも厳しいイレーナは、宣言通りヴィルジェーニアス役を勝ち取った。だが、ここにはいない。目の前にいる神が、イレーナの熱望した舞台に水を差した。アンサンブルで騒魔ぞうまを演じたマルコも、デネボラも、ユアンも、生徒みんなが望んだ舞台に水を差した。誰もが今日のために努力してきたのに。


 アステラ・ブレードを握る手に、自然と力がこもった。


『そろそろ終わりにしましょう。カノープスくんとも剣を交えてみたいですから』


 ヴィルジェーニアスは剣を天に掲げ、膨大な量のアステラを刀身に集め始めた。形成するのは無数の矢ではなく、巨大な魔力の塊。数で制せないならば圧倒的な一撃で粉砕すればいいと言わんばかりの、暴力的な大きさ。銀色の満月が地上近くまで落ちてきたかのようなまばゆさ。この巨大さでは、いかにブランヴァが凄腕といえど切り裂けない。真正面から受けてはひとたまりもないだろう。


 しかしブランヴァは一歩も退かない。危機の中にこそ、好機はある。


 この瞬間にブランヴァは自分の姿を光に変え、魔力の満月が放つ輝きに紛れて、ヴィルジェーニアスの視界から消えた、と、原典イコーナにはあり――ヴィルジェーニアスが原典に記されているのと同じ攻撃を仕掛けようとしていることからも、ブランヴァは真実、その通りに動いたのだろう。


 問題は、姿を光に変えると周囲からは見えなくなるという陽の民の特徴を、ストーリアでどうやって表現するかだ。演者は、純血の陽の民ではない。


 舞台の上なら、照明に頼れる。台本でも、舞台の明かりを落としたタイミングでブランヴァが退場し、入れ違いで登場するカノープスたちがヴィルジェーニアスに最後の一撃を見舞うという演出が指定されている。


 だが、ここは山の中の闘技場。演出用の舞台装置などひとつもない。夜空には星々が瞬き、月姫神げっきしんの魔力はあまりにも眩しい。舞台でするように、暗闇を利用して演じるのは不可能だ。


『うおおおおっ!』


 ブランヴァはアステラ・ブレードを振りかぶった。


 刀身が激しく光を放つ。緋色の光が、金色の月光とせめぎあう。周囲のすべてが、光に覆われていく。


 暗闇に身を隠すことができないのなら、まぶしさの中に身を隠すしかない――それが、三人が苦心の末に考えついた演出だった。


 だが、光の中でヴィルジェーニアスは目を見開き、ブランヴァを見つめている。次のセリフを口にしない。まだ、ヴィルジェーニアスからは、ブランヴァの姿が見えている。神を納得させるには、輝きが足りない――


 レグルスは全身全霊でアステラを放つ。ブレードから炎が噴き上がる。これ以上、光は強められない。体が熱を持ち始めている。自分の肌が焼けただれてしまいそうな気さえする。


 もう、限界だ。


(間違ってるのか? このやり方じゃ、だめ、なのか……!?)


 視界が霞む。ふっ、と、力が抜けそうになる。


(大丈夫だ)


 静かな声が、心に響いた。


 光が、白く変わっていく。

 青と緑のアステラが、赤いアステラと混じって、白い光を生み出す。


(ユアンと、デネボラさんのアステラ……!)


 闘技場全体が、真っ白な光に満ち満ちていく。

 純白の光に包まれたヴィルジェーニアスは、わずかに目を細めた。


『……あら?』


 ヴィルジェーニアスは、首を左右に振る。ブランヴァを見失ったのだ。

 少しずつ光が失せていく中、ブランヴァは背後に回り込み、ブレードを振り抜いた。炎の刃が地面を抉りながらほとばしる。想定外の位置からの攻撃を、ヴィルジェーニアスはその手の剣でいなした。

 だが一瞬、ひるんだ。


『でえええい!』


 気炎を上げてエルトファルが突撃する。すんでのところでヴィルジェーニアスは小盾を構え、攻撃を受け止めた。エルトファルはまたしても吹き飛ばされたが、ヴィルジェーニアスのほうも大きく体勢を崩した。


『今だっ!』


 エルトファルの叫びに呼応して、死角からカノープスが飛び出した。レイピアの鋭い切っ先が、ヴィルジェーニアスに迫る。


 その一撃がドレスの裾を裂くのが、決着の合図。


「なっ……!?」


 デネボラは驚愕した。レグルスも、ユアンもだ。


 避けられた。


 ヴィルジェーニアスは飛んだ。剣が届かない空中へと。


 三人が月を背にする女神を見上げたのは、きっとほんの一瞬だったのだろう。だが、その一瞬は、果てしなく長く感じられた。


 原典にも台本にも書かれていない発言や動きは、おそらく、ヴィルジェーニアスが本当にしたこと。

 空へと退いた神に対して、カノープスならどうするか?


「「飛べぇーッ!」」


 レグルスとユアンが叫ぶのと同時に、デネボラの背中にアステラが収束し、一つの形を成す――緑色に輝く、四枚の翅。

 カノープスは風に乗って夜空へと上昇していく。うすもえ色の軌跡を描きながら。


『やああぁーっ!』


 天高く突き上げられたカノープスのアステラ・ブレードは、ヴィルジェーニアスの頬をかすめ、夜空色の髪を飾るティアラを貫いた。銀の満月は音を立てて砕け散り、髪がぶわっとほどけて広がった。


 直後、カノープスの背中の翅が霧散し、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。


「デネボラさんっ!」


 レグルスはデネボラの落下地点に向かって走った。

 間に合わない。

 ぶつかる――と思ったその瞬間、デネボラの体が宙でふわりと弾んだ。落下するデネボラを、一瞬だけ、青白いルーナ・アステラの奔流が受け止めた。

 デネボラは無事、地面に降り立った。


 静寂があたりを包む。聞こえるのは、ナイドルたちの息切れだけ。


『見事です。実に見事でした、預言の騎士たちよ』


 ほどけた髪をそのままに、地上へと降りてきたヴィルジェーニアスは、


「見事でした、新時代のナイドルたちよ!」


 満ち足りた笑顔で、三人を称えた。


        ◆ ◆ ◆

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