第十九節 《月明の剣》 四
デネボラが力なくその場に膝をつくと、桜色のドレスの裾がふわりと床に広がった。
「誰よりも敬愛する父が、誰よりも頑なにあなたの夢を否定する」
ヴィルジェーニアスはデネボラの正面に回り込み、その顎を指先で軽く持ち上げる。
「それでも、諦めない。己を偽り、他人を蹴落とし、覇道を突き進む。実に美しく、苛烈な生き様」
その姿勢のまま、ヴィルジェーニアスはレグルスを見る。
「けれど、レグルスくん。女の子がナイドルになるのは、許されることでしょうか?」
「……っ」
レグルスは答えに詰まった。
思い浮かんだのは――「あんたたち、男でしょ」と、涙ながらに叫ぶシュルマの姿。女はナイドルになれないという前提ありきの叫びだ。
ならば、なぜ、デネボラはナイドル候補生としてティターニア学園に在籍できているのだろう?
レグルスは
しかしレグルスの中に根付いた常識は――男はナイドルになり、女はプリドルになるという当たり前の価値観は、レグルスの喉を詰まらせる。
デネボラの夢を否定したくなどないのに。
「……て、ない」
レグルスが何も言えずにいるうちに、デネボラが何事かを口にした。そして、アステラ・ブレードを握り直すと、果敢にもヴィルジェーニアスに斬りかかった。
「書いてないっ! ナイドルになれるのは男だけなんて、
絞り出した叫び声は震えている。それでも、ドレスの裾を翻しながら、デネボラはなお剣を振るった。
「ああ、格好良い」
片手の剣でデネボラの斬撃を容易く捌きながら、ヴィルジェーニアスはうっとりと呟く。
「やはりあなたは素敵です。あなたを入学させるよう、学園長を説得してよかった」
その言葉に、デネボラの剣が鈍った。
「あら、知らなかったんですね。学園長も、あなたの入学に反対していましたよ。あなたの父親と同じくね。私はあなたの入学を歓迎しましたよ。当たり前でしょう? 入試の成績、一番でしたしね」
試験には受かったのに、それも、一番で受かったのに、入学拒否。
レグルスが入学保留で済んだのは、あるいは譲歩の結果だったのか。アステラの炎には物を燃やす力などないとしても、もしレグルスのブレードが授業中に炎を放ったりしたら、混乱は必至だった。今、レグルスもデネボラもブレードについて何も言わないのは、目の前のヴィルジェーニアスの存在が、剣以上に常軌を逸しているからに過ぎない。
「女の子は守られるだけのお姫様にしかなれないなんて、そんな、この世界そのものよりも遥かに古い価値観に支配されているあなたたちが、哀れでならない」
「世界より、古い価値観……?」
意味不明だ。ヴィルジェーニアスは、レグルスたちの理解を超える言葉をわざと選んでいるようにすら思える。
「デネボラさん。あなたには私が必要です。私の導きなくして、あなたの夢は叶わない」
ヴィルジェーニアスはデネボラの胸を指差した。鋭く光る女神のルーナ・アステラが無数の棘となって、デネボラを狙う。その鋭く光るアステラの形に、レグルスは見覚えがあった。
「やめろっ! デネボラさんの心を操るな!」」
気がつくと、叫んでいた。
神々の祝日にユアンの家で視聴したストーリア〝王子の変身〟で見たそれと、ヴィルジェーニアスが作り出したアステラの形は、見間違えようがないほどに似ていた。
〝移り気な月の呪い〟――術者の生命力を相手の心の隙間に流し込み、強引に翻意させる術。ユアンの母セシリアが、かつて黒髪の女に受けたと言っていた呪い。
「デネボラさんの夢も志も、デネボラさんのものだ。神だからって、曲げるな!」
セシリアの心が呪いでどう曲げられたのか、その詳細までレグルスは知らない。だが、呪いのせいでセシリアが何年も苦しんだのは知っている。
「私がいたから、彼女はこの道を進むことができたんですよ。私に心を委ね帰依すれば、彼女は苦しみや迷いから解放される。私の導きに従うだけで、彼女の夢はやがて叶う。私はただ、才能溢れる若者に、夢への最短距離を示しているだけです」
「じゃあなんで、こんな衣装をデネボラさんに着せるんだ!」
ヴィルジェーニアスがデネボラのためにこしらえたのだろうドレスは、確かに似合っているし、美しい。だがこの衣装は、デネボラの表情を絶望の一色に塗りつぶした。舞台に立つ者の顔を曇らせる衣装など、醜悪に過ぎる。
「デネボラさんを導くのに、デネボラさんが歩んできた道を台無しにするのか!」
レグルスの
「剣の主よ。私を否定するというのなら、試練に打ち克ってごらんなさい。かつて預言の騎士がそうしたように!」
レグルスは両手でアステラ・ブレードを握り、デネボラを背にかばい立ちはだかった。
「デネボラさん、おれ、デネボラさんに教えてもらってなかったら、きっと再試験だって受からなかった。デネボラさんがいてくれてよかった」
「……レグルス、ボクは」
「何も話さなくていいです。おれ、誰にも言いません」
ヴィルジェーニアスの周囲で、再びアステラが渦を巻く。幾千もの光の矢が、レグルスとデネボラに向かって放たれる。
「はあっ!」
気炎を上げ、かけ声と共にブレードを振るった。ブレードは激しい火炎を放ち、神の矢を燃やし尽くす。
だが次の瞬間、突然ブレードが重たくなり、握った手ごと、ずしんと床に落ちた。
「な、なんだ!?」
いくら持ち上げようとしても、ブレードはまるで地面に根を張ったように動かない。
同時に、レグルスの全身を灼熱が襲う。観劇中に感じたのと同じ、体の内側から炎に焼かれているような、激烈な痛みだ。
「ぐううっ……!」
「レグルス!」
デネボラがレグルスを助け起こそうとしてくれるも、立ち上がれそうにない。
「なるほど。剣はあくまで、主の望みを叶えようと。ならば、私も応えましょう」
ヴィルジェーニアスは攻撃する手を止め、捨て置いていたはずの台本を引き寄せると、おもむろにページを開いた。
「……このセリフですね」
台本を消し去り、ヴィルジェーニアスは冷たい声で告げた。
『神に要求した己の傲慢さを悔いるがいい』
再び、ヴィルジェーニアスは無数の矢を作り出し、二人に向けて放った。レグルスは動けない。レグルスを支えるデネボラも動けない。
絶体絶命。
〝月明の剣〟でカノープスとブランヴァが陥ったのとまったく同じ危機が、二人を襲う。この瞬間、カノープスは死を覚悟したと
(台本通りの、セリフを、言ってた)
痛みの中で、レグルスはかすかに思考を巡らす。
(もし、この状況が、ストーリアをなぞっているなら)
神の怒りが、目前に迫る。
(来てくれるはず)
叫んだ。
「ユアン!」
青白い光が、閃いた。
ヴィルジェーニアスの矢は切り裂かれ、ことごとく粒子となって散った。
硬質な足音が、神殿の高い天井に反響している。誰かが、息を切らして走ってくる。
『あとで必ず追いつくと、そう言っただろう?』
白銀の鎧を纏った救い主の、ただひとつの瞳――すみれ色の右目。
死を覚悟したカノープスたちは、しかし、生き延びた。死地に一人残ったはずの仲間、サジェに救われたのだ。
『友を傷つける者は、たとえ神でも許さぬ』
ユアンは、波打つ刀身を持つ優美なアステラ・ブレードを、ヴィルジェーニアスに向けた。
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