第二節 苛烈なる銀色の炎
高く透明な冬の空に、昼の白い月が浮かんでいる。
武踊館での演目発表が終わり、生徒たちは寮に戻っていく。レグルスとユアンも、丘の上の寮へと向かっていた。
「レグルス、大丈夫か。うずくまっていたが」
「もう大丈夫だ。一瞬めちゃくちゃ熱くなったんだけど、すぐおさまった」
あの熱さを感じたのは、おそらく二度目。ユアンのアステラパシーが制御を失い、学園中を闇で包み込んだときと似ていた。だがあの時よりずっと熱く、痛かった。
「多分、誰かが学園長を操った……と思う」
「へっ!?」
大声をあげてしまったせいで、周囲の生徒たちの視線がレグルスに集中した。顔をユアンの耳元に近づけて、小声で問い返す。
「ど、どういうこと?」
「あの瞬間、アステラパシーと似た感覚があった。学園長は、自分では〝カノープスの旅立ち〟と言っているつもり……だったと思う。だが口は〝
ユアンが席から立ち上がっていたのは、アステラパシーと似た何かを感じたからか。レグルスを襲った熱と痛みも、ユアンが感じ取った何かに反応して生じたのだろうか。
「学園長にそんなことできる人、いるのかな」
「母様の不安が的中しているのかもしれない。純血の月の民が、この学園のどこかに……」
「その話、ボクも聞きたいな」
「ぬわっ!?」
背後からの声に驚き、レグルスは再び周囲の視線を集めてしまった。
「あはは、また『ぬわっ!?』って言われてしまったね」
腰よりも長い
「デ、デネボラさん!?」
ユアンがレグルスを見た。知り合いか、と言外に尋ねている。
「えっと……」
「おや。ボクのこと、彼に話していなかったのかい?」
「デネボラさんが、秘密って……」
言ってたから――と続けたら、秘密ではなくなってしまう。慌てて口をつぐんだ。
「ああ、そうだった。ボクのほうから秘密にしてくれって頼んでいたね」
デネボラはユアンの隣に位置取った。
「はじめまして、ユアン・アークトゥルス。ボクは二年、四九期のデネボラ・ストーン。よろしく」
「……よろしく」
ユアンの素っ気ない返事にデネボラは、
「つれないなあ」
と、肩をすくめてみせた。
「それで、学園長が演目を言わされたっていうのは?」
「……」
ユアンは明らかにデネボラを拒絶している。レグルスも、デネボラが割り込んできたことを奇妙だと感じた。レグルスとユアンは小声で話していた――その内容を聞き取るには、二人の会話に耳をそばだてていなければならなかったはずだ。
「俺の想像でしか、ないので」
「そうか。ねえレグルス、勉強熱心なキミなら〝月明の剣〟がどんなストーリアか知っているよね?」
「は、はい」
デネボラは素早く話題を変えた。
知っているなんていうレベルではない。〝月明の剣〟は、レグルスの祖母が最も気に入っていたストーリアだ。アステレヴィジョンで何度見たかわからないし、いくつかのバージョンを暗記してもいる。
「教えてもらってもいいかい? てっきり〝カノープスの旅立ち〟だと思っていたから、不勉強でね。キミも知ってるだろう、ユアン。レグルスはストーリアの造詣がすごく深いんだ」
「……存じてます」
二人の間の空気が冷たいのは、冬の寒さのせいばかりではない気がする。レグルスは急いで説明を始めた。
「えっと、エステーリャとクロノの死で陽の民と月の民の対立が決定的なものとなり、戦火は世界全土に及びました。異種族間の融和を目指した二人の思いに逆行していく世界を許せないカノープスは、四大神に戦争を調停させようと考えて……順に、神々に会いに行きます」
「うん、うん」
デネボラは頷き、ユアンもじっと聞いてくれている。
「神に認められたカノープスはその証として、四つの剣を授かります。そのうち、
「うん、うん。わかりやすい解説ありがとう。最後のほう、御三家版のダイアローグそのままになってたね」
「あっ……」
「あはは。ボクもあれは結構見たからわかるよ。毎回同じダイアローグから入るから、耳に残るよね」
二十年ほど前に御三家が揃って出演した〝月明の剣〟は、名作として語り継がれており、敬意を込めて御三家版と呼ばれている。このときに特に高く評価されたのがアルテイルだった。
「〝月明の剣〟は何幕にも渡る大長編だから、チャリティーストーリアではいくつかの場面を切り取ることになるはずです」
レグルスの意見にデネボラが頷く。
「たぶん、カノープス一行が
「へっ?」
「おや、知らないのかい? チャリティーストーリアは決まった順で同じ演目を繰り返す、というのが原則ではあるけど、過去には例外もあったんだよ」
「……初耳です」
ユアンに目配せすると、彼も頷いた。
「学年末試験も兼ねているから、チャリティーの演目に選ばれる作品には条件がある。それが、各アステラのナイドル四人、プリドル四人の最低八人が出演できること。だけど〝月明の剣〟は出演できるプリドルのアステラに偏りがあってね。本来ならチャリティーの題材として選ばれるはずがないんだ。
デネボラはレグルスとユアンより一歩前に出ると、振り返って二人を見た。
「でも過去に一度だけ〝月明の剣〟が上演されたことがあって……その時舞台に立ったのが、学生時代のアルテイルとデネブなんだ」
北風が、ざあっと音を立てて冬の庭園を吹き抜けた。
「『超新星の誕生に立ち会えた幸福』……神の眷属が彼らを称える
――知らなかった。
アルテイルとデネブが学生時代に
「アルテイルと同じ特別な舞台に立つチャンスがボクたちにも与えられるなんてね」
雲が日差しを遮り、デネボラの美しい顔に影がかかる。
その瞬間、ぞわっと、レグルスの全身を悪寒が駆け抜けた。
淡萌黄色の長髪をなびかせる風、風に舞って天高く昇っていく枯葉と花びら。すべてがデネボラに支配され、デネボラを引き立てるためにあった。デネボラが放つ凄味に、大気さえもひれ伏してしまっている。目が、離せない。ユアンも目を見開いている。彼もレグルスと同じく、デネボラに釘付けになっている。その場がたった一人、デネボラのためだけの舞台となり、周囲の人はみんな消えてしまった。
「ああ、胸の高鳴りが抑えきれないよ。舞台に立つのが楽しみで仕方ない……!」
デネボラの銀色の瞳の奥で、苛烈な炎が燃え上がった。その目は、レグルスをまったく見ておらず――ただ、ユアンだけを見つめている。
「……デネボラよ、後輩に絡むのもそれくらいにしておけ」
突然、世界が元に戻った。どうやら、デネボラに声をかけた大柄な先輩が、無理やり空気を叩き割ってくれたらしい。
「絡むだなんて。人聞きの悪いことを言わないでくれないか、オズ」
「いいや。どう見てもウザい先輩であったぞ」
「ええっ、そうかい?」
悪びれるそぶりも見せないデネボラを無視して、大柄な先輩はレグルスとユアンを見た。
「レグルス・フィーロにユアン・アークトゥルスだな。
オズワルドと名乗った青い髪の先輩は、深々と頭を下げた。レグルスとユアンは顔を見合わせる。
顔を上げると、オズワルドは言った。
「オーディションの班分けで、お前たちと同じ班になることもあるやもしれん。そうなったら、よろしく頼む。行くぞ、デネボラ」
「ああ、まだ肝心の話を聞いてないのに……じゃあ、レグルス。また風曜日にね」
デネボラはひらひらと手を振ると、オズワルドと共に早足で寮へと戻っていった。
二人の姿が見えなくなってから、ユアンが口を開いた。
「……あの人、知り合いなのか」
「うん。でも、会ったことは秘密にしてくれって言われてて……」
「それを言ったら、秘密じゃなくならないか」
「……そうだよな。でもデネボラさんが自分が言ったから、もういいのかな」
レグルスとユアンはどちらともなく歩き出した。立ち止まっていては通行の妨げになってしまう。
「あの人は、俺のことを嫌っていると思う」
「へっ?」
「……怖かった。あんな恐ろしい目で見られたのは、初めてだと思う」
「……」
考えすぎだ、とは言えなかった。デネボラの目の奥で燃え盛っていたあの銀色の炎は、明確に、ユアンを焼こうとしていた――レグルスもそう感じた。もし、オズワルドが割って入ってこなかったらと思うと恐ろしかった。レグルスの特訓に付き合ってくれたデネボラからはやさしさすら感じたのに、あの恐ろしい人は本当にデネボラだったのだろうか。
寮の自室に戻ってからも、レグルスはユアンと何を話したらいいかわからなかった。
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