第五節 移り気な月の呪い 後
◆ ◆ ◆
「今のが〝
レグルスの問いに、セシリアは頷く。
「春の、もうすぐ日が暮れるという頃だったわ。見知らぬ人が目の前にいて、指を差されて、体中になにかが刺さって。痛くはなかった。その後、『私のものになりなさい』って言われたの」
よほど鮮明に覚えているのか、セシリアはよどみなく語る。
「ウーゴさんとの結婚を決めたのは、私の親だった。それも、アークトゥルス家の財産目当てでね。私の実家が事業に失敗したから……」
しかし、突然身の上話が始まった。聞いていいのだろうか。息子のユアンは、母の暴露話に涼しい顔をしている。
「最初は、すごく嫌だったの。素敵な男性と運命の恋をして幸せな結婚をするんだって思っていたのに、急にお金持ちの家に嫁げなんて、売られたと思ったわ。だから、初めてウーゴさんと町を歩いた日……私の心は隙間だらけだったんでしょう」
モニターは変わらず〝王子の変身〟を放映している。
ストーリアの中のクロノは、自分に呪いをかけた娘に言った。
『見る目があったらあいつに惚れたりしない。お前を選べなくてすまないな』
クロノの心にはほとんど隙間がなく、娘の呪いは効力を発揮しなかった――と、娘は思ったのだろう。禁忌を犯してもなお恋に破れた娘は、その場を走り去っていく。
そのシーンを見て、セシリアは後悔を口にした。
「……私は、こんなふうには言えなかった。町の真ん中で……ウーゴさんの目の前で、結婚なんて嫌だと泣いてしまったの」
なんだか、話がずれてきている。レグルスは気まずくなってきた。
「レグルス」
戸惑っていると、ユアンが割り込んできた。
「このあとはほとんど惚気だから、聞かなくていい」
「そ、そうなのか?」
「まあ、ユアン! そんな、ひどいわ」
「様子がおかしいと気づいた父様がその女性に啖呵を切って、母様を助けた。そしてその後、父様の誠実さが呪いに打ち勝った。そうだろう」
「そうよ」
「母様が話したいのは、惚気話なのか」
「違うわ! 私に呪いをかけたあの女の人は誰だったのかしら、と思って……」
「へっ、女の人なんですか?」
オウム返しに尋ねてしまった。どうにも、話が見えない。
「ええ、女の人だったわ」
「……うーん」
セシリアが何を話したいのかいまひとつ掴めないが、レグルスは、クラリッサと学んだ
「
「
「ってことは、今もどこかで純血の民が生きている? 神話の時代の人が今も生きているなんて、そんなことあるのかな」
「俺は、いないはずがない、と思う。学園長は、明らかに怪しい」
「あー……」
レグルスはミアを思い浮かべ、その周囲に、マーネンをはじめとする先生たちを並べてみた。ミアはその中で一番背が低く、若々しく――子供っぽくさえ見える。何せレグルスは最初、ミアを少女だと思ったくらいなのだ。
「だが、もしも純血なら、学園長は風の民だろう。フィオーレ・アステラだから」
「じゃあ、純血の月の民かもしれない、女の人か……」
頭の中で並べた先生のうち、ひとり、ピンと来る人物がいる。
「ジニー先生」
その名を、ユアンが先に口にした。
「やっぱ、そうかなあ?」
ユアンのアステラが学園中に広まったとき、ほとんどの人がその影響で動けずにいたというのに、ジニーは平然と二人を迎えに来た。理由ははぐらかされた。
「ジニー先生って、ユアンをティターニア学園にスカウトしたあの眼鏡の先生よね? あの人じゃないわ。私に呪いをかけた人は黒髪だったもの。漆黒の髪を二つに結った、揺らめく色の瞳の、怖いくらいきれいな人だった」
ジニーは銀髪に黒い目をしている。美人ではあるが、怖いくらいきれいという印象ではない。
だがほかにも、ジニーについて気になることはある。
「ジニー先生ってさ、どこでユアンのことを知ったんだ? スカウトしに来たって言ってたけど」
ユアンは首を振った。
「わからない。俺を診た医者の誰かが学園に連絡したんじゃないかと推測していたが、実際のところは聞いていない」
「……やっぱりあの人は、ティターニア学園の中にいるのかもしれない。学園の人がユアンのことを知っていて、ユアンが十五歳になったときにスカウトに来たのも、筋が通るもの……」
ようやく、セシリアが何を心配していたのかわかった。自分に呪いをかけた女性が、学園に――ユアンの近くにいるかもしれない、ということだ。
「……ねえ、レグルスくん」
「は、はい」
「あの呪いは、ルーナ・アステラと関係があるのよね? だから、近くに純血の月の民がいないか、考えているのよね?」
「はい。月の民にしか使えない術だから、月の呪いと呼ばれているので……」
「そう、よね」
セシリアは、ひどく沈痛な顔で俯いた。
純血の民が有する力は、厳密にはアステラとは異なる。だが、
「ユアンのアステラが、ルーナだとわかって……」
セシリアは、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「ユアンのアステラ暴走症は、あのとき私にかけられた呪いのせい……ユアンが苦しんでいるのは、私のせい……」
ようやく、話がつながった。
セシリアが明るくよく喋るのは、心の根っこに差している影を隠したいから――言葉少ななユアンとは正反対なのに、望んでいることはユアンと同じ。話が何度も飛んだのは、きっと、心の内を口にするのを恐れていたからだ。初対面のとき、セシリアはユアンと似ていないと感じたが、やはり二人は親子だ。
「呪いとアステラパシーに関係があるかはわかりません。あったとしても、それはお母さんのせいじゃなく、その女の人の……」
「母様っ!」
ユアンが大声でレグルスの言葉を遮り、ちらとレグルスを一瞥した。
――そうだ、ここでセシリアに声をかけるべきなのは自分ではない。レグルスは頷いて、黙った。
ユアンは母の前に跪き、その手を取る。
「誰でも、苦しいときは、自分を見失う……母様にもそういうときがあったんだろう。だが、今はそうじゃない。父様の良いところを母様はたくさん知っている。俺も、大丈夫。必ずアステラを操れるようになる。そのために、これからもティターニア学園で学ぶ」
「……けれど、ユアン」
「暴走症を患っていなかったら……いや、俺がアステラパシーでなかったら、きっと、レグルスとは出会えなかった」
ユアンにとって言葉で思いを伝えるのがどれほど難しいことか、付き合いの短いレグルスすら知っている。当然、セシリアもわかっているはずだ。
そのユアンが、まっすぐな言葉をぶつけている。
「今があるのは、今までがあるからだ。だから母様、謝らないでくれ」
「……っ!」
息子のまっすぐな言葉が母の胸を打ったのが、レグルスにもわかった。
「ユアン……ありがとう。あなたは……私にはもったいないくらいの、自慢の息子よ……」
セシリアの目尻に、澄んだ光が浮かんだ。
★ ☆ ★
真昼のごとく輝く姫君は、若君に語る。
『呪いで心が動いてしまったなら、どうか私の元を去って。私の望みは、愛するあなたの幸福だもの』
宵闇を纏う若君は、姫君に応える。
『愚かにも呪われた私を、それでも思ってくれるというのか』
『もちろんよ。だって、私はなにもされていないもの。心変わりしようがないでしょう』
エステーリャは、俯くクロノの涙をそっと拭う。
『これからも私のそばにいてくれるなら、あなたの苦しみを分けてほしい。同じ気持ちを分け合えば、少しは救いになるはずだから……』
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