第一幕 《地母神の加護》~アステラ診断

第一節 試験開始

 前期期末試験を行う武踊館ぶようかんは、切妻屋根が特徴的な、天井の高い建物だ。普段は体育館として、武踊ぶよう――殺陣たてとダンス――や屋内でのスポーツのために使われるが、床下に客席が収納されており、小さな劇場としての機能を備えてもいる。ここの舞台の上で、第一学年の生徒たちは〝地母神の加護〟を演じる。

 地母神の加護は、神話の時代の叙任式を模した短いストーリアだ。テッラ・アステラ――地母神マーテルアスに由来する大地のアステラを宿す教員が〝地母神の眷属〟を、まだ自らのアステラに目覚めていない生徒二人が〝若き騎士のたまご〟を演じる。これを無事演じ終えた時、生徒は自分の中に眠るアステラの属性を知り、アステラに目覚める。


 ユアンと共に武踊館へ向かう道すがら、レグルスは昨日のことを思い返す。


(全然、話せなかった……)


 入学式を終えて寮の部屋へ戻ったあとは、ユアンとほとんど会話できなかった。会話にならなかった。彼はとにかく無口で、何を尋ねてもまともな答えは得られず、たまに返事があっても「ああ」「そうか」「いや」の三通り。ユアンは凪いだ真夜中の湖のようで、祝詞を唱えていたときのまばゆい輝きは鳴りを潜めていた。

 夜、就寝すべくベッドに入ると、レグルスはひどい不安に苛まれた。家で練習はした。何度も何度も練習した。だが、まだ学園では何も習っていない。そんな自分が、果たしてストーリアを演じきることができるのか。明らかな天才であるユアンと共に演じていいのか――ティターニア学園では、同室の生徒が共に地母神の加護を演じると決められている。

 慣れないベッドでは、うまく眠れなかった。


 気がつくと、武踊館の入口が目の前にあった。両開きの扉は開け放たれている。恐る恐る足を踏み入れると、靴底が板張りの床と擦れて、甲高い音を立てた。手前には簡易観客席、奥には舞台。床下に格納されている簡易観客席が現れるのは、武踊館で試験が行われる日だけらしい。チャリティーストーリアが上演されるクイーン・シアターにくらべればずっと小さいが、間違いなくここは立派な劇場だ。

 今日試験を受ける第一学年の生徒たちは観客席の最前列と二列目に座って待機し、上級生と職員たちは観客として後方に着席する。レグルスはユアンと並び、212の札がつけられた二列目の席に着いた。

 観る側であったときも、開演前は胸がドキドキとうるさかった。まして、見られる側にまわっての緊張ときたら、身体が震えて息が切れるほどだ。ようやく袖を通した制服も、今日の衣装である純白のマントも持て余しているような気がする。




 数分後。第一学年の生徒が全員揃い、観客席の一列目と二列目に着席した。


「では、部屋番号の順にくじを引け! まずは201号室の者!」


 木刀を床に突き立てた、いかにも熱血と言った風情の男性教員が指示を出した。二人組が順に進み出て、用意された箱からくじを引き、番号を読み上げる。


 レグルスとユアンの番が来た。


「では、次! 212号室の者!」

「はい」

「ふぁ、はい!」


 声がうわずってしまったレグルスを、ユアンがちらりと見た。立ち上がり先を行くユアンに、レグルスはふらふらとついていく。足元が雲のようだ。


「212号室、ユアン・アークトゥルス、レグルス・フィーロ。一〇番」


 くじを引いたユアンが番号を告げると、場がざわめいた。


「あの小さいのが〝幻の四〇人目〟か?」

「ぶっつけ本番でついていけるのかねえ」


 同級生たちはちらちらと、上級生たちは不躾に、二人の姿を窺っている。静かなのは、後方の席で見守っている教員たちだけだ。


 全員がくじを引き終わった。番号は一から二〇。一学年に生徒は四〇人。前期、学園にいなかったレグルスは〝幻の四〇人目〟ということになるらしい。ひそひそ囁く声と、異質なものを見る視線がチクチクと刺さる。ひどく居心地が悪い。


「静まれいッ!」


 熱血木刀教員の怒鳴り声が小声を吹き飛ばした。


「これより、アステラ・ストーリア〝地母神の加護〟の試験を行う! マーテルアス第一の眷属役は、このヴァン・マーネンが務める! では一番、壇上へ!」


「はい!」


 最初の二人が声を揃えて返事をし、舞台に立つ。レグルスはごくりとつばを飲み込み、緊張の面持ちで彼らを見つめた。

 初めてのストーリアが、開演する。




「五番、再試験。日程は追って伝える」


 試験は過酷だった。

 二人ともが最後まで演じきり、己に宿るアステラを目覚めさせることができたのは三組。残りの六組は失敗した。セリフや手順を間違ったわけではない。劇中で、アステラを輝かせられなかったのだ。彼らは追って再試験を受けることになる。


 成功した三組の全員が喜んでいるわけでもなかった。


「どうして太陽ソールなんだよ!」


 そう叫んだのは、赤みがかった茶色の巻き毛の生徒。八組目の片割れだった。


ルーナフィオーレじゃなきゃなんねえのに、なんで、なんで!」


 泣きわめくルームメイトの肩をもう一人が支え、二人は舞台を降りていく。

 ストーリアの配役は、アステラの属性によって決められる。月の民である宵闇の王子クロノを演じるナイドルはルーナ・アステラ、風の民である風華の騎士カノープスを演じるナイドルはフィオーレ・アステラを宿していなければならない。すべてのアステラ・ストーリアの核である原典イコーナに、四大神が創造した四種族とアステラの系譜が記されている限り、この掟は揺るがない。

 もちろん、ほかのアステラを宿す者が演じる役もある。だが人気の高い主役は、どれもルーナかフィオーレ。ストーリアは歴史を現代に伝えるもの。この世界の歴史を大きく動かしてきた男性はみな、月の民と風の民だった。ルーナかフィオーレのアステラを宿していなければ、花形ナイドルにはなれない。それが普通だ。

 だから、壇上で慟哭する巻き毛の彼を咎める者はいなかった。

 同級生の姿に、レグルスはさらに不安を募らせた。武踊館全体を包む暗いもやのような空気が、切羽詰まった心を追い詰めていく。

 雰囲気に飲まれているのは、レグルスだけではない。九組目の二人もまた、アステラを輝かせられずに失敗してしまった。


「それでは一〇番、壇上へ!」

「はい」

「は、はい……!」


 ユアンと声を揃えられなかった。それどころか、声に怯えすら滲んでしまった。

 舞台へ向かう足が鉛のように重い。会場の重苦しい空気、同級生から向けられる奇異の目、実技の経験が圧倒的に足りない自分がユアンの足を引っ張る可能性――すべてがレグルスを苛む。緊張のあまり短い呼吸を繰り返していると、前を行くユアンが何事か呟いた。


「落ち着いて、……」

「……ユアン?」

「落ち着いて、いつも通りやれば、できる」


 その言葉がレグルスに向けられていたのか、それとも独り言だったのかはわからない。だが、ユアンの静かな声はレグルスの胸にすっと染み入った。


「いつも通りやれば、できる……」


 同じ言葉を反芻すると、カラカラに乾いていた喉が少し潤ったような気がした。


 二人は所定の位置につき、眷属を演じる教員マーネンの前にひざまずく。

 そして、十回目の開演ブザーが鳴り響く――

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