第二節 ルームメイトとの出会い

 希望と不安を胸に新入生たちがティターニア学園の門をくぐる春――はとっくに過ぎ去り、季節は初秋。天は遥かに高く、地は清く澄んだ空気で満たされている。


「やぁーっと来られたぁーっ!」


 身長の倍はある大荷物を背負ったレグルスは、握りしめた両の拳を空に突き上げた。


「やっと、やっと来られた……アルテイルも通った名門、ティターニア学園!」


 長かった――半年は、本当に長かった。




 次代のナイドルと〝姫君プリンセス偶像アイドル〟――プリドルの育成助成金を募るため、ティターニア学園が年に一度上演する〝チャリティーストーリア〟。舞台に立つのは全員現役の学生だ。チャリティーに出演できれば、ナイドル及びプリドルとしての栄達は約束されると言われている。ティターニア学園の入学試験に合格したレグルスはこれを両親と共に観劇し、入学への決意を新たにした。


 しかし、帰宅したレグルスを待っていたのは、学園からの無慈悲な通告だった。


『レグルス・フィーロ殿 貴殿のティターニア学園への入学を保留とします』


 入学試験には合格したのに、入学は保留。レグルスは目の前が真っ暗になった。ショックのあまり腰も抜けた。


「はあ~? ふざけるなよ! うちのレグルスになんの問題があるってんだ!」


 母クラリッサは激しく怒り狂った。一方で父エミリオは冷静だった。エミリオは手紙と共に学園から届いた荷物を開き、中身をレグルスに示した。


「困ったね。制服と、自習用の教材は届いているけど」


 荷物の一番上には、ティターニア学園の制服があった。上品な深緑のジャケットとスラックス。真っ白なシャツと、五〇期生を示す赤いネクタイ。そして、無垢な純白のマント。


「……きっと、何か理由があるんだ」


 レグルスはきゅっと唇を引き結び、涙をこらえた。その肩をエミリオはやさしく抱いてくれた。


「そうだね。制服も教科書もマントも入ってる。手紙には、準備が整い次第迎え入れるとも書いてあるよ。しかもほら、学園長の直筆だ」


 便せんの最後に、丁寧な文字で〝ミア・プラキドゥス〟というサインがある。


「ならばレグルス、特訓だ!」


 かろうじて怒りを収めたらしいクラリッサが、うなだれていたレグルスの手を引いて無理やり立ち上がらせた。


「知っているだろうが、私は超一流の脚本家だ。ナイドルの振る舞いもアステラの扱いも心得ている。この私がお前にナイドルのなんたるかを叩き込んでやる!」

「う、うん……」


 こうして、父は穏やかに、母は力強くレグルスを慰め、春は終わり夏が過ぎ――送られてきた制服のサイズがちょうどよくなった初秋、ついにレグルスはティターニア学園にやってきたというわけだ。




 レグルスは改めて制服の襟を正し、涼気を胸いっぱいに吸い込んで、歴史ある重厚な正門をくぐった。季節の花々が彩る庭園の向こうに校舎が見える。何度も読み返した入学要項そのままの景色が目の前にある。涙が出そうだった。


「レグルス・フィーロだよね?」

「ぬわっ!?」


 突然頭上から名前を呼ばれ、空を仰いだ。正門の柱に誰かが座っている。


「金の髪に金の瞳……うん、間違いない。ようこそ、ティターニア学園へ」


 ふわりと風のように降り立ったのは、可憐な少女だった。

 うなじでまとめている桜色の髪が、そよ風にやさしく揺れた。草原のような緑色の瞳とわずかに先が尖った耳は、ストーリアの中の〝風の民〟を思わせる。甘やかな顔立ちだが、かっちりしたパンツスーツがよく似合っていた。

 少女は呆けているレグルスに微笑みを向ける。


「私は案内係だよ。学園の中を見て回る前に、まずは寮へ荷物を置きに行こうか」


 少女はくるりと翻り、すたすた歩いていく。レグルスも慌てて後に続いた。




 秋らしく色づいた庭園を抜ける。行き先は急勾配な丘の上だった。洒落た白い石造りの建物が、夏の名残が漂う深緑の森を背にして静かに建っている。


「ここがナイドル部の寮。君の部屋は二階の一番奥の二人部屋、212号室」

「二人部屋かあ! じゃあ、ルームメイトがいるんだ」

「ふふっ、仲良くなれるといいね」


 少女が寮の扉を開ける。


「ぬわぁ、すっげぇ!」


 寮のエントランスは広く、開放感がある。大きな窓からは陽光が注がれ、床には芝生を思わせる緑の絨毯が敷かれていた。


「さあ、行こうか」


 絨毯の示す道に従って正面のT字階段を登り、左に曲がって奥へ。複雑に入り組んだ廊下を進んでいく。どの扉にも、三桁の数字が書かれた札が下がっている。

 突き当たったところで少女が立ち止まった。


「君の部屋はここだよ。ノックしてごらん」

「は、はい」


 レグルスは212号室と書かれた扉の前に立った。二度、大きく深呼吸をする。そして、おそるおそる、扉を叩いた。


「はい」


 部屋の中から返事があった。落ち着いた声だ。

 カチャリ、鍵が開く。ドアノブが動く。ゆっくりと、扉が開く――


「……どなたですか?」


 目の前に現れた少年の、ただひとつの瞳――すみれ色の右目。その輝きは、一瞬でレグルスの胸を射抜いた。

 片目だからこその不均衡な美しさを備えたかんばせは、間違いなく人の目を惹きつけ釘付けにする魔力を持っている。左目は、夜の帳の紫紺を宿すふわりとした髪と、瀟洒な刺繍が施された黒い眼帯に覆い隠されていた。着る者を選ぶと言われている洒落た緑色の制服も、彼のためだけに誂えられたかのように似合っている。部屋の入口はまるで彼の姿を切り取って飾る額縁のようで、止まったように感じられる時間も、質量を伴った絵のごとき空間も、すべてが彼を引き立てるためにあった。


「きれいだ……」

「は?」


 少年が眉をひそめたのを見て、レグルスはハッと我に返った。


「えっと、おれはレグルス・フィーロ! 今日からこの部屋でお世話になります!」

「……編入生? 勘違いだろう。君の部屋は、ここじゃない」

「ううん。ここで合ってるよ」


 案内役の少女がレグルスの背後からひょこっと姿を見せると、黒髪の少年は目に見えてうろたえた。


「……俺は、ルームメイトなんてです」

「そう言うと思ったよ。なのはわかるけど、彼なら大丈夫。だから同室なんだよ。さ、レグルス・フィーロ。荷物を置いてきて」

「はい!」

「……どうぞ」


 少年は困惑しながらも扉を大きく開き、レグルスを部屋の奥へと招き入れた。

 部屋にあるのは二つのベッドと二つの机、クローゼット、アステレヴィジョン鑑賞用のモニター。ナイドル候補生としての生活に必要な最低限が揃っている。


「なあ、名前は?」


 ルームメイトは不機嫌そうだったが、レグルスは意に介することなく尋ねた。これから共に暮らす同級生に遠慮をしてもしょうがない。


「……ユアン・アークトゥルス」

「ユアン……よし、ユアンだな。これからよろしく!」


 背負っていた巨大なリュックを部屋の隅に置き、レグルスはユアンに握手を求めた。しかし、差し出した手が握り返されることはなかった。ユアンは意図してそっぽを向いたわけではなく、ただ単にレグルスを無視した。関心など持たない、とでも言うように。


「それじゃあ、案内の続きをするよ。ユアン・アークトゥルス、君も同行してね」

「……わかりました」

 少女への返事もいかにもしぶしぶと言った様子で、レグルスは少し不安になった。




 その後は少女に連れられて、ユアンと共に学内を巡った。学内の施設はそれぞれ別の建物にある。候補生たちは授業ごとに、季節の花で彩られた庭園を通って移動する。

 施設に立ち寄るたび、少女がユアンに説明を求める。しかしユアンは、大きな平屋を前にして、

「ここは、食堂」


 五角形の塔を前にして、

「こっちは、教室塔」


 円柱形の塔を前にして、

「ここは、音楽塔」


 三角屋根の大きな建物を前にして、

「ここが、武踊ぶよう館」


 と、施設の名称しか言わない。しかも始終愛想がなかった。その振る舞いが怜悧なユアンの美貌に似つかわしく思え、レグルスは感心してしまっていたが、先導していた少女はため息をついて振り返った。


「ユアン・アークトゥルス、もう少しきちんと説明してあげてくれないかな?」

「……細かく説明しなくても、そのうち覚えるでしょう」


 うーん、と少女は困った顔をする。レグルスは思わず口を挟んだ。


「大丈夫です! 学園の施設は資料で何回も見てますから!」

「……ねえ、ユアン・アークトゥルス。レグルス・フィーロはこう言っているけれど、彼が一人で出歩けるようになるまで、一緒に行動してくれるよね?」


 口調こそ穏やかだが、少女の言葉には圧があった。ユアンは答えなかったが、否を許す雰囲気ではない。


「さあ、あとは職員塔だね。ささやかだけど、学園長室で入学式をしよう」




 職員塔は学園の中心にあった。円形の塔は赤茶色のレンガで作られており、外壁には蔦が絡みついている。大きな緑色の屋根とあいまって、塔自体が巨大な樹木のようにも見える。


「すっげぇ……本当に〝原典イコーナ〟に出てくる〝風の民〟の家に似てるんだなあ」

「よく勉強しているね、レグルス・フィーロ。その通り、職員塔は古代の風の民の住居を真似して作ったものなんだよ。で、学園長室は、ここの最上階。頑張って上ってね」


 まっすぐな塔の中に入ると、壁に沿う螺旋階段が最上階までぐるりと続いている。塔の中心部は吹き抜けになっており、見上げれば丸い天井が見えた。


太陽ソールルーナフィオーレ大地テッラ……君たちのアステラが四種のどれなのかは、明日の〝地母神の加護〟でわかるね。もしも私と同じフィオーレ・アステラだったら……」


 少女の胸元から生じた桜色と緑色の光の粒が、少女自身を取り巻いて渦巻くと、その背に収束して一つの形を成す――虹色に輝く、四枚の翅。


「アステラを使って学園内を飛び回っても構わないよ」


 ふわりと宙に浮かぶと、少女はきらめく虹の軌跡を描きながら高く舞い、瞬く間に最上階まで飛んでゆく。降り注ぎ消えていく光はまるで美しい蝶の鱗粉だ。


「ぬわぁ……すっげぇ」


 レグルスは少女の姿を目で追い、天井を見上げたまま呆けていた。


「すっげぇ、フィオーレ・アステラ。本当に空飛べる人っているんだな」

「あの人は……特別、らしい」


 ユアンはそれだけ言うと、さっさと螺旋階段の方へと向かっていく。レグルスもあわててユアンに続いた。




「ぜえ、はあ、やっと着いた……」

「お疲れさま。頑張ったね」


 少女がねぎらい、タオルを差し出してくれた。学園長室の扉の前にたどり着くまでに、いったいどれだけ階段を上っただろう。肩を上下させるレグルスをよそに、ユアンは息ひとつ乱していなかった。


「ユアン、すごいなあ。おれもうヘトヘトだよ」

「鍛え方が足りない」

「まあまあ、ユアン・アークトゥルス。ここを上るのはみんな苦労するものじゃないか」

「そうですか?」

「……君、すごいね。私だって、この階段をちゃんと上ったら息が切れるのに」


 褒められても、ユアンは何の反応も返さない。


「相変わらずだなあ、君は……レグルス・フィーロ。ノックはいらないよ。入って」

「はっ、はい」


 レグルスは乱れた呼吸を整え、背筋を伸ばした。一応ノックをしてから、はつらつとあいさつをする。


「失礼します! レグルス・フィーロです!」

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