今に守る者

エル

第1話


恐怖で―

剣を持つその手は震え、

足は…今にも壊れ、崩れそうな人形のようにガクガクと震えている。

それなのに…

それなのに―何故…この男は俺の前に立ちはだかるのか?


ぽと。

剣に付着していた乾いてない血が刀身を流れ、切っ先に雫の塊を作り地面へと落ちる。


たくさん殺した。

男も女も子供も老人も…。


そして―

また、俺は殺そうとしている…。


男が震える手で剣を構え、その背に自分の家族を庇う。

女と子供が一人ずつ。


簡単なことだ。

この男を殺すことも、

後ろの家族を殺すことも。


しかし―

胸がざわつく。


何がこの男をここまで突き動かすのか不思議でならなかった。

家族などさっさと見捨てれば自分だけでも助かったはずなのに男はそうしなかった。

震える手で、剣を握り締め立ちはだかるその目に浮かぶのは…確かに恐怖。


それなのに―何故立ちはだかる?


さっさと後ろの家族など放って逃げ出せばいいのに…。


また、胸がざわつく。


先に動いたのは―男。

奇声を発しながら、こちらに突っ込んでくる。

ほとんど破れかぶれと言っても過言ではない無謀な特攻。


男を殺すことなど簡単なはずだった。


なのに、

それなのに、

なぜだろう?


胸がざわつく。


勝てない。

勝てるはずなどないだろう。

なのに、何故向かって来る?


動けない。


雑兵にも劣る、訓練も何も受けていない素人の剣の軌跡。


避けることなど造作もないことだ。


それなのに、

俺は、

動けなかった。


いや…

動かなかった?


なぜ?

なぜ…俺は動かなかった?


「……な…ぜ?」


血と共にに吐き出した言葉に答えてくれる者などいなかった。





ピピピピピ。


「…」


目覚ましの電子音でボク―天宮 零(あまみや れい)は目を覚ます。

鳴り続ける目覚ましの音を止める頃には目は完全に覚めていた。

ベッドから下り手早く着替えを済ませると、朝の朝食の準備のために一階へと降りる。


まだ、背が小さいのでコンロまで背が届かないので、ダイニングのイスを使ってそれを補うと、フライパンに油をひき、冷蔵庫から取り出した卵を割り朝食を作る。


ダイニングテーブルに二人分の食事を準備し終えると、零は再び二階へと戻る。

そして、自分の部屋の隣の部屋をノックすると、


「ユウちゃん、朝だよ」


呼びかけるが返事はない。

しばらく待ってみても出てくる様子がないので、零は扉を開けると弟の部屋へと足を踏み入れる。

ベッドでは、弟の天宮 勇(あまみや ゆう)猫のように丸くなり静かに寝息を立てていた。


「ユウちゃん、朝だよ。起きなきゃ学校遅刻しちゃうよ」

「・・・んん」


しばらくもぞもぞと動いていたが、やがて勇はゆっくりと目を開ける。


「・・・おはよう、れーにいちゃん」

「おはよう、ユウちゃん」


零は勇の小さな身体をベッドから起こすと、着替えるのを手伝う。

着替えを終えた勇と一緒にダイニングに降りると、テーブルに仲良く並んで朝食を摂る。


今日の朝食は目玉焼きとサラダとトースト。

飲み物は勇の好きなオレンジジュース。


「いただきます」

「いただきます!」


元気よく「いただきます」を言う勇を、零は優しく見守る。


勇はうまく使えない箸に悪戦苦闘しながらも、一生懸命ハグハグと食べる。


「ユウちゃん、美味しい?」

「うん!おいしい!」


頬に黄身をつけながら勇が笑顔で答える。

零はくすっと笑うと、口の周りに付いたそれをチィッシュでふき取る。


「今日もいつもの時間に迎えに行くからね」

「うん、わかった!ゆう、いいこでまってるから!」


無邪気に笑う勇に零も笑顔で応える。


この家に…両親はいない。

父親も母親も健在だが、この家には寄り付こうとはしない。

来たくないのだ。


理由は―


うまく箸が使えず、勇が皿から目玉焼きの汁を零す。

あぅぁ、と慌てる勇を宥めると、置いてあった布巾で拭く。


勇は…心が幼いまま。

知能の発達が普通の人より遅れている。


いわゆる知的障害児だった。


おそらくこれから勇は誰かの手助けなしでは生活できない。

そして、それを支えるのは家族しかいなかった。


しかし―


その事実は…普通の家族を夢見ていた両親にはつら過ぎたかもしれない。


選択は二つ。

一緒にがんばるって生きるか、

それとも放置するか。


零と勇の両親は後者を選んだ。

つまり、勇の面倒をみることを放棄したのだ。


だが、零は両親を責める気にはなれなかった。


人は脆い。

肉体もだが、心は更に脆く壊れやすい。


裏切りにも、

憎しみにも、

絶望にも、

人の心は容易く壊される。


両親はつらくなる前に逃げ出した。

でも、ボクは…


零は勇の通う養護学校まで手をつないで歩く。

勇が学校で習った歌を大声で歌う。

周りの人間が不信そうに見るが、零は気にしない。

うまいね、と零が褒めると勇はますます大きな声で歌い、つないだ手をぶんぶんと振り回す。


朝、勇を通っている養護学校まで送り届け、夕方には迎えに来る。

それが、零の日課だった。


その日も勇を迎えに行くと、帰りにスーパーで買い物をする。

買い物袋を提げた帰り道に、勇がその日学校であったことを零に楽しそうに話す。


「あ!」


家について、冷蔵庫の中を確認した零は声をあげる。


「どうしたの?れーにいちゃん」

「んー。ユウちゃんの好きなオレンジジュース買うの忘れてきちゃったみたいなんだ。今から買いに行ってくるから、ユウちゃんはテレビ見てて待っててね」


零が財布を手に玄関に向かおうとするが、


「ゆうがいく!」

「え?」


勇が目をキラキラさせながら零を見つめる。


「でも、ユウちゃん…」

「ゆうがおかいものいってくるの!」

「…」


零はしばらく迷っていたが、スーパーがそれほど遠くない位置にあることと、勇が自主的に何かをしたがっていることに感動してしまい、結局買い物を勇に任せることにした。

時刻は夕方だが、まだ明るい。


「じゃあ、ユウちゃん。これお金だからね、落とさないように気をつけて」


千円札を二枚。

勇が首から提げているクマのイラストが刺繍されている丸い財布に入れる。


それは零が勇のために作ったものだ。

勇は余程嬉しかったのかそれをいつも首からかけていた。


「いってきます!!」

「はい。いってらっしゃい」


少し不安もあったが、元気よく駆けていく勇を見送る。


勇が買い物に出てる間に零は夕ご飯の準備に取り掛かる。


……

………


どれくらい時間がたっただろうか。

勇の帰りは遅かった。

スーパーはそれほど離れていないし、歩いていけば十五分もかからないはずだ。

往復でも三十分。

それなのに既に四十五分以上は経過していた。

遅すぎる。

寄り道でもしているのだろうか。

零がそう思っていると玄関のチャイムが鳴った。


そして―


玄関には、ボロボロになった勇がいた。


「ユウちゃん!どうしたの?」


勇の服は土で汚れ、顔は鼻水と涙でぐちゃぐちゃ。

転んで擦りむいたのか、膝から血も流していた。


「…うぇ…う…おしゃいふ……とられ…た」


見ると、勇がいつも首から提げている零があげた財布がなくなっていた。


「誰に?」

「…こ、こう…えん…にいる…ぇ……ひとに」


公園。

おそらく勇は近道しようとして公園を通ろうとしたのだろう。

以前、そこを通ってスーパーまで買い物に行ったことがあった。


しかし、最近そこは柄の悪い高校生のたまり場になっている。

近くを通る老人や子供、女性などに何かとちょっかいを出しているらしくて、零の通う小学校でも注意を促されたばかりだった。

零は注意しなかった自分の迂闊さを責めた。

そして、子供からお金をまきあげるその行為に猛烈に腹が立った。

おそらく勇は財布をなんとか返してもらおうとすがりついたのだろう。

だから、こんなボロボロになって…


「…ユウちゃん、消毒しようか」

「……おしゃいふ」

「財布はあとで取りに行こうね」

「……あ…あえは…ぐすっ……れー…にいちゃんが……ゆうのために…つくってくえたの…だ……だきゃら」


勇は目から大粒の涙をこぼし、土で汚れた震える手で零の服の裾を掴む。


「……」


本当なら勇の傷の手当を先にしたかった。

でも、あの財布は勇にとって――


勇は泣くだろう。

大事な財布を盗られたことに泣くだろう。

手当てをしてる最中も泣くだろう。

大きな目から大粒の涙を流しながら泣き続けるだろう。


震える手の先を見つめて迷う。

そして―


「…ユウちゃん、一人でお留守番できる?」

「……?」

「今から財布を取り返してくるから、いい子でお留守番できる?」

「…」


こくん、と勇が頷く。

“えらいね、ユウちゃん”

そう言って、頭を撫でる。


「すぐ帰ってくるから、いい子で待ってるんだよ」


涙に濡れ、不安そうにこちらを見つめる勇に零は安心させるように笑顔で言う。



「すいません」


夕方の公園で零は三人のいかにも柄の悪そうな高校生の不良と対峙する。


「あん?なんだお前?」

「ボクの弟から盗った財布返してもらえませんか?」


タバコをふかしていた不良の一人が、ああ、と思い当たったのか、零の前にしゃがみこみ視線を合わせると、


「お前、あのガキの兄ちゃんか?えらいねー。お財布取り返しに来たんだ?」


ニヤニヤと笑う。

他の二人も馬鹿にしたように笑う。


「でもさー…オレたちもお金ないんだよ。だから、ほんのちょっとだけお金くれないかってあのガキに言ったんだけどーあいつなかなか渡してくれなくてさー。これはれーにいちゃんからもらったからだめー、って」


最後のほうは声真似をしてみせると、三人は一斉に下品な笑い声をあげる。


「そうですか…」


静かに。

だが、その内に激しい怒りをこめて零が呟く。


その声は不良どもの笑い声にかき消されて彼らの耳には入らない。


「アハハハッハ…ハ?」


地べたに胡坐(あぐら)をかき、笑い続ける目の前の不良の額に零は右手の掌をおく。


「んだ?お前!!」


不良が凄む。


しかし、零は構わず右手に僅かに力をこめると―


……中身を潰す。


一瞬。


一瞬で不良の脳みそがぐにゃりと潰される。


それは外にいる彼らにはわからない

おそらく潰された不良もわからない。


だが、零は確かに潰した手応えを感じていた。



不良は後ろに仰け反ると、そのまま地面に倒れ動かなくなる。


「ひっ…!」


倒れた不良が目、口、鼻、耳から血を流しているのを見て、二人の不良が悲鳴をあげる。

ドクドクととめどなく流れる血が夕焼けに染まった大地に吸い込まれ黒い染みを作る。


零は怯んでいる不良の一人に近づくと、その腹に左手の掌をあてる。

そして、また潰す。

今度は内臓。


「ぐぇぇ!」


潰れた蛙のような悲鳴をあげると、口から大量の血を吐きながら倒れる。


「ああ……あ…」


最後に残った不良は腰を抜かしたのか地面に尻餅をついている。

零はそちらにゆっくりと近づく。


「ひぃ……!」


腰を抜かした不良は、その目に恐怖を浮かべながら後ずさる。

だが、やがて背後の木にぶつかりその動きを止める。


「なんだよ…お前!なんなんだよ!?お前!」

「財布を返してくれませんか?」


無表情に零は告げる。


不良はもたつきながらも、制服のポケットに手を突っ込む。

しかし、手が震えているためかなかなか目的の物を見つけられない。

そして、ようやくクマの刺繍がされた財布を取り出すと、ガクガクと震える手で零に差し出す。


「ありがとうございます」


零はお礼を言い受け取ると、すっと手を伸ばし不良の顎を掴むと、少し力をこめて回す。


「…え……?」


コキッと、音をたてて不良の首が一回転。

自分が何をされたのか理解できぬまま、既に不良は絶命していた。





「…にいちゃん!……れーにいちゃん!」


家で待っているはずの勇の声が聞こえる。

おそらく心配になって来たのだろう。


「・・・・ユウちゃん」

「れーにいちゃん!」


零の姿を見つけると勇が抱きついてくる。

知能の発達が遅いためか勇の身体は小さい。

零は勇のその小さな身体を抱きしめる。


「はい。お財布」

「ゆうのさいふ!」


キャッキャッと勇は財布を握り締め喜ぶ。

しかし、そのときぐぅ〜と勇のお腹の音が鳴る。

あぅ、とお腹をおさえ勇が呻く。


零は笑うと、


「今夜はハンバーグにしようか」

「はんばーぐ!?やったー!」


勇が嬉しさのあまりその場でぴょんぴょんと跳ねる。





そして―


勇の小さな手をとると、仲良く手をつないで家路につく。






今なら…


今ならば、

あの男の気持ちがわかる。


守る者がある。


それは、

いかなる恐怖にも、

いかなる絶望にも、

立ち向かえる―勇気になる。


そして―


それは、

いかなる恐怖にも、

いかなる絶望にも、

打ち勝つ―力になる。


ただ人を殺し続けてきた俺と、

守るために剣を取ったあの男。


俺が…俺なんかが、勝てるはずなどない

勝てるはずなどなかったのだ――


大切な者を守るために立つ、

その姿に、

その心に、

俺は既に負けていた。


剣での勝負の前に、

既に俺の心は負けていたのだ。


だから、

俺は動けなかった。


だから、

俺は動かなかった。


ただそれだけのこと―


無様とは思わない。

情けないとも思わない。


ただ―


うらやましかった…


守るべき者がある、


あの男が…。






俺が死んで、


時は流れ、


そして、


俺はまた生まれ、


今―


横を見ると、勇はもう泣いてなかった。

「はんば〜ぐ♪はんば〜ぐ♪」と、少しテンポがズレた歌を無邪気に口ずさんでいる。


その小さな手をぎゅっと握り締める。


・・・・俺にも守る者がある。

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今に守る者 エル @EruWaltz

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