第106話 回復ポーション

 回復ポーションが完成したと聞いた健人は、エリーゼを連れて研究所へと向かった。


 中に入ると、白衣を身に着けた数人の男女がテーブルを囲っている。ミーナが声をかけると左右に分かれて道ができ、その先には赤い液体の入ったビンが複数置かれていた。


「こっちです」


 健人は案内されるまま、ビンが置かれたテーブルまで歩く。


「ラットを持ってきてもらえますか」


 ミーナが白衣の女性に指示を出すと、目が赤く真っ白いラットが用意される。ここでは、動物実験用に常に数匹が飼育されているのだ。


 ごめんねと、小さなつぶやきが聞こえるとともに、メスが腹を切り裂いた。

 血が流れ、体毛が白から赤へと変わる。

 痛みに驚いたラットは逃げ出そうとして手の中で暴れが、白衣の女性は慣れた手つきで抑え込む。諦めたのか次第に鈍くなり、痙攣するだけで動かなくなった。


「これから実演します」


 予想外の展開に驚いていた健人は、先に言ってくれと思いながらも、期待に胸が膨らんでいた。


 何度も何度もチャレンジして、失敗した回復ポーション。それが本当に効果を発揮するのか気になって仕方がない。隣に立つエリーゼも同様で、目を輝かせている。いや、二人だけではない。この場に居る全員が興奮している。


 それほどまで、地球で回復ポーションが生産できる意味は大きいのだ。


 治すのに時間がかかる、もしくは諦めるしかなかったケガが瞬時に完治する。まだ単純な切り傷、打撲にしか効果を発揮しないが、それだけでも何人もが買い求めるだろう。特に争いが絶えない今、その価値は日々上がり続け、計り知れない。


「いきます」


 ミーナが持つビンから赤い液体が流れ落ちる。ラットの腹に当たると、流れ出ていた血が止まった。浅かった呼吸は、心なしか落ち着いているように見える。


 赤くなった毛を水で洗い流すと、メスで作られた切り傷がなくなり、元の姿に戻っていた。


「すごいわね! ミーナ、お手柄よ!」


 エリーゼは飛びつくようにミーナを抱きしめた。子どもを褒めるように、頭を優しくなでる。ミーナは目に涙をためながら、気持ちよさそうに尻尾を揺らしていた。


 二人の空気に感化された周囲の研究者は一斉に声をあげ、これまでの苦労をねぎらい、祝いの言葉を掛け合う。ゴーレム島にある小さな研究所は、一瞬にしてお祭りのような状態だ。


「治った……ようやく、ダンジョン探索士の死亡率も下がる」


 一方、健人は元気に動き回るラットを静かに見つめていた。


 魔物が出現したことによる、戦闘の激化。とりわけダンジョン探索士は魔物と戦う機会が多くなり、それに比例してケガの頻度も上昇する一方だ。さらに日本全土を魔物から守らなければいけないため、常に人手が不足している。運よく入院程度のケガで済んだとしても、ゆっくりと休んでいる暇はない。


 家族や友人、自らの生活を守るという気持ちが利用され、完治するとすぐに現場へと投入されるのだ。魔物が地上に出るまでは死亡率の低かったダンジョン探索士は、今では死亡率No1の職業だ。新しく職業に就く人も減りつつある。


 ミーナの回復ポーションは、そのような過酷なから抜け出せる明るい話題であった。


「なんじゃ、騒がしいのぅ。ワシはまだ眠いんじゃ。静かにせんかい」


 騒ぎを聞きつけたヴィルヘルムが、二階からゆっくりと降りてきた。


「回復ポーションができたんです!」


 エリーゼに捕まったままのミーナが頭だけを動かして報告をした。

 するとヴィルヘルムは目がこぼれそうになるほど大きく開くと、笑い声をあげ、ドシドシと音を立て歩き出す。


「ついに、出来たか! 頑張ったのぅ!!」


 ミーナの頭に武骨な手を置くと、頭をグリグリと乱雑に動かす。

 本人は撫でているつもりだが、他人からは虐待しているようにも見えた。


「い、痛いですよ」

「わはは、そんな細かいこと気にするでない!」

「ガサツな男は嫌われるわよ」

「そうかのぅ?」


 疑問を浮かべながらヴィルヘルムの手が止まった。

 視線の先はミーナだ。


「私は嫌いになんてなりませんよ」

「本人がそう言っているのじゃ。問題ない。お前は細かすぎるのじゃ」


 本人の了承は得たといわんばかりに、先ほどよりも激しく手が動き、それに合わせて頭も前後左右にとゆれる。


「二人とも、いつの間に仲良くなったのよ」


 エリーゼは呆れたような顔をしながらミーナを開放すると、しばらくの間、二人のやり取りを眺めることにした。


◆◆◆


「これからの話をしよう」


 興奮が治まったタイミングを見て、健人が軽く手を叩いて注目を集める。


「動物実験は無事に成功。その次は人体に悪影響が出ないかテストする流れだったよね?」

「それで間違いありません。ですが、ここは機材が不足しているので、本島で実施しなければいけません」


 健人の質問に、政府から派遣された共同研究者の男性が答えた。


「そうすると、作れる人――ミーナと現物を送る必要はあるね」

「それに加えて実用化を急ぐのであれば、こちらから行くべきかと思います」


 交通が制限されている今、今までとは比べ物にならないほどの、東京までの移動時間はかかるようになった。片道で一日以上は時間を消費してしまう。


 魔石を燃料としたエンジンは普及していないため、健人のクルーザーで東京湾まで移動して、そこから名波議員の事務所を目指すのが最も早い方法だろう。


「そうだよねぇ。そうすると名波議員を知っている人も同行したほうが良さそうだし、長期滞在するから護衛も必要か」


 魔物の出現により世界各地で治安が悪化している。それは日本も例外ではない。都心から遠く離れたゴーレム島は平和なままだが、魔物、そして人同士の争いは確実に増えている。


 健人は、そんな場所にミーナを滞在させるのは不安だと感じており、信頼できるメンバーも同時に派遣しようと考えていた。


「戦えるメンツは、俺、エリーゼ、礼子さん、明峰さんの四人。俺は長期間離れられないし、礼子さんと明峰さんはゴーレムダンジョンの警備があって動かせない。すると……」

「私しかいないわね」


 言い淀んでいた健人の言葉をエリーゼが引き継いだ。


「でも、大丈夫?」


 出会ってから常に二人で行動してきた。それがついに別々に分かれなければいけなくなったのだ。一時とはいえ、健人は言葉に表せない不安を抱いてしまい、思わず口に出してしまった。


「そんな不安そうな顔をしないの! ちょっと旅行してくるだけよ!」


 エリーゼは、はげますように健人の背を軽く叩く。


「それとも、私と離れてしまうのが寂しくて、引き留めたいのかしら?」

「え、う、うん」

「あ、本当にそうなの」


 からかうように言って、この場を和らげようとしたが、健人が認めてしまったので上手くいかなかった。

 二人とも顔が赤くなり、黙ったまま見つめ合う。

 数秒後に再起動したエリーゼが、真面目なトーンで話し出す。


「でも、ここは私情をはさむべきではないわ」


 離れたくない。そんな我がままで回復ポーションの実用を送らせてしまえば、その間に死んでしまった人に申し訳が立たない。

 エリーゼの一言によって目が覚めた健人は決心が固まった。


「そうだね。その通りだ。エリーゼ、頼まれてくれないかな?」

「任せて!」

「そうと決まればすぐに行動だ! まずは名波議員に報告しよう。手紙を出しつつメールも送れないか何度もチャレンジするか。返信が来たら、行動開始だね」

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