第99話 富士の樹海

 健人が運転するバイクは、速度はやや抑え気味で心地よい風が二人を包み込む。


「気持ち良いわね!」


 あいにくの曇り空だが気温はやや高く、バイクを乗るには良いコンディションだ。エリーゼは赤信号で停車している間に、ヘルメットを外そうと手をかける。


「気持ちは分かるけど取ったらダメだよ」


 だが、健人に注意されてしまい拗ねた顔をしながら断念した。


「誰も見てないのに」

「エリーゼの身を守るための装備なんだから我慢して」

「むー!」


 心配されてまでワガママは言えない。だが、不満の意思は伝えておきたい。その微妙な気持ちから子どもっぽい態度を出してしまった。完全に健人に甘えているが、二人ともそれが心地よいと、そう思えるほど親密な関係を築き上げていた。


 信号が青に切り替わると慎重にクラッチを操作。今後はスムーズに始動して再びバイクは動き出す。予定通り一時間程度で、富士の樹海付近の駐車場に入る。徐行のまま運転を続けて、道路からは見えないように売店の裏側に駐車した。


 健人は剣を腰につけ、リュックを背負い、体の要所に装着したプロテクターを触って付け心地を確認する。さらに探索中に雨が降っても車体がぬれないようにと、バイクに光沢のある銀色のシートをかぶせた。


「そっちの準備はどう?」

「いつでも行けるわよ」


 エリーゼは弓を手に持ち、深碧の色をした異世界の服を着ており、健人と同じデザインのプロテクターも身につけていた。


 パーティ内で同じ装備をすること自体は珍しくはない。メンテナンスが容易、一体感を出すといった理由が挙げられるが、二人の関係を考えると、それ以上の意味が込められているようにも見える。


 実際、梅澤辺りからは「バッカップルですねぇ」と皮肉を込めて言われるほど、細かい物も含めると、お揃いの道具が増えていた。


 お互いに装備を確認し合うと、駐車場に併設されている売店に入る。中には一人もおらず、本来食品などが置かれている棚は空のままであり、長く使われていないことを物語っていた。


「大分使われていないわね」

「田舎や人の少ない観光地の売店は世界中で放棄されているみたいだよ」


 日本はまだマシだが、海外では陸上の魔物が跋扈しており対処に苦慮している。


 特定の国を持たず、小集団で点在しており、ゲリラ的に人を襲う。常識が通用しない相手であり、いくら強力な武器を持っていたとしても、素の身体能力は魔物の方が上回っているので、負けることも多い。


 そんな事情もあり、放棄される建物はいくつも見られるようになっていた。


「逃げ遅れた人がいなくて良かったよ」

「そうね。それに丈夫そうだし、拠点として使いましょ」


 エリーゼは、壁を叩いて強度を調べていた。


 コンクリートで出来ており、テントや木製の建物と比べて非常に丈夫だ。仮に相手が力自慢のオーガでもすぐに壊されることはない。雨宿りや緊急の避難所として使えそうだと判断して、余剰の装備や食料を隠すように置いた。


「今日は数時間で終わらせて、本格的な調査は明日にするけど、良いわよね?」

「もう昼過ぎだしね。その案に賛成」


 周辺の調査と準備が終わると、散策コースと書かれた看板のある道から、二人は樹海に入る。不吉な噂が多い富士の樹海だが、トレッキングコースとして親しまれる一面もあり、遊歩道を歩いて森林浴や野鳥の観察を楽しむ観光客が訪れることも多かった。


 もちろん、魔物の出現とオーガの目撃によって、今は誰もいない。物音しない静かな原生林の中、木製の板で作られた簡易的な道を歩いている。


 先頭を歩くエリーゼが、ときおり立ち止まると周辺の地面や草木の状態を確認していた。


「この感じ、久々だね」


 道を見失わないようにと、遊歩道に立って周囲を警戒している健人が、少し前の事件を思い出す。


 ダンジョン探索士が行方不明になり、ゴーレム島の雑木林を今のように二人で探索していた。その時もこういったことに慣れているエリーゼが指示を出し、痕跡が残っていないのか調査していたのだ。


「楽しいことなんてほとんど無かったのに、思い出すと何だか悪くなかったと思えるのが不思議よね」


 遊歩道まで戻ってきたエリーゼも同じことを感じていた。限度はあるが、辛かったこと、嫌だったことも振り返ってみれば楽しい思い出に変わっていた。


「そうだね。ほんと、色々とあったね」

「そうね……」


 思い出話に花を咲かせても良いが、今は調査中だ。健人は、話し足りない気持ちを押し殺すことにした。


「それで、調査の結果は?」

「ここら辺が目撃された地点なのだけど、痕跡はなかったわ。古い情報だから、痕跡がないのは不思議ではないのだけど、少し困ったわね。明日は奥に行かないとダメかしら」

「今日はいったん打ち切る?」

「そうしましょ。戻って明日の方針を決めることにするわ」


 次の行動方針を決めた二人は、遊歩道を歩き拠点である売店に戻ることにした。


◆◆◆


 夜になると風が強くなり、気温が一気に下がった。ポツリポツリと雨も降り出しているなか、二人は健人が作った大きめのブランケットを分け合い、電子ランタンを前に膝を曲げて座っている。


「雨、降ってきたね。寒くない?」

「少しだけ」

「こっちおいで」

「うん」


 健人は自身の心音が高まるのを感じながらも提案した。エリーゼは顔をほんのりと赤く染めながら同意して、腰を浮かせて健人との隙間を埋める。


 服の上からでも互いの体温が伝わり、冷え始めていた体がゆっくりと暖まる。


 さらに何か言おうとして健人は口を僅かに動かすが、気の利いた言葉が思い浮かばず口を閉じた。


 物音がしない静かな部屋にガラス窓を叩く雨の音が聞こえる。二人は座ったまま動かず、温かみを感じる橙色の光を発する電子ランタンを一点に見つめたままだ。


「暖かいわね。眠くなっちゃいそうだわ」


 エリーゼは頭を健人の肩に乗せて目を閉じた。


「え? 本当に寝ちゃうの!?」


 まだ明日の予定を話していない。

 仕事を忘れて寝ようとしている彼女を見て慌てていた。


「さー。どうでしょうね」


 そんな声を聞きながらうっすらと笑っている。

 お腹を抱えるほど面白いわけでもなく、心を揺さぶられるような出来事もない。ただ時間だけが過ぎてゆく空間だが、エリーゼとって何ごとにも代えがたい幸せを運んでくれる。


 しかしこのままずっと、堪能するわけにはいかない。物足りないと感じながらも目をゆっくりと開いた。


「明日は、遊歩道から外れて奥に進むわ」


 エリーゼはけだるそうに話を切り出した。


「迷わないように木に目印をつけて進みましょ。この雨で痕跡がなくなってしまうかもしれないから、目撃証言の場所から探索範囲を少しずつ広げて、樹海全体をくまなく探すしかないわね」

「食糧の問題もあるし、最大一週間かな……。次は自転車で行けと言われなければ良いけど」


 それが健人とエリーゼに残された時間だった。今回はバイクで移動できたが、何度も使えるほど物資に余裕はない。次回も移動手段を借りられるとは限らない。


「そうならないように、早く見つけなきゃね。オーガは大きいからすぐに見つけてあげる」

「エリーゼに期待しているよ」

「任せて」


そう言うと、エリーゼは再び目を閉じた。

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