第94話 エピローグ

 寝起きのエリーゼが、あくびをしながら1階に降りてきた。


「また魔物の被害?」


 ダイニングでニュース番組を見ている健人に話しかけると、テレビを消して振り向いた。


「周囲の反対を押し切って漁に出た船が、魔物に沈められたんだって」


 世界規模の魔物襲撃事件発生から約1年。世界中に発生したダンジョンから魔物が外に飛び出すと、動物や建造物を襲撃し、最後は地球上に定着した。


 街から離れれば魔物に遭遇するのも珍しくはない。登山や海水浴といったレジャーは禁止され、街から街へ移動するにも危険が伴う。山奥にある集落のいくつかは放棄され無人となり、ゴブリンなどの人型の魔物が住み着いた。


 ダンジョン探索士などが中心となり討伐を進めているが、魔物の数は減る気配を見せない。気軽に旅行する環境ではなくなったのだ。


「バカねぇ。死ぬほど魚が食べたかったのかしら?」


 エリーゼは話しながら、健人の横にそっと座る。


「一攫千金を狙ったのかもよ」


 需要が高いまま供給が減れば価格は高騰する。今や魚は高級品として高値で取引されていた。


「だとしても無謀すぎよ。変化についていけない人が、これほど多いとは思わなかったわ」


 ダンジョン、魔物の発生により常識は変わった。


 海上運送による輸出入は大きく制限され、航空運送によって少量の海外商品をなんとか輸入している状態だ。だが空中で魔物に襲われる場合もある。不安定で不十分な量しか確保できない。


 もちろんそんな貴重品を一般市民が手に入れるのは不可能だ。ごく一部の人間を除いて、島国である日本では国内生産、消費が当たり前になっていた。


 だが残念なことに、その事実を受けいられない人間も一定数存在する。現状を正しく理解できない。いや、現実を直視したくない人間が、無謀な行動を起こして魔物に襲われる事件が多発していた。


「現代人にとって、電気やガスは欠かせないものだったからね」


 海上輸送が制限されたことで石油が不足。また発電所や電柱などが破壊されて電力も不安定になった。今まで当たり前のように使っていたエネルギーが、ある日突然、使えなくなったのだ。


 当時はオイルショック以上の混乱が発生したほどだった。


「代わりとなる魔道具が実用化されて安心したよ」


 だがそれもエリーゼの世界でエネルギー資源として使われていた魔石と、それを利用した魔道具によって、現在は沈静化している。魔物の発生源として封鎖される予定だった新宿ダンジョンは、魔石発掘所として存在を許され、ダンジョン探索士が毎日のように訪れている。


「私は武器の規制が緩和されて安心したわ。攻撃手段は多いに越したことはないわ」


 さらにもう一つ大きな変化もあった。

 ダンジョン探索士だけだが、武器の所持が認められたのだ。


 個人用に威力を落とした魔石爆弾から魔物討伐用の銃器まで、ほぼ全てのダンジョン探索士が何らかの武器を所有することになった。むろん街中で使うのは禁止されているが、町外れに出現した魔物の討伐やダンジョン付近――特区内であれば利用制限はない。


 説得も交渉も意味をなさない。人類共通の敵が登場したことにより、暴力の価値が上がったのだ。この世界から魔物が駆逐される日まで変わることはないだろう。


「そろそろゴーレムダンジョンの運営は再開できそうだし、このタイミングで緩和されたのは良かったかも」

「……再開日は決まったの?」


 新宿のダンジョンの探索は再開されたが、ゴーレムタンジョンは閉鎖されたままだった。海が魔物に支配されて船の往来が困難になり、ダンジョン探索士がたどり着けないからだ。


 ゴーレム島に滞在していた人間は家族の安否の確認や入院のため、または魔道具を本格的に開発するために本島へ戻り、賑やかだった場所も今は2人っきりの生活が続いている。


「うん。ヴィルヘルムさんが頑張ってくれたおかげで、来週には再開できそうだよ」


 魔石の需要は増える一方だ。生産量を上げるためには、ゴーレムダンジョンの再開は必須。対魔物用の装備の開発が完成すると、日本政府はどこよりも先にゴーレム島を行き来する定期船に使うこと決めていた。


「この生活も終わってしまうのね」


 エリーゼは小さな溜め息とともに力なくつぶやいた。

 出会った頃のようにゴーレム島で2人で生活し、ダンジョンを探索する日々。変化のない退屈な日常ではあるが、エリーゼにとって幸福な時間だった。


 これが5年、10年と続けば飽きてしまうが、もう1年ぐらいはこのままでいたい。世界中が混乱している最中、エリーゼはそんなことをのんびりと考えていた。


「俺だってもう少しこの生活を堪能していたいよ。けど効率最優先で魔石を集めて欲しいって、名波議員からの催促がうるさいんだよ」


 魔物がインフラを破壊した影響は未だに色濃く残っている。インターネットは常に不安定で、特に海外の情報は手に入りにくくなっている。電話も時折つながらなくなる。


 そんな状況下でも、名波議員は毎日のように健人に連絡していたのだ。各所からせっつかれている彼女は、周りが見えなくなるほど焦っていた。


「また、あの女ね……私にとっては疫病神よ」

「彼女にとっては俺たちが疫病神かもよ?」

「お互い様って言いたいの?」

「今は人間同士でいがみ合っている余裕なんて無いからね。妥協は必要だよ」

「そうねぇ」


 世界中で未だかつて無いほどの変革を求められている。誰も彼もが今を生きるので必死で、余計な争いをする暇などないのだ。時には過去を忘れて前に進む必要がある。


 健人に言われるまでもなく、エリーゼも理解している。だからこそ反論は諦めたが、納得は出来なかった。


 心から漏れ出したかのように、ぼそりと不満を口にする。


「……人生は長いんだから、もっとゆっくりすればいいのに」

「誰もがエリーゼみたいに、長生きできるわけじゃないからね」

「それはそうなんだけどね。やっぱり私は、この生活をもっと楽しんでいたかったわ」


 エリーゼは小さな溜め息を吐き出してから頭を健人の肩に預ける。

 脱力しきった姿を見て健人は小さく笑うと、彼女のやる気を出すために提案をする。


「その気持ちも分かるけど、今はこの貴重な時間を楽しもうよ。そうだな、具体的には畑の手入れを手伝って――」

「いいわね!」


 発言した健人が驚くほどの勢いでエリーゼが立ち上がった。

 先ほどとは違い、瞳が力強く輝いているように見える。


「私が育ててるキュウリちゃんの成長を確認しに行きましょ!」


 エリーゼは健人に教わって興味を持った家庭菜園を続けていた。今では育てている野菜に敬称を付けてしまうほど、のめり込んでいる。それは想像を彼の想像を超えるほどだった。


「まって!」


 一人で飛び出してしまったエリーゼの後を健人が追う。世界は大きく変わってしまったが2人の関係は今まで通だ。


 ゴーレムダンジョンの再開までまだ時間は残っている。この小さな島で邪魔されず、ゆっくりと暮らす日々が、今日も、明日も続いていく。

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