第88話 ゴーレム島に帰れない
ボートに乗り込むとすぐに離岸し、命からがら逃げだした健人たちは、マナウスに向けてネグロ川を移動していた。
「それで日本……いや、ゴーレム島は大丈夫なのでしょうか? 魔物があふれ出ている状態になっていませんか?」
魔物が世界中に出現したと知ってから、健人はゴーレム島に残したメンバーのことが頭から離れなかった。
「ゴーレムダンジョンから魔物が出てくる気配があったそうです。ですが、その場に居たダンジョン探索士と礼子さんたちが協力して、出入り口を封鎖して閉じ込めています」
「そっか……それは、良かった」
報告を聞いて安堵した健人が大きく息を吐く。
鈴木はあえて説明しなかったが、新宿ダンジョンも同様の状況だ。小鬼のゴブリン、イノシシ頭のオークといった亜人型の魔物が、外に出ようとダンジョンの入り口に殺到していた。
現在は、ダンジョン探索士を筆頭に水際で食い止めている。銃器も投入しているのでゴーレムダンジョンより状況は安定していた。
「ですが、海から出現した魔物によって各地で被害が出ています」
「各地ということはゴーレム島も?」
無意識のうち身体能力を強化した健人が、鈴木の肩をつかんで詰め寄る。
「それは分かりません。名波議員も連絡が取れないと困っていました。それになぜか数時間前から携帯電話が使えず、ネットも不安定な状況なので戻ってもすぐ分かるかどうか……」
痛みのせいで返答できない鈴木の代わりに、田尻が携帯電話をポケットから取り出す。ディスプレイには、圏外を示すアイコンが表示されていた。
「まずはマナウスに戻りましょ。話はそれからね」
険しい表情をしたエリーゼが健人を引き離す。ようやく解放された鈴木は肩を押さえていた。
「みんな戦えるし、強い人たちよ。きっと大丈夫」
ゴーレム島を守るために戦っている仲間のことを思いながら、エリーゼは健人に言い聞かせるようにつぶやいた。
◆◆◆
宿泊していたホテルに戻ると、鈴木が情報を集めるためにフロントへと向かう。従業員と何度か言葉を交わしてマナウスの状況を知ると、残っていたメンバーに報告を始めた。
「観光客はすでに空港に殺到しているようです。他にも仕事で赴任していた人も帰国しようと集まているので、飛行機で戻ろうにも数日は待つ必要がありそうです」
陸の孤島マナウスの移動手段は飛行機だ。観光で来ていた人々は、自然と空港に集まっている。すでに空港の許容量を超えており、床で寝泊まりする準備が出るほどだ。
今から健人たちが向かったとしても長い順番待ちが待っているだけで、今日中に飛行機に乗れる可能性は限りなく低い。
「それじゃ遅いわ。他に方法はないの?」
「水路を使ってベレンに向かう方法もありますが……」
「アマゾンを横切るのね」
エリーゼは指でこめかみを押さえながら、ジャングルに近づくことのリスクを検討する。
「テレビは映らない。携帯電話は未だに圏外……」
ジャングルで発生した氾濫の影響で、高濃度の魔力がマナウスをすっぽりと覆った。その結果、電波が遮断されることとなり、昨日から携帯電話やテレビが使えない状態が続いている。
「さらにネットや電気は不安定……」
魔物の侵攻とも海に出現した魔物が、大陸間をつなぐファイバーケーブルを切断したことにより、他大陸との通信が遮断されていた。
また発電所といったインフラ施設を優先して襲撃している。各地で電力が不安定になり、一部地域では停電が続いていた。
狙いすましたように重要な施設を襲っているのだ。
「状況は悪いね」
「ここに限っていえば、もっと悪くなるわ」
「悪くなる?」
「魔力の濃度が濃いってことは、ここにいる動物もそのうち魔物化するってことよ。それともジャングルから魔物が来るのが先かしら?」
魔境の影響は小さな生物から始まる。まずは昆虫などが巨大化し、体内に魔石を持つようになる。さらに数年単位で滞在していると、大型の動物にも影響が出始める。
エリーゼが住んでいた世界では常識であり、魔境に住もうとする人間は一人もいなかった。
「どちらにしろ、ここは魔物に飲み込まれる運命よ。ゴーレム島の状況も気になるし、一刻も早くこの場を立ち去りたいわ」
「多少のリスクはありますがボートもありますし、水路を使うのがベストだと思います」
「仕方がないわね。ここで数日足止めされるより、その方が安全かもしれないわ。水と食料を補給したら、すぐに出発しましょう」
話を聞いた鈴木、田尻が準備に動き出そうとするが、
「エリーゼ」
動き出す2人を健人が止めた。
その声は小さかったが、雑音の多いホテルのラウンジ内でもエリーゼの耳に、はっきりと届いた。
「また、俺たちだけ逃げるの?」
エリーゼを見つめる健人は、泣いているとも怒っているともとれる曖昧な表情を見せている。
「…………」
目を閉じれば、魔物に食べられた女性の顔が浮かんでくる。
夢で出てきた人たちが健人を罵倒する。その姿、言葉が幻だったとしても、他人を犠牲にして自らの命を守った事実を消すことは出来ない。
健人はこの気持ちが自己満足だと理解しているが、犠牲にした過去を無駄にはしたくはなかった。
無言のまでいるエリーゼを見つめて、健人が再び口を開く。
「あの時は、仕方がなかったかもしれない。でも今は違うよね」
「そうね。どこまでやるつもり?」
エリーゼもその考えは理解している。問題は線引きだ。貴重な時間をどこまで使うのか、それを事前に決める必要があった。
「俺だって、ここが危険だと分かっている。ゴーレム島に早く戻りたい……だから、ジャングルで撮影した写真を見せて警告するってどうかな? ジャングルにも魔物がいるぞって」
「それで良いの?」
「…………うん」
「それなら、私がフロントで話しかけてみるわ」
「ありがとう」
言語チートを持っていない健人は日本語しか話せない。警告するにしてもエリーゼか、鈴木の力を頼るしかなかった。
「その代わり健人もちゃんと働いてね」
健人は力強くうなずくと、鈴木と田尻と共に車に乗り込み、市内へと向かった。
◆◆◆
スーパーの近くに停止した車で健人が目にしたのは、一見すると平穏な都市の姿だった。
観光客の姿は見かけないが、それだけだ。逃げまとうような人間もいなければ、暴動も起きていない。だがそれも車を降りてスーパーに入ると一変する。
「ほとんど残っていないですね」
生鮮食品からお菓子まで、ほとんどの棚が空になっていた。
「健人さん。あの紙には”お1人様1個まで”と書かれています。あ、そっちは”完売しました”と書いてありますね」
鈴木が読み上げた紙には、書きなぐった文字が書いてあった。他にも散らかったカートなど、少し前まで客が殺到していた名残がいたるところにある。
「混乱が一段落した後って、ところでしょうか。出遅れましたね。田尻、念のため残っている食品がないか探してくるんだ」
「はい!」
田尻がカゴを片手に持って、スーパーの奥へ歩いていく。
「早く戻りたいですし、手分けして探しませんか?」
「それが良いですね。健人さんは車で市場に行ってください」
健人は鈴木から車のカギを受け取る。
「私と田尻は、周辺にあるお店に入って食材を探します。お互いの用事が終わったら、ホテルに戻って集合しましょう」
方針が決まったところで、田尻が戻ってくる。空のカゴから、成果がなかったことが一目で分かった。
「健人さんは市場、俺らは近くの店を当たることになった。行くぞ!」
鈴木に引っ張られるようにして、2人はスーパーから出て行った。
「……言葉の壁は超えられるかな?」
異国の地で初めて1人になった健人がつぶやく。だが、エリーゼのことを思えば弱音など吐いていられない。健人は、ほほを叩いて気合を入れると、市場に向って歩き出した。
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