第79話 マナウス滞在1日目
鈴木と田尻が退出し、ホテルの広い部屋で2人きりになる。
やることもなく旅行の荷物を片付けて時間をつぶしていたが、延々と続けられるものではない。何を思ったのか作業が終わると、エリーゼがキングサイズのベッドにダイブした。
「一度、これをやってみたかったのよね」
ベッドの上でゴロゴロ寝転がりながらその広さを満喫し終わると、飛び跳ねてベッドの上で何度もジャンプする。
健人はマナー違反だと注意しようとしたが、あまりにも楽しそうにしているので、開きかけた口を閉じてしまった。
「今後の予定を決めるわよ」
ベッドを堪能したエリーゼは、胡坐をかいて話しかける。先ほどの子どもっぽい雰囲気はなくなり、落ち着いた声で健人を手招きしている。
断る理由が思いつかない健人は、エリーゼの言葉にしたがいベッドの端に腰かけた。
「3日後のジャングル探索までには、ロングソードに慣れておきましょ」
「そうだね。早速、練習する?」
「今日は休んだ方がいいわ。健人こっちにおいで」
そういってエリーゼは足を延ばして、自らの太ももを軽くたたく。
「いいのかな。ゆっくりしちゃって……」
健人は膝枕のサインに気づいているが、甘えるような気分にはならなかった。
鈴木の話を聞いてしまったら、それも当然だろう。想像していた以上に、様々な人間が健人のゴーレムダンジョンに期待をしている。それは健人に嬉しいことばかりではない。大きな圧力となり、気分を暗くさせていた。
「ほら、こっちにきなさい!」
一向に動こうとしない姿を見かねてエリーゼが強引に引き寄せ、健人の頭を膝の上に乗せる。顔が、エリーゼの太ももの付け根に近づく。ふんわりと甘い香りを吸い込むと、健人の体から力が抜けていった。
「バカねぇ。さっきの話を気にしてたのね」
優しい手つきで健人の髪をなでた。
どんなことに悩んでいるのか聞くまでもない。一緒に行動しているエリーゼは、健人の心情を正確に把握していた。
「あの話、気にする必要ないわよ。誰が期待しようが、私たちがやることは変わらないでしょ?」
「ダンジョンを安定して運営させることだよね」
「違うわよ? そんなこと、どうでもいいじゃない」
思わぬ否定に思わず健人は「えっ」と言葉を詰まらせる。
健人たちが今目指しているのは、魔道具が普及だ。そのためのダンジョン運営であり、ひいてはエリーゼの長い人生においても必ず役に立つと、健人は考えている。
そんなダンジョン運営を「どうでもよい」と言われてしまえば、健人が驚いてしまうのも無理はない。
「確かにダンジョンを長く安定して運営するのは重要よ。でもね、それよりもっと大事なことがあるじゃない」
とはいえ、エリーゼもダンジョンの重要性は理解している。ただそれ以上に大切で譲れないものがあるから、健人の意見を否定したのだ。
健人は必死に答えを導き出そうと頭を回転させるが、先ほどの考えた以上のものは出てこなかった。
「もぅ、本当に気付かないの? 私たちが一緒にいることよ!」
痺れを切らしたエリーゼが、顔を赤くしながらも大き目な声で宣言する。
「それは分かっているよ。一緒にいることは大事だ。だからこそ、お金を生み出すダンジョン運営が必要なんだ」
健人だって同じ想いだ。だが一緒に居たいと想っただけで願いが可能ほど、現実は優しくない。
「それを分かった上で、言っているのよ」
エリーゼもお金が必要なこと、立場を安定させる必要性は理解しているが、それでも意見は変わらない。2人の間に価値観の違いがあるからだ。
「長い時を生きるエルフにとって、若い時の思い出はすごく大事なの」
「どういうこと?」
人間とエルフ。姿形はほとんど同じだが、寿命は大きく異なる。それが価値観に大きく影響していた。
「エルフはね。歳を重ねると、思い出の中で生きるようになるのよ。それがいつになるかは分からないけど、過去を振り返る時間が増えて時が止まるの。若い頃を懐かしむ時間が増えるのよ」
情熱を燃やしたまま生き抜けるほど、エルフの一生は短くない。必ず、情熱は失われて立ち止まってしまう。しばらくするともう一度走り出すこともできるが、それも2回、3回と続けば完全に失ってしまう。
人間ですら年を取ると過去を振り返ることが多くなるのだ。寿命の長いエルフであれば、過去に縛られてしまうのも不思議ではない。
「人間に迫害された経験を持つ長老たちは、可哀想だったわ。だって、悲劇と憎しみに囚われて生きているのだから」
人間に追われ、森の中で住むようになったエルフ。その第一世代は、エリーゼの世界で今もなお生きている。
エルフでも「長老」と呼ばれるほどの長い人生だが、その多くの時間が人間への敵意と憎悪で埋められていた。
エリーゼはそんな姿を見て、哀しさと共に「ああはなりたくない」。そう思っていた。
「私は、そんな生き方は嫌よ。健人が年を取って死んで一人になっても、思い出の中であなたと一緒に居たいの。
一日の最後の終わりに、あなたと過ごした日々を思い出してから、眠りにつきたいのよ。お願いだから、私と一緒にいることを優先して。そうしてもらえるのであれば、他に何もいらないわ」
エルフの種族特性として、過去だけを見て生きる日々がいつか必ず来る。それが変えられない運命なのであれば、振り返る過去を暗いものではなく、健人との楽しい思い出で満たすと決意していた。
「私とダンジョン運営……ううん。私と何かを天秤にかけなければいけなくなった時、必ず私を選んでもらえないかしら?」
健人はゆっくりと体を起こして顔を見る。
声色で予想出来ていたが、エリーゼは泣きそうな表情をしていた。
「もちろん。どんなことがあっても必ずエリーゼを選ぶ。この約束は、絶対に破らないよ」
「大好き!」
嬉しさのあまりエリーゼが健人に抱き着き、そのまま2人もベッドに倒れてしまった。
「俺は……ダンジョンを運営することに執着しすぎていたのかもしれない」
「そうよ! 人の事情なんて関係ないわ! 期待するのも失望するのも勝手にさせればいいのよ!」
健人は落ち着かせようとエリーゼの背中をさする。
「そうだね……他人の事情なんて忘れるよ。エリーゼのためだけに生きるよ」
その一言を最後に抱き合ったまま、しばらく時を過ごし、
「外に出かけるわよ!」
温もりを十分に堪能したエリーゼが、勢いよく立ち上がる。
ベッドマットが動き、健人の腰がわずかに浮いた。
「元気になった?」
「それは私のセリフよ!」
エリーゼが差し出した手を取り、健人が立ち上がる。すぐに携帯電話を取り出すと、鈴木に「観光に出かける」と伝えた。
◆◆◆
ホテルのロビーで鈴木と合流した2人は、車に乗ってマナウスの中心部まで移動した。
「それじゃ、帰る時に電話しますね」
鈴木はうなずくと車の窓を上げ、2人を置いてホテルへ向かって走り出した。。
「これでまた2人ね!」
上機嫌なエリーゼが腕を絡めてきた。
健人は腕に当たる柔らかい感触に驚きながらも、いつもより積極的なエリーゼに嬉しさを感じていた。
「どこか行きたいところある?」
「健人にエスコートして欲しい気分なの」
「それなら市場に行ってみよう」
事前にホテルのパンフレットを確認していた健人は、迷うことなくアドルフォリスボア市場の前まで案内した。
「きれいな建物ね」
アマゾンのイメージとかけなはれた、ヨーロッパ風の建物が目の前にあった。
本場のアサイージュースを飲みながら中に入ると、雰囲気が一転して市場の熱気に包まれる。肉類や野菜などが所狭しと並べられているが、特質するとすれば魚類だろう。
アマゾンで採れた貴重な魚――ピラニアやピラルクーといった、珍しく日本人の感覚からすると少しグロテスクな魚が売られている。しかもそれが、山のように積み上げられているのだ。異世界のように感じられる市場に、健人は圧倒されていた。
「売っている魚が日本と違いすぎるわ。なんとなく、私の世界に似ているかも?」
「そうなの?」
「凶暴そうな見た目って、意味でね」
初めて訪れた場所、いつもとは違う魚。エリーゼの好奇心を刺激するには、十分な条件がそろっていた。
健人はエリーゼに引っ張られるように歩き、売られている様々な食材を目にし、簡易レストランでアマゾン料理を恐る恐る食べることになる。もちろん、言い出したのはエリーゼだった。
「他の場所も見てみたいわ!」
エリーゼのお願いを実現するべく次に向かったのは、アマゾナス劇場だ。19世紀末に建てられたイタリア・ルネッサンス様式の美しい建物は、エリーゼと健人を魅了する。
「記念撮影しましょ」
「そうしようか」
思い出として残すには良い場所だと感じたエリーゼ。道を歩いている地元の女性に声をかけると、アマゾナス劇場を背景に写真を撮影する。
「ありがとう!」
笑顔でスマートフォンを受け取ると、さっそくSNSへアップロードする。
撮影に協力した女性が、その姿を真剣な眼差しで見つめていたかと思うと、エリーゼに近寄り話しかけた。
『エリーゼさんのファンなんです! 一緒に写真を撮ってもらえませんか?』
『いいわよ』
SNSに写真を投稿してから、世界中至る所にエリーゼのファンがいる。この女性もその一人だったのだ。
「健人―! 写真を撮ってもらえない?」
「……うん」
日本語とポルトガル語を使い分けるエリーゼに「言語チート便利だな」と感想を抱いて反応が遅れた健人だったが、無事にカメラマンとしての役目を終えることができた。
「今日は気持ち悪い魚も見たし、美しい建物も見た。さらに記念写真もできたわ。いい一日ね!」
笑いかけるエリーゼ。
健人はこの瞬間、他人の期待も依頼の悩みも全て忘れることができた。
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