第50話 取材の準備

 地下通路から地上に出ると寄り道をせずに車に乗り込み、記者に会うため名波議員が用意した会場まで移動する。


 車から降りた健人とエリーゼは、護衛に前後を挟まれるような形で都内にある高層ビルに入る。通り過ぎる人の中にはエリーゼの耳に気付くこともあったが、護衛の迫力に負けてしまい、声をかけることなく遠目から見るだけだった。


 エレベーターに乗って15階で降り、そのまま細い通路を通って控え室まで案内される。部屋には、小さなテーブルがあり、壁に取り付けられたメイク用の鏡と物置、イスが数脚あった。


「ここでメイクをしていただいてから、衣装に着替え、取材会場に移動したいと思います。記者は2名。それぞれの取材時間は30分を予定しています。我々は外で待機しているので、準備をお願いします」


 必要なことを一気に口にして伝え終わると、護衛の2人は部屋から出て行き、入れ替わるようにメイク道具と取材用の衣装を持った女性が入ってくる。


「初めまして。本日のメイクを担当する金山です」


 やや高く明るい声で挨拶をした金山は、金髪のベリーショートに両耳に合計6つの銀色に輝くボタン型ピアスをつけている。さらに服装は、ペンキで塗ったような文字が書かれた白いTシャツに、ところどころ破けているダメージジーンズを履いている。見た目に気を使う職業ならではの雰囲気をまとった個性的な女性だった。


「メイクのことは良くわからないから任せたわ」


 普段からメイクをする習慣のないエリーゼは、興味なさそうな顔をしていた。


「任せてください! それでは、こちらのイスに座ってお待ちください」


 そんな表情に気にすることなく、元気が溢れ出したような声で鏡の前まで案内する。


 エリーゼが、指定されたイスに座ると正面にある鏡と向かい合うことになり、自身の顔を見つめることになった。何もすることがないので、じっくりと自分の容姿を確認する。ここにきてから髪には艶が出ており、睡眠、食事も十分取れているので肌の艶も前より出ている。これも満ち足りた生活をしているからだろうか? そうやってエリーゼが、見た目の変化を考察していると、鏡越しに金山の姿が視界に入った。


「始めますね」


 道具箱を鏡の下にある物置に置いてから、エリーゼの顔に触りメイクを始める。


「うぁー。肌綺麗ですね! 肌も綺麗だし羨ましいです! これは10代前半といわれても不思議じゃないですよ!」


 エリーゼの実年齢は健人よりやや上だが、肌や髪の潤いなどは10代の少女を彷彿とさせるほど若々しく、特に肌はシワやシミといったものが一切なく綺麗だった。数百年を生きるエルフだからこそ、エリーゼにとっては当たり前のことだが、普通の人間にとっては驚くべきことだった。


「耳の形と顔のバランスも整って、そこら辺にいる人じゃ太刀打ちできないほど美人です!」

「…………」

「足もすらっと長く、スタイルも良いし羨ましいです。エルフの方って皆スタイル良いんですか?」

「…………」


 下地を塗りながら話しかけてくるが、エリーゼは黙っているため、大きな独り言になっていた。


「ところで今回は、大人な女性がテーマなんです」


 何度話しかけても反応しないため、金山は話題を変えることにした。


 エリーゼという素材……ファンタジー世界のエルフが現代社会の象徴とも言えるスーツを着る。ギャップを狙ったコンセプトのもと、メイクや衣装が用意されていた。


 もちろん、そのようなことを考えたのは名波議員であり、健人達はこの場で初めて、そのようなコンセプトの存在を知ることとなった。


「髪につけているヘアピンは、少し子供っぽいので外しませんか?」

「ダメよ」


 自身の観察も終わり、ぼーっと鏡を見つめていたエリーゼが即座に拒否する。あからさまに拒否されるとは思わなかった金山は、今まで淀みなく動いていた手が止まってしまった。


「ですが、今回の衣装はスーツですので――」

「どうしても外せというのであれば、帰るわ」


 不快な気分を隠すことなく、相手の声にかぶせるように、鏡越しに見える金山をにらみつけて冷たく言い放った。


「…………」


 取りつく島もない明確な拒絶に、手だけではなく口すら動かなくなる。だがそれは「困っていから黙っている」のではなく、エリーゼの要望に応えながら、どうやって大人っぽくするか、必死に考えているための沈黙だった。


「ご要望は承りました。ヘアピンはつけたままでメイクを進めます」

「ええ。それでお願いするわ」


 金山の回答に満足してうなずく。


「今つけられているヘアピンは大事にされているんですね」


 メイクには興味を持たないエリーゼが、ヘアピンにだけは非常にこだわりを持っていることに、疑問を抱いた金山が質問をした。


「そうね。私にとってはとても大切なものよ」


 一緒にヘアピンを作ったことを思い出して、思わず笑みがこぼれる。不意に出たその笑みに心を奪われ、金山の手が動きだすのにしばらくの時間を要した。


 しばらくしてから再起動した金山は、無駄に時間をかけてしまったメイクを手早く済ませると、テーブルにかけかけてあった衣装を手に取り、エリーゼの前に持ってくる。


「取材用の衣装です。このスーツに着替えてもらえますか?」


 スーツを受け取ったエリーゼが立ち上がり、上に来ていたロングTシャツに手をかけたところで、ドアが開く音が聞こえた。


「俺は部屋の外で待っているから」


 先ほどから空気の様に立っていた健人は、一言つぶやくと振り返りもせず外に出てしまった。


「……別にいてもいいのに」

「え? 何か言いました?」

「何でもないわ。さっさと着替えましょ」


 ふてくされたような顔をしながらTシャツとジーンズを脱ぐと、白い素肌を強調するような黒い下着が露わになる。細かい刺繍やレースのついた大人の女性を演出するような下着は、出会った頃に健人が慌てて購入した下着だった。


 優しくブラジャーを触ってから、体のラインが分かるくらい体にぴったりと張り付く、白いシャツとグレーのパンツスーツを着て、最後にパンプスを履く。着替えた姿を鏡で見ると、就職活動をしている大学生……いや、もうすぐ成人式を迎える大学生の様に見えた。


「うぁー。これは想像をすごいですね……同性の私でもドキドキしちゃいます」


 幼さを残した顔とスタイルの良い体を強調するスーツ。そして、異世界人を象徴する長い耳。エリーゼのスーツ姿に魅了された金山は、現実と非現実の境界線があいまいになったような感覚に陥っていた。


「そうかしら?」


 他人が下す見た目の評価が気にならず、なぜそこまで褒めるのか理解しようともしなかった。


「それより、何かと動きにくい服装ね。何かあった時に困りそうだわ」


 都心のど真ん中。さらに取材用の部屋で、エリーゼが懸念するような何か――戦闘が発生する可能性は低く、無駄な心配をする。長い間、警戒して生きてきたエリーゼにとって動きやすさは重要だ。動きにくい服装は落ち着かないと言わんばかりに、身体を動かして可動範囲を確かめていた。


「たぶん……取材のときは体を動かすことはないと思います」


 ついにシャドーボクシングの様に戦闘を想定した動きをしだしたエリーゼを止めることができず、口から洩れた弱弱しいつぶやきは、拳が風を切る音によって消えてしまった。


「そろそろ行きましょうか」


 数分間、止まることなく動き続けて満足すると、ドアの方に向って歩き出す。その顔にはうっすらと額に汗が浮かんでいた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌ててエリーゼの手を取ってメイクをしていた場所まで戻る。準備運動のせいでメイクと髪型が崩れていたため素早く直す。


「この程度なら誰も気づかないわよ」

「いいえ。気づきますから! 私は気づきましたから!」

「あなたが細かいだけよ……」

「素材は良いのですから、見た目に気を使わないともったいないですよ!」


 外見について正反対の意見を持つ2人は、主張を譲り合うことはなかった。

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