第45話 出張

「良い機会だから、エリーゼさんと東京に来なさい。彼女、喜ぶと思うわよ」


 昨晩、電話を切る直前に名波議員が発した一言が決め手となり、健人は東京へ出張することを決める。その判断は間違っていなかったようで、2人で出張すると伝えると、エリーゼは飛び跳ねるように喜び、さっそくタブレットをつかって東京の観光スポットを探し始めた。


 あくまで出張の目的は、ゴーレムダンジョンの一時閉鎖の説明と、今後の対策について協議することだ。当然エリーゼも浮かれている場合ではないと理解はしているが、感情まではコントロールすることはできず、東京に出張することが楽しみで仕方がなかった。


 名波議員らが東京までの移動手段を1日で用意すると、礼子と明峰にゴーレムダンジョンのドアの警備を頼み、電話があった翌日にはゴーレム島から出発し、数十分後には漁船が多く停まる港に到着していた。


「あなたが清水健人さんですか?」


 クルーザーを係留しようと健人が降りると、背後から声がかかる。

 不意に自分の名前を呼ばれ振り返ると、田舎の港には不釣り合いな、シワ1つないスーツと格闘技をやっているようなガッシリとした体格、坊主頭にサングラスと、立っているだけで威圧感がある男性が2人立っていた。


「どちら様でしょうか?」


 顔見知りでもなければ、この港の関係者でもなさそうな男性の登場に、襲撃されたことを思い出し、いつでも戦えるようにと身構える。相手が一歩で動き出そうとしたら、戦うつもりでいた。


「…………名波議員から、護衛について聞いてないのでしょうか?」


 警戒する健人を見て、スーツ姿の男性が「まさか」と言ったような驚いた表情をしていた。


「……何も聞いてないですね……」


 昨日の電話で、移動手段を用意したとは言っていたが、人を派遣したとまでは聞いていなかった。


「ちっ。またか!」


 イラついた様子で携帯電話を取り出すと、電話をかけ二言三言言葉を発し、健人に電話を差し出す。


「名波議員の秘書の方です。少し話してもらえませんか?」


 電話を受け取ると、何度か話したことのある名波議員の秘書の声だった。彼から、エリーゼを護衛するために政府が派遣した護衛と説明され、事情を理解すると受け取った携帯電話を返す。


「誤解してしまい申し訳ありません。私が清水健人です」

「いえ。警戒するのは当然でしょう」


 多少の行き違いはあったが、和やかな雰囲気で握手を交わす。


「エリーゼ! こっちに来てくれ!」

「今、行くわ!」


 クルーザーから声が聞こえて数秒で、エリーゼが姿を現わす。動きやすいジーンズとスニーカを履き、Tシャツの上にカーキー色のカーディガン。黒い布を巻いた弓を背中に背負っている。


 髪からエルフを象徴する長い耳が飛び出しており、現実と非現実の境界線にいるような雰囲気をまとった彼女に、スーツ姿の男達は目を奪われていた。


「…………耳は隠さないのですね」


 エリーゼがこちらに歩いてくることで、我に返って質問をする。

 帽子、サングラス、マスクといった簡単な変装はしてくるだろうと予想してい護衛は、無防備にも耳を出しているエリーゼに驚いていた。


「はい。もう、隠す必要はありませんから」


 エルフがいることは公表され、すでにエルフだと隠す意味は薄れていた。エルフだとバレれば、街行く人に囲まれる心配もある。だが、そんなことより、ゴーレム島からほとんど出ることのないエリーゼには、堂々と観光を楽しんでもらいたいと思い、変装せずに東京に行く予定だった。


「名波議員からエリーゼさんの護衛を任された鈴木です。後ろにいるのが田尻です」


 エリーゼが健人の隣にまで移動すると、2人に対して頭を下げて挨拶をする。


「あの人も気が利く時があるのね……」


 襲撃された時の印象が強く、日本政府に対してマイナスイメージを持っていたエリーゼは、細かい気配りをしてもらえることに驚いていた。


「こちらこそ、よろしく頼むわね」


 初対面の人間にやや警戒しながらも右手を差し出し握手を交わす。


「向こうに車を止めています。ご案内するので付いてきてください」


 流石プロというべきか、表面上は冷静を装ってすぐさま手を離すと、案内をするために健人とエリーゼに背を向けて歩き出す。


 少し離れたところで周囲を警戒していた田尻だけが、いつもは無表情でいる鈴木の口元が緩んだ顔を見ていた。


「鈴木先輩みたいにエリーゼさんと握手したかったなぁ……」


 慌ててクルーザーに戻り、キャリーバックを持ちながら後を追う健人達を守るように、最後尾を歩いている田尻が、誰にも聞かれないような小さな声でつぶやいていた。


 田舎では目立つ黒塗りの高級外国車の後部座席に乗り込むと、空港へと向かい走り出す。このまま一般人と混じって飛行機に乗れば混乱は避けられない。健人と違い名波議員は慎重に判断した結果、プライベートジェット機をチャーターしていた。


 興味深そうに窓を眺め、時折、健人と会話をする。そんな和やかな空気のまま車から降りて空港に入る。左右をスーツ姿の男性に囲まれるように歩く男女。その異様な空気を察してか、飛行機の発着を待っている一般客が近寄ることなく、無事にプライベートジェット機に乗り込むことができた。


「これが、飛ぶのね。不思議だわ」

「俺も飛行機に乗るたびに不思議に思うよ」


 ゆっくりと動き出した飛行機が滑走路を移動し、決められた場所で停止する。低く唸るようなエンジン音が聞こえ、機体を振動させると次の瞬間には勢いよく走り出し、ふわっと体が浮いたかと思い窓を見ると、すでに空を飛んでいた。


 急に襲い掛かった浮遊感に思わず、ぎゅっと健人の手を握ったエリーゼだが、無事に飛び立ち、機体が水平になり安定飛行になると、一気に気持ちが高揚する。


「健人! 健人!」


 エリーゼが、飛行機の窓を除きながら、服の袖を引っ張り、名前を連呼している。誰が見ても明らかに、メーターが振り切れていると思えるほど興奮していた。


「私、空を飛んでいるのね!!」


 エリーゼの世界では、羽のある魔物を調教して空を飛ぶこともあったが、ごく一部の選ばれた人間だけの特権であり、エリーゼは一度も空を飛んだことがなかった。憧れの空を飛んでいるとなれば、興奮するなという方が無理な話だろう。


「鉄の箱が空を飛ぶなんて不思議! ねぇ。なんで飛ぶのかしら?」


 足をばたつかせるようにして、ずっと窓の外を見つめていたエリーゼが、健人の方に振り返る。


「うーん。確か飛行機の――」

「ストーップ! やっぱり言わないで! 今度、自分で調べるわ!」


 上を見つめて古い記憶を思い出そうと必死に記憶を漁っていると、答えを出す前にエリーゼが健人の口を押させるように手を当てた。


「良いの?」


 予想外の行動に驚きながらも、口に当てられた手をそっと握り、優しく誘導するように降ろし、疑問を口にする。事前知識もない状態で飛行機の仕組みを調べようとすれば、それなりの時間がかかる。


 今すぐ全てを説明できるわけではないが、それでも一緒に調べるなど、協力できることはあると思っていた。


「長い人生ですもの。難しい話は後にするわ。それより……私は、今、この時を楽しみたいわ!」


 よほどのことがない限り、現代の知識は失われない。その事実は、エリーゼにとっては、優先度を下げる理由になり、その反対に今この瞬間しか楽しめないことは、何よりも優先しなければならないと考えていた。長い時を生きるエルフならではの考え方だろう。


「ここなら護衛する必要もないわよね? 私、ババ抜きをやってみたいわ!」


 ジーンズのポケットから取り出したものは、いつの間にか購入したトランプだった。シートベルトの着用が不要になると、すぐに立ち上がり飛び跳ねるように護衛の2人に近寄り、声をかける。


「一緒に遊んでくれるって!」


 手を上げて大きく振り、子供のようにはしゃぐエリーゼを眺めていると「教師時代にもこんなことがあったな」と思い出し、東京に行くと決めてよかったと改めて感じていた。

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