第30話 交渉
烏山議員の逮捕から2日後。コテージにあるダイニングテーブルをはさんで健人、エリーゼと名波議員と梅澤秘書が対峙していた。今回は護衛といった余計な人間は存在しない。
名波議員を最初に見た健人の印象は「若い」だった。首元で切りそろえられた髪、着慣れているようには見えないスーツ姿だけを見ると20代後半のように感じられ、実年齢もそう大きく外れていないと考えてた。
年寄りが多い国会議員の中では、若い部類に入るのは想像に難くない。だからこそ、今回の交渉は本気ではないと不安になっていた。
「それでは、まず清水さんのご要望を聞かせてください」
そんな不安をよそに挨拶が終わった名波議員は、健人の要求を聞くべく口を開いた。
「まずはエリーゼに日本国籍を発行してください」
「分かりました。実はそういわれると思って準備は済んでいます。本来であれば様々な書類が必要になりますが、今回は特例としてこの書類にサインしていただくだけで大丈夫です」
名波議員は自身の黒い革製のビジネスバッグから書類を取り出すと、健人の目の前に置く。
健人は、すでに準備が終わっていることに目を見開き驚いていた。
「実は、梅澤からエリーゼさんが国籍の取得を希望している聞いていたので、準備しておいたんです」
「たしかに、前回お会いしたときにそのようなことは言いましたが……」
「すぐにサインしろとは言いません。じっくり読んで、後日サインをして送ってください」
エリーゼのために特例処置までしてくれるとは考えていなかった健人は、驚くとともに今回の話し合いで相手が何を求めているのか分からななっていた。若手だと侮っていた健人は、相手のペースに乗せられていた。
「それと、これも梅澤から聞きましたが無人島を手放す気はないと? 私たちも無理に取り上げるようなことはしたくないと考えておりますので、この無人島の所有権はすべて清水様のものでも構いません」
異世界人の確保とダンジョンの所有。烏山議員が要求していたものを「不要」だと言い切る名波議員の思惑を、この場で推測するには情報が足りない。健人は交渉のプロでもなければ、会話が得意なほうでもない。
相手が譲歩するからといって欲張ると、ろくなことにならないと直感した健人は、絶対に譲れないものだけを脳内で再確認すると、相手の要望を直接確認することにした。
「……ここまで私に譲歩して、あなたたちは何を望んでいるんですか?」
今までよどみなく進んでいた会話が停滞する。
健人の前に座る名波議員は、エリーゼが用意した白いマグカップに入ったコーヒーを一口飲む。
「このコーヒーは美味しいですね。外は寒いので、体が温まります」
さすがに議員をやっているだけあり、健人は表情から何を考えているのか読み取ることはできなかった。
沈黙が苦痛になったころに、ようやく名波議員が要望を口にした。
「この島に、魔石を研究する施設を建設したいと思っています。もちろん、建物だけではなく、研究員もここに滞在させてください。また、これはご提案ですが、世間が無人島にダンジョンがあると知れ渡れば、招かざる客の来訪も多くなるでしょう。ここは、自衛隊と共同で管理してみませんか?」
ご提案といっていたが、ダンジョンの共同管理が向こうの要望だと、直感した健人は会話を続けながらどうやって断るか会話の流れを組み立てる。
時間を稼ぐようにゆっくりとコーヒーを口に含み飲み込んでから、健人は会話を再開した。
「すべて断ったら、国籍の話はなくなると?」
「そんなことはありません。烏山の迷惑料だと思ってください」
言質を取っておきたかった健人は、この一言でこちらが最も不利な問題を解決したと安堵した。
ちらりと横目でエリーゼの表情を確認すると、満足そうな笑みを浮かべていた。
「分かりました。烏山の件は、このエリーゼの国籍取得に発行が終われば手打ちとします」
烏山議員の来訪から襲撃までの一連の流れは、これをもって終結した。
「ありがとうございます」
名波議員は姿勢を正すと頭を下げる。
だが、先ほどまでの会話は前哨戦であり、これからが本番だ。
気持ちを新たにした健人は、テーブルの上に手をお置き、前のめりの姿勢になり話を続ける。
「それで名波議員のご要望ですが、知らない人間をこの島に上げたくないというのが、嘘偽りのない心情です。ですが、おっしゃる通り、ダンジョンがあるとバレてしまえば、よそ者が大挙してくるのは間違いないでしょう」
「そうですね。特に外国からの有形無形のアプローチは絶えることないでしょう」
「昔の日本のように閉ざしてしまえば、無理にでも上陸してくる人は出てきますよね?」
「ええ。どこのだれかと言いませんが、武力を行使する輩も出てくるかもしれません」
名波議員は、近い未来に訪れる危険を正しく理解してくれたことに思わず笑みがこぼれ、自分の思い通りに話が進んでいると思い込んでいた。だらこそ、健人の話を予想できなかった。
「ですから、細いながらも正式なルートを用意したいと考えています」
「正式な……ルート?」
予想外の一言に、思わず言葉が詰まる。
「私がダンジョンを管理する会社を立ち上げ、一定の条件を満たした人間であれば、ダンジョンを探索できるようにしたいと考えています。確か、ダンジョン管理に関する法律はありませんよね?」
「……はい」
魔石や魔物の退治に関する法律は出来上がりつつあったが、ダンジョンの管理については何も決まっていなかった。いや、後回しにされていたと表現するのが正しいだろう。なんせ、つい先日まで新宿にしか存在しないと思い込んでいたのだから、他のことを優先するのは当然だろう。
法律ができる前にダンジョンを管理する会社を立ち上げ、実際に運用してしまえば、後で法律ができるとしても一定の配慮は必要になるだろう。それは、全てのダンジョンを政府の管理下に置くという思惑から外れてしまう。
政府と共同管理を望んでいたの名波議員は、心の中で舌打ちをした。
「ダンジョンから産出したものは、どうするのですか?」
「こんなところに住んでいますが善良な市民です。もちろんルールに則って国に売却したいと考えています」
名波議員は「善良な市民なら私の要望を受け入れなさい!」と言いたい気持ちをぐっと抑えて、話を続ける。
「なるほど。あくまでこの無人島、そしてダンジョンの管理だけを行いたいと。そういうお考えなんですね?」
「その通りです。探索士から魔石などを買い取り、政府に売却する企業だと考えてください」
現在、ダンジョンから産出した魔石を買い取る場所は新宿にしかない。健人の立ち上げる会社では、政府よりも安い価格で買い取るが、新宿にまで行く手間を考えれば、ほとんどの人間が利用するだろう。
「分かりました。私の権限では決められないので、一度持ち帰って検討させてください。ですが、それとは別で研究所の設立はお願いできませんか?」
今この場で、健人の話を覆せる材料が見つからないため持ち帰ることに決めた。
だが、このまま帰ってしまえばそれは交渉ではなくただのお使いだ。せめて1つでも成果を上げたかった名波議員は、必死な形相で食らいつく。
「なぜでしょうか?」
「魔石が入手できる場所は、世界でも2カ所しかありません。新宿は様々な人間が入り込みやすい立地ですが、ここであれば人数を管理しやすくて便利なんです。人数は必要最低限に抑えますので、研究所の設立を認めてもらえないでしょうか?」
ここまで話したんだから許可を出してほしいと祈るように健人を見つめていた。
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