第29話 仕切り直し

「失敗しました。はい。では、その通りに動きます」


 普段は何人かは残業で残っている事務所には、梅澤秘書が1人だけ存在していた。

 スーツの上着を脱ぐと、携帯電話の電源を切ってポケットにしまい、イスに勢いよく座る。


「これは、大変なことになってきたぞ……」


 梅澤秘書は烏山議員の行動を監視するために、首相から派遣されたスパイだった。

だが、彼は特別な訓練を受けていたわけではない。盗聴器を仕掛けるといったことはできず、身の回りで起こったことを首相の秘書に報告していた。烏山議員の秘書になったころは大きな問題もなく、報告する内容も当たり障りのないものだったが、新宿にダンジョンが出現してから状況は大きく変わった。


 金の匂いに敏感な烏山議員が見逃すはずもない。


 すぐに新宿のダンジョンの利権を得ようと動き出したが、妨害が多く大した成果はあげられなかった。だが、その程度で諦めるような男ではなかった。粘り強く新宿のダンジョンと共に出現した異世界人の2人と話していくうちに、エリーゼの存在とダンジョンの可能性に気づく。


 そこからの話は早く、手下が九州にまで飛んで調査をして無人島の存在にまでたどり着き、工藤という男に金を握らせると、個人情報をベラベラと必要のないこと、そして偏った情報を提供していた。


「清水健人。冤罪だったものの生徒とトラブルで教師を辞職。宝くじの高額当選者であり、無人島の所有者。1人になりたかったんだろうな……今ならその気持ちわかるぞ」


 無機質な灰色のデスクに置いてあった健人の調査報告書を手に取って眺めていた梅澤秘書が、目下の悩みである烏山議員のことを投げ出して無人島に逃げ込む妄想をしていた。


 だが、健人と違い、家庭を持つ身では逃げ出すことはできない。現実逃避はここまでと意識を切り替えて、再び携帯電話を手にする。


「先ほどお送りした資料ですが、予定通り発表は今夜でお願いします。ええそうです。まずはテレビ、そして翌朝の新聞に流してしまえば、彼の議員人生も終りです」


 話し終わると再び携帯電話の電源を切ってデスクに置く。


 烏山議員の動きを正確に把握していた首相は、これ以上の強引な行動は内閣の支持率にも大きな影響をあたえると判断した結果、トカゲの尻尾切りに使うことに決めていた。


 なぜそのようなことをするのか。それは、全ては烏山議員が悪く政府は何も知らなかったと、そういった方針で健人との交渉をやる直すためだ。首相は、外国がもう1つのダンジョンの存在。そして、個人が所有する島にあると気付く前に政府の管理下に置きたいと焦っていた。


(次の交渉役の名波議員か。彼女が尻拭いできるか)


 すでに次の交渉役も決まっていたが、健人と年齢が近いという理由だけで選ばれていた。若手で勢いはあるものの、交渉が上手いとはいえなかった。当日は梅澤も同行して補佐する予定だったが、話がまとめられるか、不安を抱いていた。


「そろそろ時間か」


 事務所に置かれているテレビをつける。

 ニュース番組では、烏山議員の不祥事を取り上げている。政務調査費の不正支出から始まり、ダンジョン職員への脅しまで、ゴブリンを持ち出した一件以外は、ありとあらゆる悪事がニュースキャスターの口から視聴者へ報告されていた。


「今、烏山議員が自宅から出てきました! 逮捕の瞬間です!」


 男性のニュースキャスターが緊張をはらんだ声で叫ぶ。

 映像がライブ映像に切り替わると、警察と同行した烏山議員が自宅から出てくるところだった。別人のように落ち込んだ烏山議員は誘導に従いパトカーに乗り込むと、報道人に見送られるような形で、警察署まで護送されていった。


◆◆◆


「ねぇ健人、あの気持ち悪い人が捕まったみたいよ? 私たちの準備が無駄になっちゃったね」


 同日同刻、健人たちも烏山議員逮捕のニュースを見ていた。


「ごめん、梅澤秘書からの電話だ」


 エリーゼの言葉に同意しようとうなずきかけた時に、テーブルの上に置きっぱなしになっていた携帯電話がなる。ディスプレイには「梅澤秘書」と書かれていた。


 現在、交戦状態に入っている相手から電話が来ることに警戒心を抱くが、相手の状況を把握するチャンスを逃すのも惜しく、手の中で振るえる携帯電話のディスプレイを数秒眺めてから覚悟を決めて電話に出る。


「清水です。ええ、今見ています……なるほど…………ええ…………わかりました。明後日でお願いします。それでは失礼します」


 電話が終わって一気に疲れた表情に変わった健人が、携帯電話の通話終了ボタンを押してテーブルに放り投げる。


「何の話だったの?」

「エリーゼとゴーレムダンジョンについて話し合いがしたいだってさ」

「私たちを襲撃しておいて、よく電話出来たわね。自分のボスが捕まったからご機嫌取りでもするつもりなのかしら?」


 交渉とも呼べない高圧的な態度、2度の襲撃、さらに襲撃が失敗したとわかれば交渉。エリーゼを怒らせるには十分すぎる出来事だった。


「ニュースを見て慌てて連絡してきたらしい。全ては烏山議員が勝手にやったことだってさ。間違いなく嘘だと思うけどね」


 議員に罪をなすり擦り付けるのは珍しいと感じたが、1人にすべての罪をかぶせて事態を丸く収めることはよくあることだとは考えていた。だからと言って今までの行為が許せるわけでもなく、モヤモヤとしたスッキリしない気持ちを抱えていていた。


「それなら無視しちゃえばいいじゃない」

「交渉は再開……いや、今度こそ交渉する。」


 どうしてもエリーゼの立場を安定ささせるためには、国籍の取得は外せない。そのためには最低限でもいいので、交渉の窓口は残しておく必要があると考えていた。だからこそ、感情的になって電話を切ることなく話を聞き、交渉の話に乗っていた。


「健人が決めたのなら、それに従うわ」


 エリーゼは文句を言うことなくうなずく。


「ありがとう。明後日の午前中に、名波議員という人がくるみたい。この人が交渉の担当らしいから、まともな性格であることを祈るよ」

「ええ……本当にそうね」


 嵐のようにやってきて、最後は自爆した烏山議員の顔を思い浮かべた2人は、次に来る議員がまともに話せる人間であることを心から願っていた。

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